東京新聞の社説【週のはじめに考える 「福島」が伝わらない】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080902000126.html)
「「同じ思いをしないで」と福島の人は願っています。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)原告団のメンバーが、九日から川内原発のある鹿児島県薩摩川内市を訪れ、集会などに参加する。原発は経済的なメリットと引き換えに「ふるさと、生業」を失い、未来を描けなくなるという現実を伝えるために。 ◆原発さえなかったら」。
「原発さえなければ」・・・・・・。東京電力原発人災の経験は全く活かされず、川内原発を再稼働。愚かすぎる。
『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」』
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」』
「「原子力郷土の発展豊かな未来」・
「原子力明るい未来のエネルギー」・
「原子力正しい理解で豊かなくらし」・・・果たして
「豊かな未来」「豊かなくらし」をもたらし、人々が
生きる「未来のエネルギー」足り得ただろうか?
日本は、「原子力を正しく理解」し、「安全神話」に
再び騙されることなく正しい選択を
しようとしているだろうか?」
『●東京電力原発人災という「原発事故で遭遇した
過酷な経験でうつ状態となり、最終的に自死に至らしめた」』
福井地裁判決をかみしめることもなし。
『●関西電力大飯原発再稼働差し止め、画期的勝訴:
もし敗訴していたら大変なことに・・・・・・』
『●「上級審では国側が勝つこの国の裁判」・・・・・・
今度こそ、福井地裁の名判決を活かしたい』
『●原子力ムラ復権阻止を! 今なら引き返せる!!』
『●関西電力の「原発再稼働」への言い訳にさせてはいけない』
「原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。
極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が
高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえ
にじませているようだ。経済神話の否定である」
「大飯再稼働、差し止め命じる 生存と電気代、同列許さず」
「また、生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には
許されない」ことで、原発事故で豊かな国土と国民生活が取り戻せなく
なることが「国富の喪失」だと指摘。福島事故は「わが国が始まって
以来、最大の環境汚染」であり、環境問題を原発推進の根拠とする
主張を「甚だしい筋違い」と断じた」
「「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの
問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」
として、経済活動よりも生存に関わる人格権を優先した」
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080902000126.html】
【社説】
週のはじめに考える 「福島」が伝わらない
2015年8月9日
九州電力の川内原発が再稼働の見込みです。電力が足りている今、経済が理由のようです。「同じ思いをしないで」と福島の人は願っています。
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)原告団のメンバーが、九日から川内原発のある鹿児島県薩摩川内市を訪れ、集会などに参加する。原発は経済的なメリットと引き換えに「ふるさと、生業」を失い、未来を描けなくなるという現実を伝えるために。
◆原発さえなかったら
原発がある福島県沿岸部の浜通りでも、経済効果はありました。「県内でも貧しい地域で、出稼ぎが一般的だった。原発の建設工事が始まると、地元で仕事ができ、子どもを高校にやれるようになった」と話す人もいます。
東京電力福島第一原発事故で、放射性物質は県境を越えて東日本に広がりました。原発のある大熊町と双葉町、北隣の浪江町の広い地域は、三十年間は戻れない帰還困難区域になりました。
あれから四年五カ月。福島県内では今も新聞やテレビが大量の関連ニュースを伝えています。しかし、県外には届きません。
生業訴訟原告団は今年から原発立地自治体を訪ね、自らの経験を伝えるキャラバンを始めました。
先月、佐賀地裁で開かれている玄海原発差し止め訴訟では、福島県二本松市の農業根本敬さんが意見陳述をしました。自宅は原発から六十キロ離れていますが、「(事故直後)水田の土は一キロあたり五〇二〇ベクレルでした。風評ではありません。実害です」と広域な被害状況を説明。
「相馬市の酪農家は、フィリピンから嫁いだ妻をフィリピンに戻して、黒板に『原発さえなかったら』と書き付けて命を絶ちました」と語りました。
◆記者も知らない、なぜ
酪農家の自殺は、福島県ではよく知られた悲劇です。全国ニュースにもなりました。弁護団事務局長の馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)弁護士は昨年秋、鹿児島県の地元紙記者から取材を受けたとき、この話を記者が知らないのに驚きました。この記者だけか、それとも…。これがキャラバンを始めるきっかけになりました。
「今まで福島以外の人に伝える努力が足りなかった。あらゆる機会をとらえて被害実態などを伝えたい」と言います。
避難計画では、原発から三十キロ圏内を避難などが迅速に行われるよう準備しておく地域「緊急時防護措置準備区域」と定めています。川内原発では、ここに多くの医療機関があります。
福島では、第一原発から二十二キロ南にある高野病院(広野町)が、高野英男院長の判断で、避難をしませんでした。停電、断水にもめげず、約百人の入院患者の命を守りました。
しかし、それは簡単なことではありませんでした。たとえば、給食や清掃は外部委託でした。派遣元の会社は原発に近いので派遣をやめました。子どもと一緒に避難しなければいけないスタッフもいました。残った看護師らスタッフと入院患者の家族までが手伝って乗り切ったのです。同病院は今、避難用のバスを所有し、緊急用の食料や水を積み込んでいます。
高野己保(みお)事務長は、その記録「高野病院奮戦記」(東京新聞出版部)を川内原発から三十キロ圏内の十八病院に送りました。一通の礼状には「うちではできません」と書かれていたそうです。
なぜ、福島の情報が県外に届かないのでしょうか。
災害ジャーナリズム論が専門の近藤誠司・関西大准教授は「原発事故に関する(全国紙の)記事は、二〇一一年に比べて二年目は半分、三年目は三分の一、四年目は四分の一に減った。これは大きな自然災害の報道に共通する傾向だ。量だけでなく、質(内容)も変わる。暮らしなどの現状をきめ細かく伝えなくなっていると思う」と話します。
◆同じ思いをしないで
原発は地域を豊かにする、というのは本当でしょうか。
経済学の観点から原発を研究している清水修二・福島大特任教授は「建設から半世紀の間に福島県に来たお金は、全部ひっくるめて二千八百億円ぐらい」と見積もっています。巨額に見えますが、東電の二〇一〇年度の営業利益は単独で三千五百六十六億円。一年分のもうけよりも少ないのです。
清水さんは、よく講演を依頼されます。どこにでも行って話すことにしているそうです。
「私と同じ思いをしてほしくない、と言って経験を語る人がいるでしょ。以前はそういうのをテレビで見て、ちょっとうそっぽいなあ、と思っていたんですよ。自分が被害者になって、あれは本当の気持ちだと分かりました」
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