気がつけばもうひとつきもなく、街はクリスマス仕様です。
今年は私にとってターニングポイントになりました。
締めは、ずーっと前から、なかなか乗り越えられなかったことをなんとか乗り越えることが
できたことです。
シェアできる内容ですので、体験談ですが、書きたいと思います。
私は昔から、怖がりの子どもでした。何をするにも「いいようのない恐れ・・?」
にとりつかれてしまい、それがどこからくるものかもわからずにいました。
ただ、私にとってゆるぎなかったものは「家庭」でした。
幼いころは両親が子煩悩だったので、よく遊んでくれたため、いじめを受けながらも精神的なバランスはかろうじてとれていたように思います。
しかし、ゆるぎがないと思われた家庭も、大人の世界は色々あったようです。
ただ私が「いじめられている」ことを隠していたように、家族も色々なことを抱えていたのだと、振りかえってそう思います。
家庭の崩壊の象徴は、父の自殺でした。
何回かは止められたのですが、結局逝ってしまいました。
きっと踏みとどまってくれる、そう思っていたもので、私にとって父の死は
「この先なにがおこるかわからない」という強烈な「不安、恐れ」に拍車をかけることになりました。
そして、経済的な不安、母の難病の発病、次々と起こる出来事・・。
しかし、「この先なにがおこるかわからない」ということにフォーカスすると
一見悪いことみたいですが、よいことだって沢山あったのだと分析して気付いたのです。
母の介護がなければ、ツインソウルであるかけがえのないパートナーにあっていなかったと思いますし、いじめにあってなければ、パートナーがうけていたパワハラにもきづかなかったかもしれません。
そう分析していくと「プラスのこの先なにがおこるかわからない」ことだって沢山あると気付きました。
気付いたとたん、「恐れ」は薄くなり、残像となり、ゆっくり消えてゆきました。
もし、心配性な方がいらしたら是非自分のこれまでを振り返って分析してみることをお勧めします
悪い波の時代もあったかもしれませんが、それだけの良い時代も確かにあったと気付かれると思います。
そして、いろいろあったけど、生きているじゃないか!乗り越えているから、こうして生きている自分は思っているより強いんだ。きっと大丈夫だと気付かれ、「プラスのフォーカス」ができるようになると思います。
今年は私にとってターニングポイントになりました。
締めは、ずーっと前から、なかなか乗り越えられなかったことをなんとか乗り越えることが
できたことです。
シェアできる内容ですので、体験談ですが、書きたいと思います。
私は昔から、怖がりの子どもでした。何をするにも「いいようのない恐れ・・?」
にとりつかれてしまい、それがどこからくるものかもわからずにいました。
ただ、私にとってゆるぎなかったものは「家庭」でした。
幼いころは両親が子煩悩だったので、よく遊んでくれたため、いじめを受けながらも精神的なバランスはかろうじてとれていたように思います。
しかし、ゆるぎがないと思われた家庭も、大人の世界は色々あったようです。
ただ私が「いじめられている」ことを隠していたように、家族も色々なことを抱えていたのだと、振りかえってそう思います。
家庭の崩壊の象徴は、父の自殺でした。
何回かは止められたのですが、結局逝ってしまいました。
きっと踏みとどまってくれる、そう思っていたもので、私にとって父の死は
「この先なにがおこるかわからない」という強烈な「不安、恐れ」に拍車をかけることになりました。
そして、経済的な不安、母の難病の発病、次々と起こる出来事・・。
しかし、「この先なにがおこるかわからない」ということにフォーカスすると
一見悪いことみたいですが、よいことだって沢山あったのだと分析して気付いたのです。
母の介護がなければ、ツインソウルであるかけがえのないパートナーにあっていなかったと思いますし、いじめにあってなければ、パートナーがうけていたパワハラにもきづかなかったかもしれません。
そう分析していくと「プラスのこの先なにがおこるかわからない」ことだって沢山あると気付きました。
気付いたとたん、「恐れ」は薄くなり、残像となり、ゆっくり消えてゆきました。
もし、心配性な方がいらしたら是非自分のこれまでを振り返って分析してみることをお勧めします
悪い波の時代もあったかもしれませんが、それだけの良い時代も確かにあったと気付かれると思います。
そして、いろいろあったけど、生きているじゃないか!乗り越えているから、こうして生きている自分は思っているより強いんだ。きっと大丈夫だと気付かれ、「プラスのフォーカス」ができるようになると思います。