Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●「我々はいまだに核軍縮の取り組みを行っていない国々に対し、全廃という最終的な目標に向けて核兵器を削減するよう求めていく」…誰の言葉?

2023年08月31日 00時00分37秒 | Weblog

[↑ 雑誌「TIME」(2023.5.22・29)… (TBS NEWS DIG)《「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しは政府の申し入れのあと、変更》(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/481736?display=1)]


(2023年08月09日[水])
アノ広島サミットの際の怒りが再び沸き起こる…サーロー節子さん「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と批判。

   『●広島サミット…サーロー節子さん「自国の核兵器は肯定し、対立する国の
     核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と批判

 琉球新報の【<社説>長崎原爆投下78年 核兵器禁止条約に参加せよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1762565.html)。《きょうは長崎に原爆が投下されて78年となる日だ。核兵器による大量無差別虐殺の歴史に向き合いたい。唯一の被爆国である日本は核兵器の全面違法化を定め、廃絶を目指す核兵器禁止条約に参加し、核のない世界の実現に具体的な道筋を示す必要がある。広島市の松井一実市長が6日の平和記念式典で発した平和宣言は核抑止論について破綻していることを直視し、為政者に脱却を促すことが重要だ」と痛烈に批判した。5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で取りまとめられた核軍縮文書「広島ビジョン」が核抑止論を肯定していることが背景にある。宣言は、日本政府に核兵器禁止条約の締約国となることを求めた。核軍縮がなかなか進展しないばかりか、核兵器使用への懸念が現実味を増す中、国際社会で日本が役割を果たすよう迫った》。

   『●烏賀陽弘道さん『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了
    《「兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。
     その双子の兄弟「原発」……」》
    《3 核技術が生まれた砂漠
        原爆が誕生した砂漠の実験場へ
        1945年7月16日、世界初の核実験が成功した
        原爆の父、オッペンハイマーの苦悩と蹉跌》

 琉球新報のコラム【<金口木舌>惨状忘れた「バーベンハイマー」】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1762636.html)。《米国の物理学者オッペンハイマーは原爆開発を主導したことから「原爆の父」と呼ばれ、科学者の社会的責任を論じる際、あしき例として挙げられる。一方で戦後は水爆反対の先頭に立ち、公職を追われた》《…私たち人間は核兵器の恐ろしさを忘れず、廃絶への道を歩むしかない ▼きょうは長崎原爆の日。未来永劫(えいごう)、人間が最後に原爆を使った日になることを願う》。

 日刊ゲンダイのコラム【斎藤貴男 二極化・格差社会の真相/松井一実・広島市長の「平和宣言」を聞き流した岸田首相のただひたすらの平伏】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/327211)。《世界の指導者は、核抑止論が破綻している現実を直視し、具体的な取り組みを早急に始める必要がある。為政者らに核抑止論からの脱却を促す市民社会の役割もまた、より重要になった——。松井一実・広島市長が発した「平和宣言」は、例年以上に踏み込んだ内容だった。広島原爆の日に催された…》。

 日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/「核兵器のない世界」努力伴わない岸田発言】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202308090000052.html)。《またロシアがウクライナに対して核使用をちらつかせたことに“我々が認めた核以外は認めない”を打ち出した。G7の限界といえばそれまでだが、広島で宣言した意味はない》。

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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202308090000052.html

コラム
政界地獄耳
2023年8月9日7時21分
「核兵器のない世界」努力伴わない岸田発言

広島選出の首相・岸田文雄は核についてさまざまな発言をしている。今年5月の広島サミットで出された核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンでは「核兵器のない世界の実現に向けた我々のコミットメント(関与)を再確認する」というものの、「核拡散防止条約(NPT)は国際的な核不拡散体制の礎石であり、核軍縮と原子力の平和的利用を追求するための基礎として堅持されなければならない」「我々の安全保障政策は、核兵器はそれが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、ならびに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている」とG7の理屈を結論とした。またロシアがウクライナに対して核使用をちらつかせたことに“我々が認めた核以外は認めない”を打ち出した。G7の限界といえばそれまでだが、広島で宣言した意味はない

★6日、広島市で会見した首相は、この広島ビジョンが核抑止体制を前提にしているとの批判に「国の安全保障を万全にし、同時に現実を『核兵器のない世界』という理想に近づける。このロードマップ(工程表)を示すのが政治の責任」と苦しい反論といえる。では16年4月9日付で、当時の岸田外相が米CNNに寄稿した「核兵器のない世界はまだ実現できる」は何だったのか

★「世界の核兵器保有国が自ら核兵器を廃棄するとの考えに対し多くの疑念があることは承知しているが、私は日本の外相として、また広島の出身者として、核兵器のない世界という目標は達成可能であり、それに向かって努力しなくてはならないと心から信じている」「我々はいまだに核軍縮の取り組みを行っていない国々に対し、全廃という最終的な目標に向けて核兵器を削減するよう求めていく」。結構な話だが、その努力を見たことがない。(K)※敬称略
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●烏賀陽弘道さん『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了

2014年03月10日 00時00分59秒 | Weblog


『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』、3月に出張往復の機中で読了。烏賀陽弘道さん、文と写真。ビジネス社。2013年7月1日第1刷。
 英語のタイトルの方が本書の中身を表現しているかもしれない、"Road from Hiroshima to Fukushima: Histry of nuclear technology transfer from the US to Japan"。

 「Nucler=核=原子力」を納得させられる。「核=悪」、「原子力=善」を使い分けてきた我国、世界でも稀なその独特の心理。でも、その本質は全く同じであり、「核兵器=原子力発電」。ヒロシマナガサキの「被害者」としての感情の陰に、戦争の加害者」としての反省が曖昧にされたこと。そして、東京電力原発人災で核技術の加害者」となったことへの戸惑い。
 「兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。その双子の兄弟「原発」・・・・・・」。そう両者は双子の兄弟。「アメリカは、臨界状態をつくり出して自然の中に眠っていた核エネルギーを引っ張りだすところから始まって、原爆をつくり、爆発させ、原子炉に閉じ込め、それを発電所に設置しそれが全国や世界に普及していくところまで、全部ひとつながり」。核分裂のエネルギーを放出させるか、原子炉の中に閉じ込めるかの違いであり、原理的には全く同じ。
 「核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人をいないこと」にしてしまった。原発と核兵器の「血のつながり」を論ずることはタブーになった」。

 最終章第10章の最終節「「事故は起こりえない」という欺瞞」で、烏賀陽さんが考えたこと、感じたこと:
   (A)核技術はアメリカなどの広い国土で生まれ育った。
   (B)アメリカは核技術の最悪の姿を知っている。
   (C)情報公開が各技術にも浸透している。

 東京電力原発人災で、核技術の「加害者」として、上記(A)~(C)を思い知らされた。ブログ主の印象としては、(A)から、狭い我が国では、日本中が「地元」であること・・・・・・・・・、(B)から、チェルノブイリスリーマイル島JCO臨界事故で何も我々は学ばなかったこと、特に、技術者の「安全神話」という傲慢・欺瞞・・・・・・・・・、(C)から、スピーディー SPEEDISPEEDI)は言うまでもなく、隠蔽体質・・・・・・・・・。

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http://www.amazon.co.jpの商品説明】


内容紹介                               

「戦争」と「アメリカ」を親に生まれた双子の兄弟「核兵器」と「原子力発電」の歴史を訪ねアメリカ全土を取材。

日本に未曾有の災厄をもたらした原発の故郷から見えた「核」の歴史をリポートする。著者による貴重な写真も多数掲載。

兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。
その双子の兄弟「原発」は、なぜ日本へやってきたのか?
福島第一原発の故郷を訪ねる旅の記録。

アメリカは、臨界状態をつくり出して自然の中に眠っていた核エネルギーを引っ張りだすところから始まって、原爆をつくり、爆発させ、原子炉に閉じ込め、それを発電所に設置しそれが全国や世界に普及していくところまで、全部ひとつながりの「自国の歴史」として体験している。
「核兵器」「原子力発電」はどちらもアメリカ生まれのアメリカ育ち、メイド・イン・アメリカ。純粋アメリカン。そう言ってもいい
日本は「核兵器」と「原子力発電」という双子の兄弟のうち、原発だけを「養子」として連れてきた。それも「アメリカ人がつくった外来技術」を完成品として買ってきた。「技術をゼロから作り上げるプロセスを飛ばして
そして核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人を「いないこと」にしてしまった原発と核兵器の「血のつながり」を論ずることはタブーになった。(本書から抜粋)


内容(「BOOK」データベースより)
兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。その双子の兄弟「原発」は、なぜ日本へやってきたのか? 福島第一原発の故郷を訪ねる旅の記録。


著者について
ジャーナリスト。1963年京都市生まれ。86年京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。5年間の新聞記者生活を経て、91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。同誌では音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領選挙などを取材。03年にフリーランスになり書籍を中心に執筆活動を続けている。3.11後は岩手県、青森県、福島県の津波被災地で取材したほか、福島県に通い続けて原発災害の実態を記録している。著書に『報道の脳死』(新潮新書)、『原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか』(PHP新書)、『福島飯舘村の四季』(双葉社)など。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

烏賀陽弘道ジャーナリスト。1963年京都市生まれ。86年京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。5年間の新聞記者生活を経て、91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。同誌では音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領選挙などを取材。03年にフリーランスになり書籍を中心に執筆活動を続けている。3.11後は岩手県、青森県、福島県の津波被災地で取材したほか、福島県に通い続けて原発災害の実態を記録している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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 目次は以下の通り。

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 1 旅立つ前
     なぜ、日本に原発があるのか?

 2 日本に原発をもたらした父
     日本原発史の生き証人、伊原義徳
     アメリカの国家戦略「核の平和利用」の名の下に
     すべてはマンハッタン計画から始まった

 3 核技術が生まれた砂漠
     原爆が誕生した砂漠の実験場へ
     1945年7月16日、世界初の核実験が成功した
     原爆の父、オッペンハイマーの苦悩と蹉跌

 4 イタリアから来た男
     シカゴ大キャンパスのど真ん中に作られた原子炉
     ノーベル賞とアメリカ亡命
     戦時下の核開発戦争
     核エネルギーを手にした人類は原爆への一歩を踏み出した

 5 初めての日本人留学生
     核技術の学校に世界各国の人材が集められた
     1956年、日本初の臨界実験が成功

 6 濃縮ウラン工場の街で
     現役の軍事機密都市、オークリッジ
     ウラン濃縮に1万トンの銀と国内の10分の1の電力を投入
     原爆の原料をつくった人

 7 原発のふるさとアイダホ
     世界で初めて発電に成功した原子炉を訪ねて
     原子炉をぶっ壊す広大な実験場
     初めての死者を出した事故はアイダホで起きた

 8 核エネルギーを潜水艦エンジンにした男
     世界の歴史を変えたアメリカ海軍軍人
     「核の抑止力」に絶対不可欠な兵器、原子力潜水艦
     原潜の父はスリーマイル原発事故に何を思う?

 9 そして日本へフクシマへ
     日本初の実験炉の燃料とともにアメリカから運び込まれた
     日本の原子力行政第一世代の悔恨
     日本原発史とともに人生を歩んだ人、豊田正敏
     なぜフクシマに原発が建てられたのか?
     福島第一原発は地震や津波を想定していなかったのか?
     原子炉は潜在的に危険なものであるという認識

10 旅を終えて
     「核兵器」と「原子力発電」は同じ技術から生まれた
     「事故は起こりえない」という欺瞞

   年表
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