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エラリー・クイーン論

2010年10月10日 | Eクイーン
クイーンにたいしての愛情あふれる文章に圧倒されます。
が、引き合いにだされるクリスティ、カー、横溝正史にはキビシイですね。
カーにいたっては「トリック自慢」とまで言われて。

カーの「三つの棺」の密室講義にたいする認識だけは改めていただきたいですね。
けっしてただの「トリック自慢」ではなく、重要なミスディレクションであり、
「三つの棺」を支える一番大きな「トリック」だと思うのですが。
フェル博士が言う「われわれは~なんじゃよ」というセリフも、
「密室講義」が著者の「トリック自慢」ではなく、
小節の一部であると言いたいがため、だと思います。

ヨコ道にそれました。

エラリー・クイーン論の後半にあたる「ギリシャ棺」にかんする考察は楽しく読めました。
が、前半のクイーンのミステリ作法についての部分には、ちょっと疑問が。
ミステリ作家を「意外な推理」派と「意外な真相」派に分け、
クイーンを唯一の「意外な推理」派として論をすすめるのですが、
「意外な推理」とはなにかという定義がよく分かりません。

もちろん言いたいことは伝わります。

「Yの悲劇」や「エジプト十字架」で探偵クイーンが展開する推理にはシビれました。

その「意外な」推理は、言われてみれば誰にでも理解できる(誰もがどこでも再現性を持つ)論証であるわけです。
そこにたどり着く手がかりさえ見つけられれば、
誰でも探偵クイーンと同じ論証をたどることができる、ということですね。
しかし、著者は誰でも見つけられる場所に手がかりを置くことは絶対にしない。
巧みな作者ほど、たえず読者の目を別の方向に逸らそうと努力しているはずです。
それこそが「意外な推理」の正体であり、
言い換えればミスディレクションの巧さではないでしょうか。


■エラリー・クイーン論 飯城勇三著 論創社
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