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●大橋巨泉さんの「最後の遺言」…日本を『戦争ができる国』に変えてはいけない…は届かず

2016年07月21日 00時00分50秒 | Weblog


asahi.comの記事【巨泉さん、自己主張する司会先駆け 「遺言」で首相批判】(http://www.asahi.com/articles/ASJ7N3GHDJ7NUCLV00H.html?iref=comtop_8_01)。

 《「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判》。

   『●争点は「壊憲」: 大橋巨泉さん「最後の遺言」…
         日本を『戦争ができる国』に変えてはいけない
    《〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。
     だが今も恐ろしい事情けない事恥知らずな事
     連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、
     許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、
     最後の遺言として一つだけは書いておきたい。
     安倍晋三の野望は恐ろしいものです選挙民をナメている安倍晋三
     一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい
     最後のお願いです〉》

   『●「平和と憲法を守る決意をもった著名人」菅原文太さん:
              「政治の役割は・・・絶対に戦争をしないこと」
    「日刊スポーツの記事『大橋巨泉、愛川さん訃報「日本にとって大マイナス」』
     (http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1463027.html)によると、
     「菅原文太さんに続いて、平和と憲法を守る決意をもった著名人が
     他界した事は、日本にとって大マイナスである。ボクも簡単には
     死ねないなと考えている」。
     「絶対に戦争をしないこと!」、この一点を死守したい。「アベ様のNHK」を
     はじめとしたマスコミの堕落、そして、「”テレ朝は今日、死んだに等しい
     と思います”」状態。何度も引用するが、俳優や芸人の矜持の無さ…」

   『●アベノサギで違法な壊憲: 
      永六輔さん曰く「「9条を守る」ことは「99条を守ることだ」」

 東京新聞の記事【大橋巨泉さん死去 人気番組の司会者、82歳】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016072001000847.html)によると、《元参院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。82歳。東京都出身》。また、asahi.comの記事【大橋巨泉さん死去 テレビ司会者、82歳】(http://www.asahi.com/articles/ASJ7N3529J7NUCLV003.html?iref=comtop_8_01)によると、《大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名大橋克巳=おおはし・かつみ)さんが、12日午後9時29分、急性呼吸不全のため死去した。82歳だった。葬儀は親族で営んだ。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は妻寿々子さん》。
 また、東京新聞の記事【大橋巨泉さん死去 昭和のマルチタレント TVの申し子】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016072090141305.html)では、《NHKの人気バラティー「夢であいましょう」を手掛けた永六輔さんを「」と呼んで敬い、この番組から多くを学んだという巨泉さん。…中学生時代に始めた句作のほか、趣味のジャズやゴルフ、ギャンブルなどさまざな分野で多芸多才ぶりを発揮。口八丁手八丁のマルチタレントは、晩年も特定秘密保護法の成立を手厳しく批判するなど「権力」への批判精神を貫く気骨も併せ持っていた》、とあります。

 大橋巨泉さんの「最後の遺言」…日本を『戦争ができる国』に変えてはいけない。巨泉さんの「最後の遺言」は届かず、2016年7月参院選の後に亡くなっておられました。永六輔さんに続き、とても残念です。ご冥福をお祈りします。

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http://www.asahi.com/articles/ASJ7N3GHDJ7NUCLV00H.html?iref=comtop_8_01

巨泉さん、自己主張する司会先駆け 「遺言」で首相批判
2016年7月20日11時54分

 戦後テレビのバラエティー番組を支えた立役者がまた一人、亡くなった。テレビの黄金期に自由奔放な司会ぶりで数々の名番組を生み出した大橋巨泉さん。活躍中に「セミリタイア」を宣言し、日本と海外を行き来する悠々自適の後半生を送ったが、晩年は病と闘い続けた。

 芸名の「巨泉」は高校時代に使った俳号で、巨人ファンから「巨」、尽きないアイデアのイメージを「泉」に込めたという。

 放送作家として立ち上げに関わった「11PM」では「テレビでいかがなものかと思われていたものを」とゴルフ、マージャン、競馬を取り上げるコーナーを提案。週1回の「巨泉のなんでもコーナー」が始まり、さらに司会の1人に。「野球は巨人、司会は巨泉」というキャッチフレーズと黒縁メガネをトレードマークに人気者となった。「ボイン」という言葉も“発明”し、世に広めた。

 「クイズダービー」では、竹下景子さんを「3択の女王」、正解率が高いはらたいらさんを「宇宙人」と名付け、「せーの、ドン」「倍率、ドン」といったかけ声で盛り上げた。「世界まるごとHOWマッチ」では、石坂浩二さんを本名からとった「兵ちゃん」、ビートたけしさんを「たけし」と呼び捨てにした。くだけたキャラクターと型破りな発言で、自己主張するタレント司会者の先駆けとなった。

 私生活では、1956年にジャズシンガーのマーサ三宅さんと結婚したが、8年で別居し、離婚。その後ニッポン放送のラジオ番組のアシスタントだった寿々子さんと69年に再婚した。

 人気だったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活スタイルを一変させた。「セミリタイア」後は、季候のいい時期の太陽を追い求めるように、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本を1年で巡る「ひまわり生活」を続けた。「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と語り、将棋やジャズ、ゴルフ、釣りなどの趣味を楽しんだ。

 毎年受けていた人間ドックがきっかけで、2005年に胃がんが判明した。大学時代に母親を子宮がんで亡くした経験から「お袋が自分の命と引き換えに教えてくれた」と健康には人一倍気を使っていた。中咽頭(いんとう)がんやその後の転移で手術や放射線治療を繰り返した。

 1994年からのべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載。最終回とした7月9日号では「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」などと病状を説明し、「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判。読者に向けて「長い間ありがとうございました」とつづっていた。

 今年2月の「徹子の部屋」では「畏友(いゆう)」とする永六輔さんと出演したが、4月からの3カ月間は「死を覚悟し、すべてを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました」(妻の寿々子さん)。7月に入ると眠っている時間が長くなり、7日に亡くなった永さんの訃報(ふほう)は「ショックの大きさを考えて」伝えなかったという。寿々子さんは関係者宛てのファクスに「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」と記した。一方で、在宅介護中に鎮痛剤を過剰投与され、病状が悪化したとも指摘した。
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