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チラシの裏

バンコランがクビになったわけ

2012年04月07日 | JDカー

カーの初期におけるバンコラン4部作において、最初の3作「夜歩く」「絞首台の謎」「髑髏城」と、
4作目の「蝋人形館の殺人」とは、謎の重層度が格段に違います。
最初の3作は凡庸な犯人あてミステリの域を出ていませんが、
「蝋人形館の殺人」にはカーが後に発表する傑作の予感を思わせる部分があります。

バンコランは彼自身の性格設定が災いして、
物語の途中でプロットを割ってしまうというやっかいな行動をとることがあります。
高慢なバンコランが事件の謎に悩むことなどありえず、
たえず事件と関係者には上から目線で対応するのがバンコランであり、
それがハッタリではない証拠にときおりバンコランが事件の謎を差し支えない程度にバラすことが必要となります。
しかもワトスン役のジェフ・マールによる一人称という形式を選んだがために、
ジェフ・マールの見聞きしたものは当然書かれなければならなくなり、
せっかく苦労して考えたプロットを探偵(バンコラン)が物語の途中で開陳することに、カーは嫌気がさしたのでは?
だから、フェル博士やHM卿のような後見役的探偵を設定しておき、
物語への介入役は状況を分かっていない主人公たち(ランポール、ケン・ブレイクなど)にまかせ、
かれらの三人称という形式を選んでプロットを可能な限り読者から隠すようにしたのではないでしょうか。

もちろん例外もあって、「貴婦人と死す」は登場人物の一人称で書かれています。
これは、「一人称で書くこと」が一種の犯人隠蔽トリックとなっていて、
足跡トリックよりこっちの方をもっと評価されるべきかと思います。

「蝋人形館の殺人」はジェフ・マールの一人称形式ですが、
のちの作品の萌芽が見られる転換点とも言える作品ではないかと思います。
定説では次作の「毒のたわむれ」が作風の転換点と言われているようですが、
すでに「蝋人形館の殺人」においてカーは行く方向を見極めていた、とも言えます。



ところでジェフ・マールの一人称による「毒のたわむれ」も昔読んだのですが、
訳のせいかなんだかよく分からないんです。
意外に佳作ではないかという予感がしますので、ぜひ改訳していただきたいですね、創元さん。


※創元版「蝋人形館の殺人」の祝重版!
みな新訳を待っていたんですね。あと、かっこいいバンコランを描いたジャケイラストだったからでしょうか。
そういえば、「絞首台の謎」の解説にバンコランの絵が載っていました。



サリーちゃんのお父さん似のお茶目なちょい悪オヤジ風バンコランに
ガッカリした記憶が(武部本一郎先生ごめんなさい)。
永井豪先生あたりに、中年になった飛鳥了みたいなのを発注して欲しかったような。(飛鳥了をご存知ない方はデビルマンで)

今の時代ジャケイラストは重要ですから。そう考えると「帽子収集狂」はちと残・・・
次の配本は「皇帝のかぎ煙草入れ」(5月刊)だそうで、ジャケイラストは貞淑な人妻イヴか、かっこいいキンロス博士か・・・

■蝋人形館の殺人 ディクスン・カー 創元推理文庫
■毒のたわむれ ディクスン・カー ハヤカワポケミス 
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