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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

あなたは、子どもを操縦してませんか?

2014-10-29 13:47:38 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 フロムとエリクソン、精神的には親戚でしょうね。

 p115の7行目から。

 

 

 

 

 

 これらの条件の中で最も大事なのが、子どもの人生の中で重要な誰かが、その子のポテンシャルを信頼することなんですね。この信頼があるなしで、教育と操縦は違ってきます。教育は、子どもが自分のポテンシャルを発揮するのを手助けすることにほかなりません。教育の反対が操縦です。操縦は、ポテンシャルが成長することに対して全く信頼してないだけじゃぁなくて、子どもが正しくできるのは、自分たちがやっていいことと悪いことを口うるさく言う時だけだ、と思いこんでます。機械を信頼する必要などないし、機械にはいのちなどないからです。

 

 

 

 

 

 子どもの、人のポテンシャルを信頼することができないのは、子どもを、人を人間ではなく、モノ扱いしているからなんですね。でも、日本の学校の教員と校長の少なくない人が、子どもをモノ扱いしています。子どもを、人を信頼するためには、教員自身が自分のポテンシャルを信頼することが必要なのに、その信頼を日々確かにするための自省する時間、1人の時間が持てないほど、「お忙しい」からなんですね。

 ですから、少なくない教員や校長が、子どもに「正しいことを教えよう」とするんですね。その弊害については、このブログで何度も取り上げていますから、ここでは繰り返しません。その教員自身が、信頼を培わなくっちゃあね。そのために必要なのが、1人の時間なのにね。信頼の代わりに入り込んでくるのが、悪魔の「人間を上下2つに分けるウソ」なんですね。これも今日は指摘するのにとどめます。

 教育の現場にいるあなた、あなたが日ごろやっているのは、教育ですか?

 それとも、「難しい言葉」や「厳しい言葉」と「大声」や「正しいこと」(ウソとゴマカシ)で、子どもを操縦してませんか?

 

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今は恵みの時、今こそ救いの日

2014-10-29 11:46:22 | アイデンティティの根源

 

 ≪私の時間≫、それは、≪生きる意味≫に気付き、それを深めて、日々の暮らしに活かすカイロス、恵みの時。

 p359下から5行目から。

 

 

 

 

 

 しかし、イエスの言い伝えに関する私どもの関心に対して、アインシュタインでしたら、どういう風に考えたのでしょうか? 天才が併せ持つ面白いほどの単純さで、アインシュタインは私どもに興味を抱かさることをたくさん言っています(アインシュタイン『理想と意見』)。なぜなら、アインシュタインは、「預言者たちのユダヤ教と、そのユダヤ教を教えたイエス・キリストのキリスト教」を、「人間のあらゆる社会病理を癒す能力」を説く一連の教えと結び付けているからです。しかも、だからこそ、「預言者たちのユダヤ教と、そのユダヤ教を教えたイエス・キリストのキリスト教」は、社会病理に続くあらゆるもの、すなわち、「特に、聖職者たちの社会病理」も癒すことができるものでした。

 

 

 

 

 

 アインシュタインもユダヤ人。フロムやエリクソン同様、ヨーロッパから逃げてアメリカに渡りました。ユダヤ教やキリスト教が、社会病理、特に聖職者、日本流に言えば、「先生」と呼ばれる人たちの社会病理を癒すことと結びついていたらしい。 これは実に示唆的な内容ですよね。

 それは、日本で「先生」と呼ばれる人たちはどういう人たちか?を考えれば、すぐに分かります。それは、政治家であり、医者であり、教員です。しかも、「先生」と呼ばれる人たちとは、「人間を上下2つに分けるウソ」にまみれやすい人びと。そうすると、周囲の人々と、やり取りのある関係ができませんから、そのこと自体も様々な「社会病理」をもたらすことにもなってしまう。このようにして、社会病理の悪循環と世代間伝達へと道が開けてしまいます。

 その悪循環の道を断つもの、それがイエスの教えの中身なんですね。

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今の日本にも活かせる、バルメン宣言

2014-10-29 06:26:36 | エリクソンの発達臨床心理

 

 バルメン宣言。そう聞いて、それを知っている日本人は、10人の内1人もいないでしょう。しかし、そのバルメン宣言が、今の日本でも活かすことができる、と、この書を読んで確信しましたね。なぜなら、この書は、宮田光雄先生が、わが安倍晋三政権の、人間らしい暮らしを破壊する、愚かしい数々の政策とその政権のデマゴギーぶりを、見事なほどに明らかにしてくれているからです。
 宮田光雄先生は、しかし、80年前に、ナチスドイツが政権を取った1年後、告白教会(これも多くの日本人は知らないでしょう)が出したバルメン宣言が、そのまま日本に当てはめられるものではない、とはっきりとおっしゃいます。それはそうだと思います。しかし、バルメン宣言を起草したカール・バルトが込めた精神は、今の日本においてこそ、活かすべきだとお考えであることは、火を見るよりも明らかでしょう。
 その精神とは何か? それは、「世界の人びとのために仕える≪世界市民≫として連帯して生きる勇気と希望」(宮田光雄『バルメン宣言の政治学』新教出版,p47)に生きる、ということです。言葉を替えて申し上げれば、≪生きる意味≫を実感し、それを人間らしい暮らしのできる社会を創り出すために生かしていくのには、市民的連帯に生きる、不断の勇気と希望が必要だ、ということです。
 私どもは、この書を繰り返し読みつつ、日々の生活を自省的に繰り返す中から、≪生きる意味≫を深め、市民的連帯を創り出す、不断の勇気と希望に、日々生きたいものです。

 

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