ともかく、「人力発電機」それが最下層に明確な利益性を供給出来れば良い。
最終的な危機感、それは”それ”が阻害される可能性、だ。
気づくと、あのガンダムを創った「サンライズ」が、会社としては消える、らしい。
実際に「ガンダムは誰が所有者?」と言う命題の時に、今まで筆頭だった立場だったろうしかし、”それ”が消えた、となると、それは結構意味の大きい話、なのかも。
不足はあったにせよ、世界初の紛争解決機構「ガンダム」、その存在は、しかし世界の諸問題、それを抱えて今も、何かの命題にはある。この決定もまた、或いはガンダムの、紛争解決機構その決定ではあろう。それは、状況に何かの変化を求めた?訳だ。
だから?だろうか。
”雅”市場は、世界に導入されました。
結果として、その作者には、「市場管理者」に5%程度の介入が許容されます。
・・・という、少し微妙な事を不意に考えたりは、する。ちょうどウクライナ危機も、何とか回避された、らしい。その辺の事実もまた、何かの繋がり合った事例、だろうか。
理由は、逆だったのだ。
資本論の作者は、「特権を創ってはならない」的な?そういう近代的な理解の先で、自身が特権に成る事を否定せざるを得なかった。しかし?それを見ていた外部の人々は、それに対して同意出来なかった、と言うのが、「共産主義」の発生とまた、その後に続く騒乱、その原理だった、らしい。
何となく、だ。
ともかくだから、結果として、資本主義側が、その特権を何らかの形で妥協し得れば?それは、両者の同意、対立の解消、それは出来た、と言う事には成る。
らしい。
面倒なのは、「金銭での褒賞は、特権を創る」事だ。それは避けつつ、しかし納得し得る「褒賞」それは与えねばならない、と言う話で。そこで、「市場管理者への介入」それを5%許容する、と言う事に成った。日本が極論で如何に、「国産のPCしか売ってはいけない」とか言い出しても?5%は”ここ”の意向が残る、訳だ。店頭には条約さえ無視し?5%程度は他国のPCが並ぶ事になる。”そう言う感じ”にそれは、何かの重大な、無視出来ない意向、”それ”となる、訳だが。
”これ”が残るのか否か?は、ちょっと解らない。
個人的には「作者のみ」の一代限り、そんな特権の様な気もする、が。
理屈では「王の権威」それは、もう居ない。「大賀さん」紛争解決機構、それが存在するなら、”それ”での決定こそが王の権威のそれであり、それに逆らわないなら?誰であろうと「王の権威」それと等価だ。その時、単にその5%とは、勝者の権利、それでしかない、かも。我々一族の問題だ!としても、「大賀さん」での勝者は、そこに5%程度は介入し得る、そう言う。「大賀さん」その戦争での勝者はそれでも、ある程度は、世界を変える力を持つ、訳だ。
理屈の上では。しかし、「資本論」も最終的には「作者は誰?」を捨てられず、結局は血脈の先にその所有者を求めた所から、何かの歪みを発生もさせていった訳で。
…まだ一応は、先の話ではある。
ともかくは、世界は今、5%位は「人力発電機」を許容し得る環境がある、筈である。それの利益性を護る、事が、最終的には失業者を創らず経済的発展を後押しする、物にはなる。”それ”でも、その人力発電機を破壊せん、そう言うパワーは存在し、それは脅威としてあって。
”それ”は何か?は様々だ。
或いは、自身のそれ、かも。
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