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チラシの裏

首のない女

2019年07月31日 | ミステリ
「首のない女が欲しいの」
そう言ってマーリニの店を訪れた謎の女。
「創元推理文庫から出ていた、もうずっと絶版で復刊希望のトゥイッターに何度も書いたけれど再刊されなかったやつ。
ああ、腹しょぼうから出るのね、意外に安いじゃない」

裏表紙のデザインは昔のポケミスを意識していますね。
製作総指揮ってスピルバーグか松本零士か。
「なんといっても女は首がないのに限る」

冗談はともかく、
精文館書店で買いましたから、コンシューマーとして言わせてもらえば、
こんなにつまらない探偵小説は久しぶり。
なぜ、こんなにつまらないのか。
その答えは、たぶん
「自分の書きたいことしか書かずに、読者が読みたい場面、筋を書いていないから」
だと思います。

以下ネタバレもあります

各章のエピソードは面白いと思うものの、
肝心の犯行場面(ブランコから墜ちる場面)を描かずに伝聞で済ましているうえに、
事件の先ぶれとなった、ナイトクラブからの消失場面も伝聞で終わっている。
どれもちゃんと描かれていたら、面白そうでしょ?
それを書かずに、伝聞で済ましているところは、
ほかに書きたいことがあるのでは?と思わせてしまう。

全体の構成が、つねにマーリニと私の視点で固定されていて、
ほかの視点は最後までありません。
つまり、マーリニがスト―リーの中心にいることになるわけで、
著者の分身が2人も登場する(ロスとタウン)ことは、
マーリニさえも著者の分身(著者の芸名がマーリニ)であり、
マーリニ以外はボンクラばかりで、ひたすらマーリニの自慢話が続くのは、
マーリニである著者が名探偵になりたい欲望をかなえる世界であったわけで、
下種な言い方をすれば、かっこいい自分をかっこよく見せたい、という自己充足的な欲望の表れであり、
エンタティメントとは程遠い自慰小説ではないかと思えます。

小説だから著者の書きたいことを書くものではあるけれど、エンタティメントである以上、
読者を楽しませるものが要求される。
クイーンの「アメリカ銃の秘密」に挑戦したような
「観客も含めた容疑者たち」というスケールの大きな話になり得たのに、
マーリニが裏方でドタバタしているだけなのは、ほんとに残念。

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