アロハなひととき

気になる印刷ショップの社長のアロハな日々。

赤石岳山行 その1

2013-08-22 18:19:13 | 登山
今年の夏の山行は、昨年の三伏峠敗退のリベンジということで、南アルプスにした。

新東名で降りてから2時間ぐらい走って畑薙ダム夏期駐車場へ深夜到着。

翌朝、少ししか寝れないままバスにて椹島(さわらじま)へ。





南アルプスの大半を東海パルプ社が管理している。



これはかつての大倉財閥を一代で築いた大倉喜八郎が、明治28年に、徳川幕府の重臣であった酒井氏より、大井川上流域の南アルプスの山林を、金35000円也で買い取ったことに由来する。大倉喜八郎は井川山林の資源を利用する東海紙料株式会社を明治40年に設立したが、これが今日の東海パルプ㈱である。





丁稚から身を興し、幕末では武器売買を手がけて財をなし、大倉喜八郎が創立し経営に腕を振るった企業には、今なお残っているものだけでも、大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、日清オイリオ、あいおいニッセイ同和損保、特種東海製紙、リーガルコーポレーション、ニッピ、日本化学工業、東京製綱、日本無線、本渓鋼鉄公司(中国)などがある。

また、彼の寄付によって設立・運営された学校には、東京経済大学、関西大倉学園(大阪府茨木市)、善隣インターネット高等学校(韓国)があり、彼のコレクションによって開かれた美術館には、民間としては日本で最初の大倉集古館(ホテル・オークラに隣接)がある。

神戸市中央区に位置する大倉山公園は、神戸市に寄付された彼の別荘地であり、札幌のジャンプ台・大倉シャンツェは彼の遺産で建設された。

大正15年88歳の時、自分の所有地で一番高いところに登りたいと言いだし、赤石岳を登頂する。

総勢200人の大名登山で、途中、お花畑で花束を作らせて楽しみ、頂上に近いハイマツ地帯で籠を降り、そこから椅子に腰かけたまま山男に背負われて雪渓を通り赤石岳の頂上に着いたという。
この時大倉は供の者に風呂桶を背負わせて登り、赤石岳の山頂で風呂に入ったと伝えられる。
お供の神部満之助(後の㈱間組社長)は、白木づくりの組立式便所2組と豆腐をつくる石うすを人夫に背負わせて、お供をし、豆腐を持参させ、山頂で大倉に湯豆腐を供したとも伝えられる。
定かではないが芸者も連れて行ったらしい。  ダハハ



千枚小屋に向けて出発。今日は7時間ぐらい高度約1500m登るルート。



樹林のなかをノロノロと登った。





中間地点の水場清水平。

まさに最高の「南アルプスの天然水」だ。山のおいしい水は本当に甘く感じられる。甘露甘露!


しかしその後眠くてしかたない。ヨタヨタ歩きになり、しばらく寝た。



見晴台にて。

その後千枚小屋に到着。小屋前の登山客の皆さんがごくろうさんといって拍手して迎えてくれた。

早速、小屋の生ビールをゴクゴク飲み干し、テント場へ。



寝不足とちょっと重いザック(酒)がこたえたかな?

おやすみアミーゴ






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