それでも・・

ここに日々の全てを記す

今の精一杯

2014-01-07 16:01:11 | 日記
昨晩も仕事だった、

こっちの現場は今年初だったので
ちょっと間が空いたので
どんなもんか
心配だったが

それほど大きな変化もなく
今年もスタート

無難に朝を迎えた。


ところが朝になり

思わぬ時間にメールが入る、

昨日だか、一昨日だかに書いたことが
現実となって俺の前に現れる。


会社に行きたくない病

患っておりますか



あれこれ考えます。

俺と同じ悩みの人でも
この状態にはなりがちだろう、

それで会社を辞めていく人も沢山居るだろう、

どうやって乗り越えて行くかも
それは人それぞれだし

正直、俺の言葉で相手を変えることは
難しいのかもしれない、

ただ、

今の俺の精一杯を
言葉にして
返事は書く



これは
俺の昔からの
ことなんだけど

俺は他の人からすればある意味では変態なんだろう。
でも、俺はその部分のおかげで
今もこうしていられると
実感している、

それは独り言
なんだけど


俺は一人で居る時には本当によく独り言を言っている。

出かける時の車の中とか
仕事中とかも

部屋に居る時もたまにそうなるけど

で、
独り言と一言で言っても
実際のところ
これには色々な種類があってね、

俺のする独り言っていうのは

テレビを見ててテレビの人に突っ込みを入れたりとか
そういうものではないんだ、

俺の独り言というのは
もう一人の俺との対話、
なんだよね。


一つのお題に対して
本来の自分というか
A案の自分とその対案のB案の自分が
自分の中で議論するというか
討論するって感じかな、

だから、俺の行動の方向性は大体この独り言の中から決まってくる、

それは言ってみれば
大抵の人は一つの案を
浮かんだら誰か他の人に話したりするだろう、
それで
そこで否定されたり受け入れられたりっていう
選択を受ける、

でも、俺は俺の外に出す段階では
俺の中での激論を経た後なので
既に簡単に否定されたり論破されるような
理論破綻をしない状態で出てきている、

だから俺自身が既にこれしかないっていう
結論をある意味では出している、

つまり、そこまでに破綻した論は
とっくに俺の中では無理だという判断になっているわけで
この独り言の時間は
俺にとってはとても有意義な時間なわけね、

更に言うと

大事なことは
俺の中に
二人の俺が存在する、
ということが
とても重要なんだなと
他の人の考えを聴いててこの頃感じる。

この二人の自分というのは
まるで二重人格だと
言っているみたいになってしまうが
決してそうではなく

これも話せば長くなるが
俺は子供の頃からよく暇な時間があった、

誰も遊び相手が居なくて
一人でよく遊ぶことがあった。

たとえばトランプだったり
なんとかごっこ、だったりゲームだったり

普通に考えればトランプやゲームを一人でやるっていうことは
あまり面白いことではないと思うんだ、
だって
相手が居て成立することなわけだから

ところが俺はそれも一人で遊んでいた、

その時から

たとえばごっこ遊びにしても
ゲームにしても
俺と
俺じゃない考えの人間、

違ったロジックをする、全く逆の考えや行動パターンの架空の人物を
演じるという
作業をしていたんだと思う。

そのおかげで
ゲームやごっこ遊びは成立していたし
それ自体は楽しかった、

それが今になってみれば
自分とそうでない、自分の考えではない自分を仮定して
考えをめぐらせることが
出来る様になったのかもしれない、

人前に居る時は
一人の人格でしかない、
いつもの俺
なんだけどね。

思考をする時だけは逆の俺を出せるって
感じかな

さっき書いたメールで俺が書いていたのは
ある意味では客観視
ということか

それともう一つの大きなキーワードは
受け入れる、許す
ということかな


まず、

自分に起こっていることに対して
自分の中からではなく
外から見れること

これが結構大事なんだろうね、

痛いよ~

っていうのは自分の中の感覚

ああ、血が出ているわ
さぞ痛いことだろう
顔色も良くないねぇ

っていうのが客観視

簡単に言うとね。

これが俺の中での独り言会話だと
どうなるか、というと

「痛いよ~」

「そらそうだな、
血が出ているもん。」

っていう感じか、

こんな風に自分の中だけで会話が成立する。


でも、普通の人は
後ろの方の言葉は出てこないみたいね。


で、

まぁ大体の病的な感覚になる人

まぁハマる人というか
上手く行ってない人っていうのは
このどちらかの関係が崩れているというか
強くなりすぎていたり
片方の感覚を否定してしまっていたりするんだよね。

正直どちらの感覚も
本人、自分なんだ。

だから否定はあり得ない。

弱音を言う自分も
強気の自分も
両方とも自分であって
そのどちらも無くなっては困るものなんだ。

もう一度重要だから書くけど

両方ともなくなっては困るものなんだ。


だからどちらかを消すという考えは必ず破綻するし
正常ではない。



俺が過去に出会ってきた人たちでも

沢山いいことを言っている人は居たんだ、

でもその人たちに
俺は、でもこの先気をつけないと・・・
って言ってきたのは
多分上のことが
あったからなんだと思う。

これもまたデジタルアナログ理論と同じなんだけど
バランス

1か0の答えはいい結果にはならないんだ。
残念だけど





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