それでも・・

ここに日々の全てを記す

3/12

2013-03-12 15:17:08 | 日記
徐々にだけど

動き出したなぁ

とりあえず、二年前にも廃車した業者に見積もりを取った、
もう車検がほとんど残っていないのに買い取ってもらえるみたいだ、

こっちが金を払うんだろうと思っていたから
少しでもお金くれるなら
そこへ持って行くかな

自転車は発送になっているから今日中には届くだろう

はぁ・・・・

いよいよか


もう戻れないな

再び車に乗れる日がくるかなぁ

まぁいつかは戻ってこれるかもしれないけど
ちょっとの間は
人力で頑張るしかないな

無くても電車とか自転車あればどうにかなるよ、って
よく言われるんだが
俺にとってやっぱり周りを気にしないで移動できる手段として
バイクなり車と言うものが存在していたから
それが無くなる生活というのは
高校生以前に戻るということだから
あまり想像できないな

俺にとっては人生のかなりの部分
自分で運転して移動することによって
世界が開けてきたというのがあるから
今になってある意味足をもがれることで
俺にどんな変化があるか

まぁ悲しいというかさびしいと言うか
そしてそれが俺にどんな心境の変化をもたらすか
どこかで楽しみでもあるかな

あの頃

一番わきがという意味では状態が悪かった時期ではあるけど
初回の手術をしたとかの時期

でも、これは今になって
手術をしようとか、悩んでいる人とやりとりをして
思うことなんだけど

俺は初回の手術が中3の時だったので
あのまま何もしないままで成長して大人になった俺を
知らないわけで
もしそうなっていたら
俺はどうなっていたのか?
ということは想像でしか話せないんだよね、

もうかれこれ25年近くは前の話になるわけで
記憶自体もそれほど鮮明ではないし
ただ、俺の身体を何もしない状態で
生活していたら、ほとんど常にあのにおいを放っていたのは
間違いないわけで

夏場なんか風呂に入って出た直後からあのにおいはしていたし
あの時代にあった
デオドラント製品なんてほぼ全部無効だったよ、

唯一効いたと言うか
あれを感じなくなるのは
男性用のロールオンのものだけ
ただし、それ自体のにおいが強くて
それでごまかしている、というものだったけどね、

俺はそれ自体のにおいが好きじゃなかったので
あまりつけたくはなかったんだけど

結局のところ
俺自身がその後も言ってるけど
手術をする前とした後とじゃ
わきがのにおいに関して言えば
間違いなく変化はあるんだよ、

実際にあの頃のままだったら
今回みたいに車とかバイクを失ったら
発狂していたと思うよ。

あの頃の俺は本当に電車に乗れなかったからね、

夏の日なんか
駅のホームまで歩いただけで
自分でもばっちり感じるくらいあのにおいが周りに充満していたからね、

それを知っているからこそ
昨今の手術をしたいと言っている人のレベルを
実際に会って感じて
手術した方が良いと勧める人なんかいないって思うんだよね、

部屋に入った瞬間にわかるよ、
っていうのは自分がそうだったからね、

まぁ今でも0じゃないんだろうけどさ
それでも自覚の部分ではほとんどわからなくなってしまって

それ以降は違う形で同じ悩みを
持ち続けるという
ややこしい形にはなったけど

あのままだったらという流れは有り得なかったからなぁ


自覚が出来なくなった時点で
ある意味自分が自分に対して責める、という意識は
だいぶ薄らいでいくもんなんだよ、

もっとも厳しいのは
自分が自分を責めてしまうことでね、

他の人であれこれ言ったり態度を出してくる人は
もちろん居るだろうけど
そういうのはある意味で自分から隔離することで
回避はできるんだ、
でも、自分自身が自分を責めるのは
常に一緒にいる分
回避することができないので
一番苦しいんだよね。

俺にとっては
自覚が薄くなった時点でかなりの部分で解放はされてはいたと思う、
でも、
まわりは相変わらずだったんで
おかしな矛盾と今でも戦ってはいるけど
そこからも
解放されたいと今でも思っているから

でも、それは答えを相手に求めてもダメなんだな、とは
思うようになったな、

上でも書いたけど
回避するのは自分の方が回避すればいいわけで

それは生活の環境だったりスタイルだったりを変えれば
別にずっと嫌がっている人と一緒にいないといけないわけじゃない、って
思えるようになったんだよね、

そういう意味で免許を取って一人で好き勝手に移動出来るようになったことは
俺の世界観を広げてくれるものだったな、

それを一時的とはいえ失う
って言う意味で

色々考える状況になっているね。


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