それでも・・

ここに日々の全てを記す

7/19

2011-07-19 18:23:27 | 日記
台風きてるね、

朝も仕事で外に出ないとならなくて
しょうがなく出たら
途端に雨降ってくるし、

びしょ濡れになったな、

明日の予定は決まらないし

とりあえず
レポート落としたからと言って
止まってはいられないので
今日受ける予定だった小テストは受けて
合格は取った、
これで最終試験になるんだけど
この教科も
ほとんど頭には入ってないな、
多分ここは単位を落としはしないだろうけど
理解度的には相当低いから
これでいいんだろうか?
って感じだけどね、

さっきはああやって書いたけどさ、
俺自身が
そういう人間だからしょうがないんだよね、

軽い人間っていうか、
ノリで生きているのかもしれないって言うか、

今、仕事としてやっていることでも
整備に関してもそうだけど
浅く広く、というか
事細かな事まで記憶していないっていうかさ、

日々数多くの出来事であったり
新しい情報が入ってくる、今の世界で
ココっていう狭い世界だけの情報を
より深く記憶してても
あんまり俺には役に立たないっていうかね、

まぁ、あと
知識を入れておいてそれが本当に俺の中で
自分の物になってくるのって
実は相当時間が経った後だったりするんだよね、

整備の時もそうだったけど
学校に行ってる時には実はちんぷんかんぷんで
やっていた事とかが結構あってさ、
でも、その後自分で車いじったりバイクいじった時に
初めて
あ~あの時やってたのってこれか、
みたいなね、
理解するのがかなり後になって、なんてことも
実は結構あるんだよね、

あとはそうだなぁ
これもさっき書いたけど
今回のことでというか、
なんていうか、

もう、臨床心理士を目指さなくてもいいのかなって
いう感じになったかな、

俺自身がカウンセラーとして仕事をしようという気は
大学に入る前から
ほとんどなかった、
でも微かにはそういう方向性もありなのかなとは
思ってはいた、
でも、臨床心理士という資格は
まず、国家資格ではなく
取るためには院で修士は取らないと最低でも
なれない、

そして医師の免許と違って
更新性というか
常にこのレポートを発表し続けなければならないという
責務があって
本当の意味で人を救うというカウンセラーと
いうよりは
実験の研究を発表するという
研究者としての意味合いのほうが強いんじゃないのかな
っていう気がしていたんだよね、

人のことを救うというか
関わるってことに
職業意識がなければ
別に資格は要らないし
プロじゃないから信用が無いって
言うかもしれないけど
本当に必要とされる人に
お金とか信用とか資格とか関係ないから

誰にでも好かれようって
思ってない、

誰でも何とかできる、なんて思ってない、

俺と縁がある人だけ
なんとか変えれる人だけ
変えられればいいんだよ、



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はぁ

2011-07-19 09:20:05 | 日記


それは突然やってきた。

こんな時間に更新してるが
あまりに凹ったんで

大学にログインしたら
レポート返ってきてたんだ、

いつものように履修を確認

そしたら
また、見たくない文字の羅列が
下のほうにずらずら書いてあるんだよ、

返却から何日経っています、
まだ出せません、とかさ


すぐ解ったよ。

また不合格だったんだ~ってね

でもさ、
再提出なんか
もう出来ないのさ、



できないのさ~~


今年初、
いや人生初、
単位落としました。

やるなぁ~
心理測定法

前にネット彷徨ってて落とした人、見つけたこと
あったけど
まさか俺自身の身にも降りかかってくるとはねぇ

数日前にmixiで偉そうに質問に答えちゃって
俺自身が落としてりゃ世話ないよなぁ、
そのくせまともに質問にも答えてあげられてなかったし、

俺、何やってるんだろうな


自分で追い込むタイプなので
こうなるとタチが悪いと
読まれている方は感じているかもしれませんが
それも俺の中では想定済みですので

嬉しくないけど
自慢できるところは
自虐してもちゃんと自分自身で慰めてますので
セルフコントロールできるところは
ある意味、今までの経験なのかもね、

まぁ、前からちょこちょこ書いてはいましたが
これが現実であり
実力なんです。

つまり、レポートは書けない、
てきとーに出してる、
理解もそんなにしてない。

レポートに関しては
あの2月だったかな、
ヘルパーのレポートにダメだしされた時から
いつかこういう日が来るだろうな、とは
思っていたので
来るべき時が来た、と言ったところでしょう。

それに俺自身の
性格というか
タイプは
某占いにも書いてありますが
自分を低く見せて周りから文句を言われるのを
回避するタイプ、
つまり打たれ弱いタイプだから
自身こうやって書いてますが
実際はかなり凹んでいると思う、

だからと言って
これでいきなり全て嫌になって
勉強全部放り出すかと言えば
そんなこともなく、
今年取れる単位は全て挑戦することを止める気は
さらさらありません、

ただ、俺の欠点というか
これが現状の限界だとは感じましたね、


ここからはどう感じるかは
読んだ人によって違うでしょうが

なんで世の中で学校って大事だって言われているのか、
もう少し言い方を変えるとすると
大学に行ったほうがいいと言われる所以というか

そういう部分、

つまり教科書を読んでテストに答えるだけが
勉強ではない、
というそういう部分、

ちょっとあまりいい例とは言えないかもしれないけど
とても、機転の利く子だったり
友達付き合いの盛んな子だったりすると
極端な話、学校へはほとんど行かなくても
代返してもらったり
ノートを写させてもらったりという
正規の方法でなくても
履修へ向かえたりする、

でも、まるで人間として周りと接点を持ってこないと
そういう方法はなく
限りなく一人で考え、全てを一人で解決しないとならなくなる、

3人寄れば文殊の知恵という言葉があるが
一人で挑むことの限界、というか

俺という人間の限界がここなんだな、とは
今、ひしひしとは感じている。

そして更に言うならば
このレポートのせい、
でと限定的には言えないが
俺の中で今のままじゃ
臨床心理士に進むことはないな、という
決定的な傾きを
感じたかな、

残念なことに
俺自身、頑固者というか
ここだけは変えたくない、みたいな拘りが
現状ではあるらしく、

そうだな、
俺にとってこの書くこと、
特に文章に関してね、

これは画家の人が絵を描くのと同じ
イメージがあるんだ、

つまり、コレも一つの作品なわけでね、

だから、人に添削は本来されたくはなく、
書き直しもないんだよね、

感情をそのまま放出している、と言う感じだから

もう少し書いてしまうと
レポートを書くスキルをつける、
ということは
俺自身が俺自身を曲げられてしまうことにも
ある種なるわけで
いいレポートが書けるようになると
それはつまり
俺の現状やっている書きたい事を書くという
スキルはなくなる、ということな
気がしてね、

ピカソ、とは言わないが
ジミー大西がきちんと美大に行って
美術を勉強して完全マスターしてしまったら
彼の絵はすばらしい物と果たして言えるだろうか?

という言葉を今の俺は残しておこう

そして
更にここ何日か、書いてきたけど
本当に
人に影響を与えるような存在ってのは
言葉でも論理でもなかったりするんだ、

それは勉強してどうにかなるもんじゃないって
俺は思っている、

残念だけど整備をやってて
思ったこと
俺はいっつあんにしかなれなかった、って部分。

これに集約してる、
勉強してどうにかなる部分とそうでない部分を
感じたってことね、


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