打越通信

日記ふういろいろ

戦い終わって

2017-06-09 20:07:13 | people
3年ぶりにむかし仕事を一緒にした人と会った。
以前の会社の同僚ではなく仕事で出向いていた会社の担当の人だった。
ようはユーザだった会社の担当者だった人だ。
歳も同じくらいで、気が合うというか話が合う人だ。
ここの会社は倉庫業という担当した業種では初めての業種だった。
一般的な卸売業や小売業、はたまた海運会社や都市ガスなど変わった業種も経験してきたが、この業種は作業との絡みなどあり難解だった。
一般的に倉庫業といっても製造業や輸入業、流通会社などが持つ自社倉庫ではなく、各会社が営業ように在庫を持つ営業倉庫の部類に入る。
したがって倉庫に在庫を持つそれぞれの会社の出し入れの指示によって出し入れを行わなければならない。
指示はFAXだったり電話連絡だったりオンラインだったり先方の端末で行ったりさまざまな形態があった。
現状分析にかなりの時間と労力を要した。
担当の彼もユーザSEということでシステム的なことは根底でわかりあえていたが業務となると彼の方が詳しい。
それゆえにこの担当の人とは多くの話し合いを必要とした。
問題の解決はシステム的な事だけではなく、物をどうやって受け入れ、どうやって保管するかそしてどうやって出荷するかや、それぞれの検品をどうするかなど多岐に渡った。
現状では山崩し的な、今ある作業をこなすのが最優先的なところがあり、ロケーションや効率よいピッキングなど理屈や理論的な事は後回しといった感じだった。
ほかの仕事もあったが3年くらいこの会社に通い続けた。
以前一緒に大きな仕事をした息子くらいの同僚とはたまたコンビを組んでこの担当の人と対峙した。
自分の会社には出勤せず、熊本から福岡のこの会社に直接出勤してそのまま帰るといった事をしていた。
担当の方とは一日中一緒にいるわけで、仕事以外の事もいろいろ話が出来た。
たとえば親の介護の問題や、息子たちの将来の事などさまざまだった。
そういう意味で心底分かり合えるようなはだかの関係になったのだ。



博多駅で待ち合わせをして居酒屋で一杯やり、自宅マンションまで来ていただいた。
何せこの人は幼いころから美野島で育った方で、自宅があった場所も今住んでいるマンションのすぐ近くだった。
自宅で一杯やりながら午前様近くまで話は続いた。
積もる話はきりがなく、またの再会を誓って、筑紫野のご自宅までクルマで送った。
3年間のブランクを感じさせない彼に再び親近感がわくのだった。

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