音信

小池純代の手帖から

日毎の音 包 201031

2020-10-31 | 日記

  包


 遠くから来るものを待つたのしみよ海の面をくりたたねつつ


 幾重もの時間の層に包まれて時間は届くわが時の間に


 チョコレートボンボンといふ包みもの酒と砂糖とチョコと銀紙


 百貨店ごとの意匠の包み紙具象の花や抽象の鳥や


 このうへもなくやはらかき餅菓子にこよなき名づけ水晶包子
                        水晶包子:すいしやうパオズ



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日毎の音 夜 201030

2020-10-30 | 日記

  夜


 たそがれがだれとも分かぬ夜になりだれもかれもが闇にしづもる


 小夜の「さ」に深い意味などないですが夜の怖さがすこし減ります


 夜が死へつづく扉であるとしてひとりひとりのためだけの夜明け

 
 夜に鳴く鳥とりどりにかたどらるたとへば黒森の時計
                    黒森:シュヴァルツヴァルト

 夜が来て挨拶をするいろのないひかりでできた夜のことばで





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日毎の音 秋 201029

2020-10-29 | 日記

  秋


 さつくりと秋箱届く開けずとも見ずともすでに秋の箱のなか


 秋の王が触れるさきからきんいろにどこかで聞いたやうなおはなし


 蒼穹を秋のひかりで満たすべく青磁の皿に注ぐコンソメ


 遠慮がちに秋がときどき連れてくるともだち冬といふ白皙の


 すずしさがつめたさにつと変はるとき秋の眼のみづみづしけれ





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日毎の音 晴 201028

2020-10-28 | 日記

  晴


 底無しの空底抜けにあかるくてなにかと思へば晴天だつた


 一点の曇りなきことさびしけれ雲呼びよせて雨降らしめよ
 

 あをぞらの青を煮詰めし闇のいろややありてのち星のうたかた


 憂ひなき空といへども晴天の青の深みは憂ひにか似る


 夜の空晴れ晴れとして気前よし金銀の星ふるまひにけり





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日毎の音 雲 201027

2020-10-27 | 日記

  雲


 教室の窓から灘は見えねども雲堤は見ゆ大灘の上に


 冬ちかき海原に吹く大風の率て来し雲は偉丈夫ぞろひ


 ながながと雲は寝そべり空をゆくご覧なさいなこれが涅槃図


 巨いなる雲はスピーチバルーンなれ一切の句の合切袋


 冬の雲密に織り出すプロジェクト空一堂に会する粒子





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日毎の音 牛 201026

2020-10-26 | 日記

  牛


 名もつけで愛でもせでただ一頭の牛を食せりその名は知らず


 食べちまひたいほどの愛にあらねどいただいてゐる霜降りの牛


 大理石模様の肉のやはらかきoxymoronなoxぞ是


 牛の部位ひとつひとつに名前あり言はば所謂美味のポケット


 殺生のしるしなりけり牛酪の脂のにほひゆびを離れず
           牛酪:ぎうらく





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日毎の音 釦 201025

2020-10-25 | 日記

  釦


 ユザワヤのボタン売場に神秘あり壁に無数のボタンの眼


 欠損を埋めんとして購ひしちからボタンよたつたのひとつ


 実用の用にして華美なる部分白ブラウスの硝子の釦


 「人類のゆびさきだけが世界です」釦も釦穴もさう言ふ


 前世は石とか貝とかだつたのに穴穿たれて今世は釦





 
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日毎の音 葉 201024

2020-10-24 | 日記
  
  葉


 空澄みて色なき風の色無尽秋林一葉値千金


 脈といふもの巡らせて人体はただ一枚の葉として明し


 葉は餅をつつむのが好き椿もち桜もち柏もち笹もち


 まづ羽根をつぎは木の実をつぎは葉を並べて森の遊びつぎつぎ


 言の葉の葉のいろうつりつつやがて裂けて砕けて風に崩るる






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日毎の音 火 201023

2020-10-23 | 日記

  火


 野火煙草燐寸蝋燭炭薪火の消息の衰へゆくか


 火を使ふこと間遠なるこの日頃いちばん近い火は火曜の火


 人類の叡知のはじめなりしかど火立に果てといふものありや
               火立:ほだち

 消えない火を生んでしまつたその夜に明けない夜がともに生まれた


 女の神が火の神を産み落命す男の神怒り此を殺したまふ
 女:め 火:ほ      男:を  此:こ





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日毎の音 川 201022

2020-10-22 | 日記

  川


 橋ひとつひとつに名前あることのめでたさ川は母かもしれぬ


 川の水恋ひて水鳥低く飛ぶ水恋ふるため川面に触れず


 夜目遠目傘のうちより川明かりこもごも生るる光と翳り


 川沿ひを歩く港が近くなる鴎が増えて夜が近づく


 よこたはるしづくのかたちぽつてりと小鴨は浮かぶ川のおもてに





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日毎の音 鴉 201021

2020-10-21 | 日記

  鴉


 鴉にも闇にもつややけきひかり濃きむらさきや深きみどりや


 東洋の哲学をしも語らへやハシブトガラスその嘴で


 独得の歩みなりけり両足を踏ん張りながら地を跳ぶ鴉


 高きよりパンのかけらを落とし来し鴉の喜捨といふものかこれ


 ベランダに鴉の君の貢ぎもの平石三つ木片二本





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日毎の音 剣 201020

2020-10-20 | 日記
  剣


 校章のペンはこれもと剣なれ尖にしたたるものは違へど


 剣とは縁なき一生ひとふりの重さが風を切る音知らず
       一生:ひとよ

 アラビアンナイトのつるぎと名づけしがいつか失せにしペーパーナイフ


 切つ先のつよさと同じほど弱き心に萌ゆるペンもつるぎも


 かの世では剣の山がこの世では剣山が花待つばかりなり





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日毎の音 影 201019

2020-10-19 | 日記
  影
 

 なき人の遺せし影のことごとに触れてうたへり日々是挽歌


 風白し生きにしものが逝きしのちのこせる影のかすかなるいろ


 手にとりて本棚に置く置きなほす彩色されし影に過ぎぬを


 はなれゆく船の人影つと動く知らない影が手を振りくるる


 なんと呼ぶ足から影が生えてゆくこの夕映えの現象のこと





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日毎の音 匙 201018

2020-10-18 | 日記
  匙


 愛嬌をふりまきながら安逸をはこぶあぶくのやうにスプーン


 はなびらを模してゐるとは思はずき蓮華の匙のふざけたかたち


 デコラティヴな昭和末期の泡沫の名残のごとくさまざまの匙


 陶製のちひさな匙をよくつかふこのごろであるとしごろである


 木の匙を置けばましろき洋皿はボートとなりぬ夕餉の岸辺






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日毎の音 氷 201017

2020-10-17 | 日記
  氷


 うすごほり次第に厚くなつてゆくごとしも秋の空の紺色


 おのづからとけてけむりになるこほりドライアイスのいのちのちから


 酷薄の暑さの果てのかき氷俊成卿の末期偲ばゆ


 ほそほそと天降るひかりのわたくし児粉雪の仏陀氷雨のイエス
      天降:あも    児:ご 粉雪:こゆき

 泥濘に踏み入ることも薄氷を踏み割ることもたえて久しき







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