それでも・・

ここに日々の全てを記す

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2009-01-17 17:06:35 | 日記
仕事期間中日
今回の3連勤そしてもう3連のあと
4連で終わり

ここんところ長い時間睡眠時間が取れなくて
寝ると4時間で目が覚めてしまう、
だいぶ昼間の生活リズムに戻ったらしく
夜中仕事中に眠くなることが多い、

昨日も一人になってから
かなり眠くなり
コーヒー飲んだり
飯食ったりと
なんとか頑張ったが
半分は寝ていた、


バイクで帰宅途中
また見つけたくないものを見つけてしまった、
Fフォークオイル漏れ

また右
なんでいつも右なんだろう
まぁ右だけブレーキ付いているから
そのせいなんだろうが
オイルシールをもう買って3年で
3回目の漏れだと思う、
毎年漏れている計算だ、

俺の打ち込み方が下手ってことか?
やっぱりこの冬から春先が多いから
ゴムが劣化するってことなのかもしれないが

それにしても
パーツ代はそれほど高くはないんだけど
フォークオイルと作業の面倒な点が
問題だ、

保険を入れて乗り続けるか
考えている時期だけに
困ったな

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学生時代後半

2009-01-17 14:27:44 | 過去のこと
高校は工業でほとんど俺の行っていた科は
女子がいない
当然俺のクラスは全員男だった、

本当なら悔しがるところだが
あの頃は何となく嬉しかった、

中学の時に大抵俺のことを指摘しだすのは
いつも女子だったこともあり
女性にはこの先ある種の恐怖感というのを
持っていたと思う、

その割には生きている目的は
女性に愛されたい、
なんて思い、
好きな子がいるから生きていられると
当時は当たり前に思っていたし
それがあったから今の俺がいるとも言える、


高校は中学に比べれば比較的穏やかだった、
3年間クラスが変わらないというのも
どっちかと言えば俺に得に働いたのかもしれない、
決して身体のことがなくなった
わけではなかったが
この時の環境にいた人達が
大人な人達というか
学生なんだけど親やその周りの環境が
複雑な人たちが多かったというのもあったのか
寛容に受け入れられていた気がする、

ただ、やはり中学の時、きっかけになった
旅行にだけは
どうしても俺自身嫌な思いがあり
一度目はサボった、
そして二度目は行くには行ったんだけど
この時もやっぱり大変だった、

帰りの新幹線は岡山から東京までデッキで
一人外を見ていたのは
今となってはいい思い出かもしれない、


中学の時に比べれば順調だった高校だったが
3年はあっという間にでもないが
過ぎ
進路を決めなければならなかった、
工業だったこともあり
ほとんどの人は就職だった、
でも俺は今よりも長い時間拘束されて
行けばいいだけの学校じゃなくて
更にそれ以上を求められる環境で
やっていけるなんて自信がさっぱりなかった、

ある意味逃げに近い形で専門学校へ進んだ、

もちろんその分野に興味がないわけではなかった、
資格も取れるなら欲しかった、
純粋に勉強したいとは思っていた、
でも、
俺と言う存在がそこにいるだけで
全てが壊れてしまうなら
それは俺にとってはただの苦痛でしかないし
いくらやっても楽しいと思える日は
永遠にこないだろうと思っていた、

専門学校は二年間通った、
文部省の管轄ではない学校なので
夏休みが短かったり
大学のように休校を沢山取れるような学校ではなかった、
でも、自分の都合で
嫌になったら帰ったりしていた、
この頃はようやく俺も
いい意味でも悪い意味でも「抜く」
ということを覚えたようで
授業はかなりサボって
補修を沢山受けて単位を取っていた、

それでも二年の夏前くらいだったろうか
ついに恐れていたことが起こり
クラス中に指摘されることになってしまった、

学校に行くのが苦痛になり
かなりの時間をサボったと思う、
いい加減どうにもならなくなり
先生との話し合いになり
本当の理由と俺の気持ちを話した、

先生から言わせてもらえば
その程度の理由で辞めるなんて・・
もうすぐ卒業なんだし
ということで
説得をされ
その間の詳細な経緯は忘れたが
何でか最後は胸ぐら掴んで殴りかかる
状態になり
殴りはしなかったが
答えは平行線のまま
親を連れて退学の手続きをする段にまでなった、

その手続きのほんの何日か前に
クラスの人から電話をもらい
「何で休んでいるんだからわからないけど
戻ってこいよ」
と心配され
この言葉で退学するのを思い止まった、

俺の中で思っていた一つの認識が
間違っていたと思えたから
多分戻ったんだと思う、

大した理由ではない、

俺は全ての人が邪魔だと思っていると
思っていた、

でも少なくとも電話をくれた人は
まったく俺のことを嫌悪していなかった、
というか
事情をわかっていなかった、

それに時期的に既にクラス全体で
授業を受けるという時期は終わっていて
資格対策の個別授業の時期に入っていたので
出席のみ確認する自由登校に近い形になっていたというのも
最後まで行けた理由だったのかもしれない、

おかげでその時期に貯まった補講を
長い時間個別で受けるはめになったんだんが
おかげで
無事俺は学生時代を退学という文字なく
終えることができた、


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