6月7日(土曜日)
昭和63年5月、今住んでいる家に引っ越してきて20日もしない6月7日、さきこが生まれた。私は鹿児島に出張に行っていて、夜8時半ごろ帰宅すると玄関先に『病院に行って来ます』とメモがあった。急いで病院に駆けつけ駐車場に車を入れようとすると、おじいちゃんと佑一が車の中でおろおろとしていた。一緒に病室に行きさきこと初めて対面した。乳児用の保育器には○○ベービーと名札があった。女の子と聞いてまたまたびっくりした。上の子の時は始めてみたとき顔色が赤くてびっくりしたが、さきこの場合には顔色が白くて可愛かった。妻にありがとうと言ったら、安産だったようで、おじいちゃんの運転で家を出て30分もしないうち生まれたそうだ。8時15分だったそうで、妻も髪を洗い心を落ちつけて家を出たそうだ。ただ、たまたま遊びに来ていたおじいちゃんと佑一がびっくりしていた。妻の手を握りもう一度、ありがとうと言った。その日は家へ帰り、その後毎日楽しい病院通いが始まった。病室で妻と名前を考えた『かすみ』『笑子』『夕希』といろいろと候補は出たがなかなか決まらなかった。私が『さきこ』にしようと妻に言ったら妻もうなずいた。『咲子』『早季子』のイメージであったが、妻が『沙希子』がよいと言い出し決定。○○ベービーについに名前が付いた。その後2週間くらいして出来たばかりの家にさきこが初めて来た。あれから20年、ついこの前の事のようだ。そして昭和63年は昭和最後の年でもあった。
愛するさきこへ。
二十歳のお誕生日おめでとう。ママは、感無量です。さきこのパワー、ビタミンSをこれからますます、みんなに届けてね。
昭和63年5月、今住んでいる家に引っ越してきて20日もしない6月7日、さきこが生まれた。私は鹿児島に出張に行っていて、夜8時半ごろ帰宅すると玄関先に『病院に行って来ます』とメモがあった。急いで病院に駆けつけ駐車場に車を入れようとすると、おじいちゃんと佑一が車の中でおろおろとしていた。一緒に病室に行きさきこと初めて対面した。乳児用の保育器には○○ベービーと名札があった。女の子と聞いてまたまたびっくりした。上の子の時は始めてみたとき顔色が赤くてびっくりしたが、さきこの場合には顔色が白くて可愛かった。妻にありがとうと言ったら、安産だったようで、おじいちゃんの運転で家を出て30分もしないうち生まれたそうだ。8時15分だったそうで、妻も髪を洗い心を落ちつけて家を出たそうだ。ただ、たまたま遊びに来ていたおじいちゃんと佑一がびっくりしていた。妻の手を握りもう一度、ありがとうと言った。その日は家へ帰り、その後毎日楽しい病院通いが始まった。病室で妻と名前を考えた『かすみ』『笑子』『夕希』といろいろと候補は出たがなかなか決まらなかった。私が『さきこ』にしようと妻に言ったら妻もうなずいた。『咲子』『早季子』のイメージであったが、妻が『沙希子』がよいと言い出し決定。○○ベービーについに名前が付いた。その後2週間くらいして出来たばかりの家にさきこが初めて来た。あれから20年、ついこの前の事のようだ。そして昭和63年は昭和最後の年でもあった。
愛するさきこへ。
二十歳のお誕生日おめでとう。ママは、感無量です。さきこのパワー、ビタミンSをこれからますます、みんなに届けてね。