音信

小池純代の手帖から

雑談48

2022-09-18 | 雑談


    秋来  李賀

  桐風驚心壮士苦
  衰灯絡緯啼寒素
  誰看青簡一編書
  不遣花虫粉空蠹
  思牽今夜腸応直
  雨冷香魂弔書客
  秋墳鬼唱鮑家詩
  恨血千年土中碧



つづめてしまうとこんなことを言っている詩だ。

  秋のおとづれ

おどろかすなよ苦しますなよ 桐に風
おとろへてゆく灯し火と声 きりぎりす
読まれなくては生まれないまま ひとつの詩
生まれないまま虫に食はるる いくつの詩
夜に思へば凍てつくこころ 折れちまふ
弔ふ人のたましひ香る 雨しづく
亡きものたちが唱つてくれた 墓どころ
千年のちの血は‘えめろうど’  詩人の血


           †

碧石の緑の光にくすぐられる心というもの。
李賀に由来するのかどうか知らないが、響き
合うものを見つけると「おお」と思う。


 
 日本の過去の詩の中には緑いろのものが何か動いてゐる。
 何か互に響き合ふものが――
 (芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』「二十六 詩形」)

 
 短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代の
 センチメントの精である。古いけれども棄てがたい、そ
 の完成した美くしい形は東洋人の二千年来の悲哀のさま
 ざまな追憶に依てたとへがたない悲しい光沢をつけられ
 てゐる。*精:エツキス 追憶:おもひで
         (北原白秋『桐の花』「桐の花とカステラ」)

  


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雑談47

2022-09-03 | 雑談


9月3日は迢空忌。

 たとへば雪──雪が降つてゐる。其を手に握つて、‘きゆっ’と
 握りしめると、水になつて手の股から消えてしまふ。それが
 短歌の詩らしい点だつたのです。 
    折口信夫「俳句と近代詩」1953(昭和28)年9月「俳句」


釈迢空、最晩年の記事。

末期と雪といえば藤原俊成の臨終も思い起こされる。
1204(元久元)年11月30日のこと。

 殊令悦喜給、頻召之。其詞、めでたき物かな。
 猶えもいはぬ物かな。猶召之。
 おもしろいものかな。人々頗成恐、取隠之。
    藤原定家『明月記』


病床の俊成が雪を所望した。雪は北山から雪を送ってもらって
間に合った。定家は間に合わず、姉から聞いた話が記録されて
いる。雪を召し上がっての三つの言葉が、

「めでたき物かな」「えもいはぬ物かな」
「おもしろいものかな」

漢文日記なのに父俊成の言葉はひらがなまじりなのが趣深い。


迢空の五指も俊成の五体も、雪に含まれる詩成分を賞味してい
たのではあるまいか。


 迢空の手のなかの雪
 俊成の身もなかの雪
 うたのうつしみ



俊成、定家以来の流れを守る冷泉家では初雪が降ると俊成卿に
雪をお供えするそうだ。





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