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●『イエロー・サブマリン音頭』とビートルズと大滝詠一

2013年03月01日 00時00分45秒 | Weblog


産経系のzakzakに面白い記事が(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130125/enn1301250708000-n1.htm)。

 あるパーティーの席で『イエロー・サブマリン音頭』を聞いた、ビートルズの誰か(ポール・マッカトニーだったかな)を忘れたが、非常に褒めていた、拍手喝采だった・・・・・・。そんなことを、大滝詠一(大瀧詠一)さん自身がラジヲで言っていたことを思い出した。

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http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130125/enn1301250708000-n1.htm

【私の逆境時代】金沢明子、不安的中!?“サブマリン音頭”の波紋
★金沢明子
2013.01.25

 「自分なりに考えて真面目にお稽古をしてからスタジオに入ったんです、普通に歌うつもりで。そうしたら、プロデュースの大瀧(詠一)さんから『金沢さん、コブシを効かせてやってください』と言われて。しかも1発録音で『これでイイ』と。これが世に出たら自分の人生はどう変わってしまうんだろう? って…」

 もはや伝説とも言える名曲『イエロー・サブマリン音頭』(1982年)のことだ。

 ビートルズ結成20周年記念曲なのだが、真面目なビートルズファンから、当時はひんしゅくを買ったという。

 「お母さん層からも『英語の発音が悪い!』と不評で(笑)。あとロウソクを消さずに歌うCM(日東あられ)も子供がマネをする! って、お叱りを受けたり…」

 あれは民謡のブレス訓練の方法だったという。

 「父が編み出した瞬間的に息を吸う訓練のひとつなんです。やりたくない私を正座させて、民謡を教える父は厳しくて…まさに星一徹でした」

 さまざま批評はあったが、サブマリン音頭は大ヒット。今となっては、新ジャンルの音楽を創ったと高評価を受けている。

 「父から、民謡は媚びて歌うなと厳しく言われてました。笑みを浮かべるな! と。だから常にしかめっ面で。それが、この曲は笑顔満面。そのギャップが良かったんじゃないでしょうか」

・・・・・・・・・。
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 ウィキペディアに「イエロー・サブマリン音頭」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%9F%B3%E9%A0%AD

の説明がありました。

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イエロー・サブマリン音頭
作詞・作曲:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー/日本語訳詞:松本隆/編曲:萩原哲晶

ビートルズが1966年に発表した「イエロー・サブマリン」を日本語でカバーし、大幅なアレンジを加えた楽曲である。

制作のきっかけは、本作でディレクターを担当した川原伸司が制作する5年前に杉真理とビートルズのメドレーを作ろうとしたことに端を発する。しかし、ある時川原がとある音楽雑誌で「ナイアガラ音頭」の広告をみて「先にやられた」とがっかりし、企画は頓挫した。その後、今作のプロデュースを手がける大滝詠一と出会ったことで、今作の制作話が持ち上がり、制作するに至る。

二番のバックの騒いでいる音は、スタジオにいた面々を呼び集めて騒ぎ、パーティーサウンドを作ってそれを幾度も多重録音していて、その中でバーテンダーを松武秀樹が担当している。

エンディングのセリフは、伊藤銀次杉真理佐野元春の順に言っている。最後のセリフは、ディレクターの川原が言っている。

これらの事実は、1984年にNHK-FMの「大瀧詠一スペシャル'84」(表記が正しいかは不明だ)の最終日に放送された(2008年1月の「大瀧詠一リマスタースベシャル」で再放送された)「大瀧詠一プロデュースメイキング・オブ・イエロー・サブマリン音頭」で明らかになった。

金沢は、大滝が松田聖子のプロデュースをしていたことから「聖子ちゃんのように歌えると思っていたら“もっとコブシを入れて”と言われてがっかりした」と言う趣旨の発言をしている。

当初日本語訳詞は、森雪之丞が担当することになっていた。サビの終わりにある潜水艦」は、森が作ってリハーサルテープ収録時まで使われていた訳詞から使われている。

1980年代からビートルズの楽曲著作権保護が強化され、その影響で、60年代や70年代にカバーの際に行われていた歌詞の変更(替え歌及び訳詞)が世界的に認められなくなった。しかし、この曲を聞いたポール・マッカートニーは歌詞の変更を伴ったカバーを許可した。ビートルズ結成20年記念という名目で発表された同曲は、日本国内のビートルズファンから顰蹙を買ったと言われている一方、新しい分野の音楽の創造という積極的評価もあり、評価は交錯している。

なお、大瀧もアルフレッド・ヒッチコックが自身の作品のどこかにさり気なく登場する様に曲のどこかで参加しているが、その箇所は非常に分かりづらい。
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