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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人間らしいヴィジョンを得るためには、絶え間ぬ努力と、内省と観察が必要です

2014-10-24 15:34:49 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 信頼とは、にじみ出る人格の香です。私どももこうありたいと思います。

 p112第4パラグラフ。

 

 

 

 

 

 合理的信念は、生産的な、知的で情緒的な活動の中に根っこがあります。合理的に考える時、信頼の入り込む余地などない、と思われがちですが、合理的信念は、大事な要素になります。たとえば、科学者はどうやって新発見に至るのでしょうか? 科学者はまず実験に実験を重ねて、事実に事実を積み重ねるけれども、何を発見したいかと言うヴィジョンを持たずにそれらをしているのでしょうか? そんな感じで、真に重要な発見に至るケースなど、実際には非常に稀なことなんですね。幻想を追いかけても、大事な結論に到達することなど、決してありません。創造的な思考の成り行きは、どの分野で人が努力するのであっても、「人間らしいヴィジョン」と呼んでも構わないものをから始まることが多いんです。その「人間らしいヴィジョン」は、それを手に入れるまでには、相当研究に研究を重ねて、内省と観察を繰り返した結果なんですね。科学者がうまくデータを集めたり、1つの数学的な公式が上手に解けて、自分で気が付いたヴィジョンが見事の明らかになることは、仮説に辿りついたと言えるのかもしれませんね。仮説の意味するところを見極めるために、仮説を注意深く分析すると、より確実な仮説に至り、最終的には、普遍性のある結論に到達するのかもしれません。

 

 

 

 

 科学においてさえ、最も大事なのは「人間らしいヴィジョン」。そうだろうと思います。高校生の時に、地学の大金先生が、ケプラーの法則を解説したときのことを思い出します。その時に教えていただいたことですが、ケプラーは、「惑星の動きは、神様の支配のもとにあるからには、美しい数学的な形になるはずだ」、というヴィジョンを持っていたというんですね。ですから、ほとんど円と見まがう実際の惑星の軌道を、楕円軌道だと、正確につかむことができた、という訳ですね。

 金森俊朗さんの教育実践でも、「子どもの心には、センス・オブ・ワンダーがあって大人がそれを受け止めてやればどんどん大きく育っていく」(金森俊朗『いのちの教科書』p71)というヴィジョンに支えられているんですね。それがあるからこそ、大人が教えるというスタンスを止めて、子ども同士が、家族や地域の人々と一緒になって学び合う、あのピアカウンセリングのようなクラスづくりが可能になるんです。

 カウンセリングでも、そのよって立つヴィジョンにはいつくかのものがありますけれども、「人間らしいヴィジョン」、たとえば、エリクソンに様な「人間皆兄弟」と「非暴力」のヴィジョンがあればこそ、あの詩人のようなまなざしのある臨床が可能になったことに、間違いないでしょう。

 今の日本の政治が、こんなに無策で「人間らしい暮らし」を踏みにじっているのは、憲法9条や憲法13条などの、きわめて優れたヴィジョンがあるのに、わが安倍晋三首相はじめ政権にいる人々が、その極めて優れたヴィジョンを蔑ろにしているからなんですよね。

 政治にしろ、授業にしろ、臨床にしろ、科学にしろ、何よりも必要なのは、「人間らしいヴィジョン」なんですね。その「人間らしいヴィジョン」をはっきり自覚するためには、弛まぬ努力と、内省と観察が非常に大事です。

 

 

 

 

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個人と普遍、そして、人間皆兄弟

2014-10-24 12:04:25 | アイデンティティの根源

 

 エリクソンとフロムを参考にすれば、北朝鮮を悪者扱いしてはいけませんし、悪魔の国などと言ってはいけません。 

 p358 第5章初めから。

 

 

 

 

 

 人間の「≪私≫という感じ」のいろんな側面に関係する、ナザレのイエスに起源がある言い伝えをいくつか、形式と論理の例で並べてきました。私がこうしてきたのは、「キリスト以前」の千年紀とイエス自身の短い生涯から生じた素朴な言い伝えはすべて、人間の新たな意識、今日の言い方で申し上げれば、「個人」と「普遍」という言葉で言い表しているやり方で、私どもの意識の側面に光を当てています、すなわち、これは、「私」の自覚のレベルが豊かになればなるほどに、「私たち」の自覚のレベルも豊かになる、ということです。

 

 

 

 

 イエスの言い伝えは、私どもひとりびとりの意識のレベルが高くなることが、集団全体の意識レベルを上げることに通じる、という訳です。

 これはカウンセリングでは、授業でも言えることでしょうね。カウンセラーの意識レベルが高く、はっきりしてくれば、クライアントの「心の声」にも敏感に気付くことができます。授業でも、教員が、たとえば教科課題に対する意識が深まれが深まるほど、上手に、しかもより易しい言葉を使って、子どもとのやり取りの関係を深めつつ、授業を展開できるでしょう。

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発達トラウマ障害の子どもたち

2014-10-24 06:03:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 発達トラウマ障害の子どもたち。このブログでも何回かご紹介しています。先日初めての小学校に伺いまして、発達トラウマ障害の子どものことを、壊れたテープのように、また繰り返してきました。そうすると、教員の皆さんが眼の前にしている子どもたちの状態が、一貫した視点で理解することに、相当程度お役に立っていることが、手に取るように分かります。なんせ、教員の皆さんの眼の色が、私の眼の前で変わるのが、ハッキリわかるからです。その眼が、本当のことに触れた時にだけ湧き出て着る、マジな感じになるんですね。

 発達トラウマ障害の子どもたちは、赤ちゃんの頃にできるはずの、お母さんとの愛着ができないままに、ほったらかされている子どもです。エリクソンのライフサイクルで言えば、根源的信頼感を貰うことができないで、根源的不信に傾いたままで、ほったらかしにされている子どものことです。臨床では、「愛着=根源的信頼感豊か」、「発達トラウマ障害の子どもたち =根源的不信が深い」、と考えていいんですね。また、愛着障害の子どもは、お母さんとの一対一の、温もりのあるやり取りの経験がない、乏しいので、どなたとも一対一のやり取りのある関係ができません。一対一のやり取りのある関係ができなければ、日本の学校でやっている、ほぼすべてのことは、全くできない。

 日本の学校でやっていることの、ほぼすべては、子ども、教員、〇〇の三項関係で成り立っていますでしょ。〇〇にはいるものは、国語や体育などの授業、校則などのルール、時間割や年間予定などの見通し、振り返り学習や作文など過去の思いでを文字や絵にする学習など。発達トラウマ障害の子どもたちは、その、どの一つもできないんですね。でも「やっているように見える」。それは、大人が見ている時には、できる場合がある、と言う程度のもので、大人が見てなければ、授業も、ルールを守ることも、時間割などの見通しをもって時を過ごすことも、振り返り学習をすることも、できない。話がここまで来ると、事態の深刻さと、子どもたちのいろんな行動が一つにまとまる感じとに、初めて気づかれる教員が実に多い。ここでその教員の眼の色が分かることを感じることが、非常に多いんです。「やっているように見える」のは、そのフリをしているだけ。すなわち、演じているわけですね。

 それじゃぁ、発達トラウマ障害の子どもたちのケアをどうするのか? それは「«約束≫に基づいた遊び」が原則ですね。愛着や根源的信頼感が身に付くときのことを考えれば、分かります。赤ちゃんが泣いたり笑ったりすると、そのお母さんが、おっぱいをあげたり、オシメを替えたり、あやしたり、抱っこしたりしますでしょ。それは、赤ちゃんのニーズに、お母さんが応えて献身するパターンですね。別にお母さんは赤ちゃんと、契約書を正副持っているわけでも、口約束さえしている訳じゃぁ、ない。でもね、この献身をお母さんがするときには、「もっとも誠実な約束」に、「お母さんが忠実に従っている」かのような献身が必要でしょ。そのような献身があって初めて、赤ちゃんは、愛着=根源的信頼感を豊かにすることができるんですね。

 ですから、発達トラウマ障害の子どもたちのケアには、お母さんが赤ちゃんにするような献身と、その前提となる≪約束≫が必ず必要になるんですね。 「≪約束≫に基づいた遊び」を3ケ月毎日するのもその一つになりますね。同じ時間に遅れずに、「≪約束≫に基づいた遊び」を3ケ月毎日するためには、お母さんに、教員に、それだけ「本気」が必要です。でも、学校では、それだけだと、学校の時間の50%を占める授業での関わりがノータッチになっちゃう。そこで、できれば、すべての授業で、少なくとも午前と午後の授業で1回ずつ、一番発達トラウマ障害の深い子どもを選んで、「今日は、◎◎ちゃんにここらへんで当てるから、答えてね」と、確実に答えを言える場面の見通しをハッキリ示して、それをその◎◎ちゃんと教員の≪約束≫にするんです。教員がこれをするためには、相当な覚悟と「本気」が必要でしょ。

 発達トラウマ障害の子どもたちは、そのような「≪約束≫に基づいた遊び」や「≪約束≫を組み込んだ授業」を繰り返ししてもらうことで、≪見通し(イメージ)―話し言葉―出来事≫を繰り返し一致させてもらう訳ですね。この≪見通し(イメージ)―話し言葉―出来事≫とお母さんや教員の「本気」が非常に大事で、その繰り返しの一致とその「本気」のにおかげで、子どもは愛着=根源的信頼感をある程度回復させることができるんですね。

 これを3ケ月続ければ、発達トラウマ障害の子どもたちでも、改善しないケースはいままでひとつもありません。劇的に変化するケース~緩慢に変化するケースまで様々ですが、少なくとも必ず愛着=根源的信頼感が、豊かになる方向に発達することができます。

 

 皆さんも、ぜひ3ケ月、お試しくださいね。

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