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チラシの裏

幽霊屋敷

2012年08月20日 | JDカー
早川ポケミスの「震えない男」は持っているのですが、
創元版「幽霊屋敷」をネットで大枚はたいて買ってしまいました。
思い入れがあって、どうしても欲しかったので。

フェル博士ものの「幽霊屋敷」と対になるのはHM卿ものの「貴婦人として死す」。
そのココロは、一人称形式で書かれているから。
バンコランものを除いて、三人称形式で書いてきたはずなのに、
なぜこの2作品は一人称なのでしょうか。

「貴婦人として死す」の一人称形式には、
じつはある人物を容疑者圏外へ誘導させる、という作者のトリックが仕掛けてありました。
とすると「幽霊屋敷」の一人称形式にも、
作者のトリックが仕掛けてあるのではないか、と思ってたわけです。
ネットで検索しても、感想にはメイントリックの脱力ぶりしか書かれていないようです。

以下ネタバレ
カーはミステリを書くにあたり、
たえず「意外な真犯人」を設定することに腐心していたと思われる節があります。
密室や不可能犯罪はその副産物ぐらいですかねえ。
「幽霊屋敷」は『3段構えのドンデン返しが鮮やか』に決まれば
傑作とは言えないまでも佳作ぐらいにはなったかもしれません。
なんと最後の真犯人は、記述者である「わたし」。

これはクリスティの超有名作へのオマージュか、
それを自分流にひねってみた結果かもしれません。
しかも、「わたし」は殺人機械のスイッチを入れた記憶は無いので(知らずに踏んでしまっただけなので)、
物語全体の記述にウソはありません。
殺人の自覚がない「わたし」は、当然のごとく自分は容疑者圏外へ置きます。
クリスティの超有名作のように犯人が書いているのではなく(クリスティさえ誤魔化さざるを得ない箇所がある)、
自覚のない「わたし」が書いているので、最後で読者はあっと驚く!とカーは考えていたのでしょうか。
『ビロードの悪魔』も同じようなトリックだったような・・・


ここまで。

実際はそんな風に読者は驚かず、
ラストの展開と脱力系メイントリックが有名(?)になってしまっているのは、
思い通りにいかない世間ではあります。
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