アロハなひととき

気になる印刷ショップの社長のアロハな日々。

速報! 「17年後の真実 マルコ・パンターニついに名誉回復」

2016-03-16 07:57:43 | 自転車
1999年もシーズン序盤のブエルタ・ア・ムルシアで総合優勝し、5月に出場したジロ・デ・イタリアではステージ4勝という圧倒的な成績を挙げ、総合2連覇も目前だった。だが、大会最終日前日6月5日、UCI の検査とは別に、イタリアが独自で行った抜き打ちのメディカルチェックでヘマトクリット値(赤血球濃度)が、UCIの定めた50%という数値を超える52%を示し、出場停止となってしまう。同年はこの後、レースに出場することはなかった。(ウィキペディアより)

マルコパンターニの悲劇は、大会中の早朝、寝ているところを起こされた早朝のメディカルチェックから始まった。薬物使用を否定するも受け入れられず、その後カムバックをしようとしたが精神的に病んでいったようだ。



イタリアからのニュース(翻訳をやっている友人が知らせてくれました)

「1998年にダブルツールを達成したマルコ・パンターニ。その翌年の1999年、ジロ・デ・イタリア2年連続優勝をほぼ手中にし、残すところあと2ステージのみという状況の中でドーピングで突然失格となったマルコ・パンターニ。
何か後味が悪かったこの事件ですが、強盗事件で警察から監視されていたカモッラ(ナポリマフィア)の関係者に対する電話盗聴の内容から、すべてはナポリマフィアによって仕組まれたトリックであったことが判明しました。相当な金額が動くと言われているジロ・デ・イタリア賭博を仕切るナポリマフィアが、マルコ・パンターニに連続優勝されては困るということで、血液検査担当の医師の一人を脅迫し、マルコ・パンターニが失格となるよう、検査結果を改ざんさせたそうです。脅迫されたこの医師は、マルコ・パンターニの血液サンプルのヘマトクリット値が異常値を示すよう、血漿を部分的に破棄して血漿の量を減らしたとのことです。
サイクルスポーツ界の反応は素早く、1999年のジロ・デ・イタリアの優勝者を2人 にすべきであるとか、マルコ・パンターニに特別賞を与えるべきであるとか、すでにいろいろな意見が出ています。」

やはり真相は、マフィアの餌食にされたのだった。
イタリアの誇りとも言うべき選手をこうしてつぶしてしまうとは
いやはやなんとも……


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