田中伸尚著、『合祀はいやです。こころの自由を求めて』読了。樹花舎、2003年12月刊。文庫本で、一度読んだもの。『自衛隊よ、夫を返せ! ~合祀拒否訴訟~』(現代教養文庫) を大幅に改訂増補した新版。
強烈な批判、曰く、「非国民」・「国賊」・「亡国の輩」など・・・。そんな批判にめげず、「いやです」という一言に込めた思い。仁保冤罪事件の岡部保さん、「権力にとって一人や二人の人間を葬るのは、虫をぷしゅっとつぶすようなもんさね」(p.123)。でも、『五分の虫にも、一寸の魂』(松下竜一)。仁保事件に奔走していた林牧師らの助けで、地裁・高裁では勝訴したものの、護国神社は合祀取り下げを拒否。結局、最高裁も逆転敗訴。宗教問題、政教分離問題と司法の問題。「国家に仕えたものが死ねば、その時点で死者は公 (国家) のもので、したがって「宗教的施設ではない」護国神社に合祀するのは当然であり、信教の自由とは関係がない」、という呆れた論理。
【田中伸尚著、『合祀はいやです。こころの自由を求めて』】
さらに長尾宮司の「日本は利非ずして聖戦に敗れてしまった。ヤンキーどもが上陸して、天皇陛下を元首の座からおろし、軍隊を解散させ、亡国の憲法をつくった。国家神道を一宗教法人にしてしまうような神道指令は許せない。だが、もう日本も独立したのだから、もと通りになった」って、戦前か!? ある人の言葉、「息子は靖国などにはいない。私のそばにいる。国家によって神にされることはもう結構です」(p.143)。
凄まじい非難の嵐は、高遠・今井・郡山さんらと同様。
軍事博物館の放つ強烈で異様なメッセージ (p.330)。「現代史に関する基礎的な知識のない子どもたちが、新遊就館を見学すれば、どうなるのかと思わずにはいられない」(p.330)。疑似科学、二セ科学が初等教育に及ぼす影響につながる問題。
さらに長尾宮司の「日本は利非ずして聖戦に敗れてしまった。ヤンキーどもが上陸して、天皇陛下を元首の座からおろし、軍隊を解散させ、亡国の憲法をつくった。国家神道を一宗教法人にしてしまうような神道指令は許せない。だが、もう日本も独立したのだから、もと通りになった」って、戦前か!? ある人の言葉、「息子は靖国などにはいない。私のそばにいる。国家によって神にされることはもう結構です」(p.143)。
凄まじい非難の嵐は、高遠・今井・郡山さんらと同様。
軍事博物館の放つ強烈で異様なメッセージ (p.330)。「現代史に関する基礎的な知識のない子どもたちが、新遊就館を見学すれば、どうなるのかと思わずにはいられない」(p.330)。疑似科学、二セ科学が初等教育に及ぼす影響につながる問題。
【田中伸尚著、『合祀はいやです。こころの自由を求めて』】
最高裁で、中谷さんに認められた陳述の時間はわずか五分間 (p.364)。判決言いわたしは、わずか九秒足らず (p.370)。「裁判だけで十五年間、非常な一瞬」(p.370)。中谷さんの心の自由を踏みにじった最高裁判事達、その大半が、大正や昭和初期が人間形成に決定的影響を持ったであろう「大正裁判官」(p.371)。「逆転判決のポイントは事実の歪曲」(p.376)であり、自衛隊 (国) による合祀申請への関与を全く消し去るという酷さ。15人中、判決主文にただ一人反対した伊藤正巳裁判官。その反対意見は、「・・・多数者の賛同するものは特に憲法上保障がなくても侵害されるおそれはないといってよく、その保障が意味を持つのは多数者の嫌悪する少数者の思想や信条である」。他の14名は、「行政追随というより政治先取り」と断ぜられても仕方あるまい。その結果どうなったか? 「「合祀はいやです」と中谷康子さんが訴えられて三〇年にもなります。その間多くの人たちが最も危惧していた「戦争のできる国」になってしまいました」(p.403)。
「勁 (つよ) い」人々 (p.347) はいるが、どうしようもない方向に進んでいる。
最高裁で、中谷さんに認められた陳述の時間はわずか五分間 (p.364)。判決言いわたしは、わずか九秒足らず (p.370)。「裁判だけで十五年間、非常な一瞬」(p.370)。中谷さんの心の自由を踏みにじった最高裁判事達、その大半が、大正や昭和初期が人間形成に決定的影響を持ったであろう「大正裁判官」(p.371)。「逆転判決のポイントは事実の歪曲」(p.376)であり、自衛隊 (国) による合祀申請への関与を全く消し去るという酷さ。15人中、判決主文にただ一人反対した伊藤正巳裁判官。その反対意見は、「・・・多数者の賛同するものは特に憲法上保障がなくても侵害されるおそれはないといってよく、その保障が意味を持つのは多数者の嫌悪する少数者の思想や信条である」。他の14名は、「行政追随というより政治先取り」と断ぜられても仕方あるまい。その結果どうなったか? 「「合祀はいやです」と中谷康子さんが訴えられて三〇年にもなります。その間多くの人たちが最も危惧していた「戦争のできる国」になってしまいました」(p.403)。
「勁 (つよ) い」人々 (p.347) はいるが、どうしようもない方向に進んでいる。