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日本推理小説論争史

2014年01月17日 | ミステリ
後書きを読むと、「一介のミステリーファン」であり、(推理小説)論争に言及した本がないので
「研究者の登場を待ちわびていたのだが、気配が感じられないので非力を顧みず自分でやってみた」とあり、
それだけで頭が下がる思いです。

構成が直近の論争から過去へと遡る形になっていて、
最後は明治の論争とだんだん古臭くなっていくのがちょっとヘンかなと思ったのですが、
著者としてそれは計算のうえで、
「昔から同じような話で論争していた」というメッセージのようです。

戦前から戦後にかけて日本ミステリ界の論争においてのキーパーソン(?)は木々高太郎ではないか。
掲載雑誌の編集者がお膳立てしたこともあるが、やたらに先輩作家へ論争をしかける
(戦前には甲賀三郎、戦後は江戸川乱歩)。

横溝正史の「探偵小説五十年」所収「木々高太郎氏追悼」には、
木々高太郎と深いつきあいは無かった、という断りをいれた上で
「非常に強引な性格のだと人から聞いて…」、
「毀誉褒貶もまちまちな人だった」などと書いています。

乱歩の「探偵小説四十年」には戦後の
「江戸川・木々論争も、木々高太郎の理想とするものが分からないのであとが続かなかった」
と書かれていて、理想は高いけれど・・・という感じが伝わってきます。

戦後の「都筑対佐野洋」の名探偵論争が巻頭を飾っていますが、ミステリの本質についての対論というより、
都筑道夫と佐野洋の創作マナーが違うだけの話、という気もします。
ジャンル小説の枠をも一種のミスディレクションとして使う都筑(ゆえに「枠」を重視する)と、
小説正統派の佐野が互いの創作方法を述べ合っているだけなのでは?




文学の論争といえば、
昔「BOOKMAN」(瀬戸川猛資編集)の29号「特集 オール未発表企画 終刊前の「特集」サービス特集」で、
「その6 文学論争の研究 『太陽の季節』論争の分析」という企画ページが。
「太陽の季節」は前東京都知事石原慎太郎の昭和31年の芥川賞を受賞した作品です。
この選考会議で舟橋聖一が「(「太陽の季節」が)美的節度の欠如というのはどういう意味ですか」と詰め寄ると、
「君が書いている小説みたいなものだよ」と佐藤春夫が言い放つほど、
激しく対立して険悪な雰囲気になったそうです。楽しそうだなあ。
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