音信

小池純代の手帖から

うたつらね 6

2019-04-23 | 日記
あげひばり。


 うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独りし思へば

                       大伴家持


 花ざかりの畑にしあれば雲雀あがり水晶のふるよろこびのふる  *畑:はた

                       石井辰彦

 虚空より降るギヤマンの星無數心を刺して揚ひばり鳴く     *虚空:こくう

                       石井辰彦


 烈風にきこゆるとなき雲雀かな         木下夕爾


 鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ

                       光森裕樹


 時は春
 日は朝(あした)
 朝(あした)は七時
 片岡に露みちて
 揚雲雀(あげひばり)なのりいで
 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
 神、そらに知ろしめす
 すべて世は事も無し
             「春の朝(あした)」ロバート・ブラウニング/上田敏 訳

 ひばりのす
 みつけた
 まだたれも知らない

 あそこだ
 水車小屋のわき
 しんりょうしょの赤い屋根のみえる
 あのむぎばたけだ

 小さいたまごが
 五つならんでる
 まだたれにもいわない
             「ひばりのす」木下夕爾

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うたつらね 5

2019-04-01 | 日記

春雷。

「維摩経」の「十喩」に「是身如電念念不住」がある。
この身は稲妻のようなもの、一瞬一瞬とどまることがない、といった意味。
たしかに、天空をごろごろ彷徨ってそのうち消えるか、
天にも留まれずに地に落ちるかのどちらか。
落ちてもそこに定住したという噂は聞かない。

維摩経の十喩は「電」のほかに、「沫・泡・炎・芭蕉(の茎)・幻・夢・影・響・浮雲」。
ぷかぷか、ゆらゆら、すかすか、もやもや、ふわふわな物象や天象のなかで「
電」は、なかなか際立っているが、烈しい雷光や雷鳴といった属性よりも、
刹那性のつよさで十喩の仲間入りしたものとおぼしい。 

 あはれあはれ電のごとくにひらめきてわが子等すらをにくむことあり  
      *電:でん         子等:こら  
                          斎藤茂吉『白桃』

なので、この「電」のひらめきの愛憎の感覚は、わずかだけれども深い感情の襞だと
読むこともできそうだ。ついでにR音の連鎖の加速感。

  来ぬも可なり 
  露の身の夢の間の   *間:あひだ
  宵のいなづま                  『閑吟集』

ふてくされ方が粋ですばらしい。「宵のいなづま」は見たことがない。
薄い灰青の空に淡い菫色の光、だろうか。見たことがない。 


 いなづまを手に取る闇の紙燭かな  芭蕉

いなびかりを頼りに紙燭をさがしているのだろう。
「晝短苦夜長 何不秉燭遊」もたぶん奥にあって、その所為かどうか、
ぴかぴかの雷の矢の小型を手にしている蕉翁が闇夜に一瞬、浮かぶ。






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