国道3号線から香椎付近で国道495号線に入る。
通称「和白通り」と呼ばれかつての国道3号線だったという。
和白に住む先輩社員が東区は人口が急激に増えていると言っていたことを思い出す。
完全な渋滞に入り込んでしまった。
海の中道への交差点を過ぎても渋滞はひどく、結局、福津までノロノロ状態が続いた。
宮地嶽神社は今回で二度目になる。
だだっ広い駐車場には多くのクルマが停まっていた。
前回来たときはちょうど桜の時期で寒かった思い出がある。
神社裏にはダム湖や広大な敷地があり、季節の花々が楽しめそうな雰囲気だった。
藤やつつじの季節も良いだろうなと思っていたら季節を逃してしまった。
石段を上り後ろを振り返ると「光に道」が見える。
階段をのぼり境内に入ると結婚式があっていた。
白いネクタイに礼服を来た人々の中に白無垢を来た花嫁さんの姿が見えた。
「ジューンブライド」こんな古めかしい神社にこんな言葉が似合うのかわからないがほかに言葉が思いつかなかった。
大きな門をくぐると境内には菖蒲の花がいっぱいに飾られていた。
出雲大社を思わせる大きなしめ縄、参拝客も前回来たときよりはるかに多かった。
参拝を終え神社の裏に行ってみた。
大音量でエキゾチックな音楽が聞こえてくる。
何かイベントのようなものがあっているようだった。
芝生の広場に人が集まり舞台の上には民族衣装らしき服を着た踊り子さんたちが踊りを踊っていた。
何の説明もなく、次から次へと音楽がかかりそのたびに踊り子さんたちも変わる。
インド音楽のようでもありタイ音楽のようでもあり、踊りも腰を振りフラのようでもありタイの踊りのようでもあった。
しばらく見入っていたが単調で飽きてしまった。
ダム湖の方に行ってみると菖蒲園のような場所がありたくさんの菖蒲の花が咲いていた。
古民家風の藁ぶき屋根をした売店では小物を売っていた。
菖蒲祭りといえば玉名の高瀬浦川菖蒲祭りを思い出すが、ここ福津でも菖蒲祭りは行われていた。
通称「和白通り」と呼ばれかつての国道3号線だったという。
和白に住む先輩社員が東区は人口が急激に増えていると言っていたことを思い出す。
完全な渋滞に入り込んでしまった。
海の中道への交差点を過ぎても渋滞はひどく、結局、福津までノロノロ状態が続いた。
宮地嶽神社は今回で二度目になる。
だだっ広い駐車場には多くのクルマが停まっていた。
前回来たときはちょうど桜の時期で寒かった思い出がある。
神社裏にはダム湖や広大な敷地があり、季節の花々が楽しめそうな雰囲気だった。
藤やつつじの季節も良いだろうなと思っていたら季節を逃してしまった。
石段を上り後ろを振り返ると「光に道」が見える。
階段をのぼり境内に入ると結婚式があっていた。
白いネクタイに礼服を来た人々の中に白無垢を来た花嫁さんの姿が見えた。
「ジューンブライド」こんな古めかしい神社にこんな言葉が似合うのかわからないがほかに言葉が思いつかなかった。
大きな門をくぐると境内には菖蒲の花がいっぱいに飾られていた。
出雲大社を思わせる大きなしめ縄、参拝客も前回来たときよりはるかに多かった。
参拝を終え神社の裏に行ってみた。
大音量でエキゾチックな音楽が聞こえてくる。
何かイベントのようなものがあっているようだった。
芝生の広場に人が集まり舞台の上には民族衣装らしき服を着た踊り子さんたちが踊りを踊っていた。
何の説明もなく、次から次へと音楽がかかりそのたびに踊り子さんたちも変わる。
インド音楽のようでもありタイ音楽のようでもあり、踊りも腰を振りフラのようでもありタイの踊りのようでもあった。
しばらく見入っていたが単調で飽きてしまった。
ダム湖の方に行ってみると菖蒲園のような場所がありたくさんの菖蒲の花が咲いていた。
古民家風の藁ぶき屋根をした売店では小物を売っていた。
菖蒲祭りといえば玉名の高瀬浦川菖蒲祭りを思い出すが、ここ福津でも菖蒲祭りは行われていた。
福祉の仕事は向いているかもしれないね。
仕事はお金だけじゃないもんね。
やりがいが大切なんだよね!
それでもお店の人たちもみんな良い人たちだもんね、悩んだこと良くわかります。
考えさせられます。ハイ!
店のみんなは元気ですよ。
新しい生活になったんですね。
馴染むのに苦労はつきものですが頑張りましょう。
気になってはいたのですが皆さん元気なのかな?
さきちゃんがいないと遊びに行っても面白くないかな。
そのうちランチでもしましょう。
お腹踊りという意味ですが。
報告遅くなりましたが、B社は四月末で円満退職しました。今、菊池の県事務所の福祉課で働いています。