音信

小池純代の手帖から

雑談46

2022-08-25 | 雑談

陰暦八月廿日は定家忌。『明月記』には定家作の
漢詩が六首収められている。

  

『藤原定家全歌集』下巻から一首。

  ──未明乗月赴路
 斜月霞深春尚浅
 山雲初曙色徐分
 野村雨後何遮望
 只有早梅風底薫
  
         建暦二年正月廿二日(1212年)


定家五十一歳の作。
漢語なのに定家の歌でなじみの歌語のよう。
和歌的なふくらみのある漢詩。
一字一語が馥郁たる空間をしっとり帯びている。


〈翻歌〉

  ・定家五十代の春に寄せて・

おほぞらを月は斜めに架かりけり霞の深みに春の浅みに

あけぼののいろに分かるる山のそら雲のそらわが玉の緒のそら

雨去りてさへぎり消えて冴え冴えとなにもなきなり雨ののちの野

梅の花しづけき空に咲きそめて風の底より香りを起こす

         †

もう一首、『太田青丘著作選集 第二巻』「短歌と周辺詩」から。

 濛々雨裏無来客
 只見林叢漸変衰
 七十頽齢秋已暮
 流年流水逝無帰
        寛喜三年八月廿九日(1231年)


定家七十歳の作。景色は枯れているが、身と詩の巡りには
水分が保たれているようだ。


〈翻歌〉

  ・定家七十代の秋に和して・

来ぬひとを待つこそよけれ小糠雨水のけむりに身は揉まれつつ

衰へてゆくもかたちのひとつにてうつろひ崩ゆるいのちおもしろ 崩:く
          
秋すでに暮れなんとしてなんとせうどうころんでもひとりはひとり

時も川も逝きてもどらぬ流れものもどれぬならばまためぐり来よ


*青丘は定家の詩をこう評している。

 「起句の韻を踏み外してゐるが、相当にこなれ、
  その中におのづから詩趣を含んでゐる」
 「彼ほどの大歌人が一面漢詩にもまた相当の力量
  をもつてゐたことが知られる。」




コメント

日々の微々 220809

2022-08-17 | 歌帖

***220817
   説明不足につき画像追加しました。
   百聞不如一見。一目瞭然。***

大正の終わり頃、
寺田寅彦、松根東洋城、小宮豊隆らが変則的な歌仙を
試みていた。

たとえば、
短句から始めて短句で終わる六、七韻。
長句から始めて長句で終わる六、七韻。
切れ切れのそれらを“Torso”と名づけた。

 
  「TORSO」(『寺田寅彦全集』第十一巻)

そのほか、
前句だけでなく発句にも旨く付いている、つまり
後戻りOKの一連を“Rondo”と名づけた。

 
  「RONDO」(『寺田寅彦全集』第十一巻)

五七五と七七の連なりという以外にどの程度歌仙の規範に
則ったものだったかは知らない。

横紙破りの傍若無人なこれらの試みは
「俳諧の形式を、西洋音楽の形式とパラレルなものに考へよう
とする」(小宮豊隆『漱石 寅彦 三重吉』より)

考え方の萌芽だったという。

ところで、
短句ばっかりで六韻続けるとどんな感じだろう。
すでに誰かが試みていると思うが、自分では初めての試み。

  ・BACH独吟・

 バッハつくづく切なかりけり

  パシオの藻塩胸にきりきり

 パティオ人影フーガ始まる

  ぬけ道のないカノン迫り来

 手をたづさへてロンド・ア・ロンド

  暮れゆくほどにエヴァンジェリスト

   †

ちょうど聞いていた西洋音楽がバッハだったから、
バッハを発句に。
ゆるくバッハシバリで、ついでにロンドっぽく。

・七七の短句のみ
・歳時記なし
・バッハ関連のカタカナ語が季語代わり

しかし、このままだとただの独り言に見える。
後付けのシバリとして、韻文の証拠、

・脚韻




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