和楽民謡ファンの皆様おやすみなさい☆今日は本当に私にとって…とんでもなく収穫のある忘れられぬ1日となった。
こんなに素晴らしい1日を和楽民謡仲間にも是非とも味あわせてあげたかった。 どんなにか地元の隠岐民謡を生で観て感激することであろうか。
私は今、魔法使いになりたいと本気で願う。 聖なる魔法でまず和楽の仲間を隠岐に呼ぶ。 そして菅笠節で出会った素晴らしき民謡人さんたちをも隠岐にどこでもドアにて招待したい。
あれだけ練習を死ぬほどの努力を重ねられ立派な民謡を歌われる人物ならば、きっと本場隠岐のしげさ節を生で聴くことが出来たなら体全身が感動で凍りつくと僕は思った。
私は隠岐の民謡人にも、是非、菅笠節も一度でもいいから体感していただきたい。 どちらも味わいは丸で違うけれども感動が大きいことでは同じである。
今日もしげさ祭り(パレード)を観ながら仲間のことを想った。 どんなにか来て見たかったであろうか… 全国にはこのような素晴らしい民謡イベントや大会が数えられないくらいに存在する。
私はその中のたった二つ、三つを取り上げてはブログにて宣伝しているのだが、民謡というものは、きっとこの先、とてつもなく流行してゆくことであろう。
私には見えている。 民謡の輝かしい未来が… そして私は明日、運命の舞台へと立つ。 今日、運良く地元の民謡会の方々と一緒に練習させていただいた。
やはり私の唄は、棒読みで変化がなく地元の唄からすると全く歯が立たないらしい。 だけども、1つだけ為になることを教えていただけました。
しげさ節の歌詞を歌う際に一節の終わりになればなるほど音量を上げてゆくのが地元流だそうです。
私は一人だけでただ真似て歌っていたのですが、このことを知らなかったら、きっと100年歌っても駄目だったと思いました。
自分の今の唄では一年生にも満たないのだと確実に判明した今、私は明日の唄だけは緊張から随分と開放され楽になれました。
あと三味線についてですが、私は二人のすごい先生を目の前に弾いたのですが、緊張してしまい→その結果、速度が速くなってしまったのです。
先生によりますと、速度は早いくらいが楽で、実はゆっくり、ゆったりとペースと間をしっかりとキープしながら最後まで演奏することが一番難しいのだと教えてくださいました。
私は、先生に言われた通り、勇気を出して、速度を落としてゆっくりと間もしっかりと取り弾いた… 先生は「よしいいじゃないか、それでいきなさい」と言った。
果して、そんなゆったりと明日の上級のトップで私が弾けるのであろうか!? それは天のみぞ知るところである。
とにかく私は今日も生きていて隠岐にいる。 明日も目覚めれば朝食を取り、シャワーを浴びて、隠岐文化ホールを目指すだけ。
そこにはたくさんの同じ志を持たれた素晴らしき、しげさ仲間がわんさかと集まっていることだろう。
あなたもたった一度の人生ならば、本場の隠岐民謡をどうか聴きにおいでくださいませ。 明日はわたしの大切な民謡人が隠岐に渡って参ります。
このことが、きっと更なる民謡の素晴らしさを輝きを体感できるものだと信じて止みません。
尊敬する方々の前にて晴れの舞台で三味線を弾ける!! こんな誉れがありましょうや ファンの皆様、おやすみなさいませ。
いつもありがとうございます。 だんだん。
こんなに素晴らしい1日を和楽民謡仲間にも是非とも味あわせてあげたかった。 どんなにか地元の隠岐民謡を生で観て感激することであろうか。
私は今、魔法使いになりたいと本気で願う。 聖なる魔法でまず和楽の仲間を隠岐に呼ぶ。 そして菅笠節で出会った素晴らしき民謡人さんたちをも隠岐にどこでもドアにて招待したい。
あれだけ練習を死ぬほどの努力を重ねられ立派な民謡を歌われる人物ならば、きっと本場隠岐のしげさ節を生で聴くことが出来たなら体全身が感動で凍りつくと僕は思った。
私は隠岐の民謡人にも、是非、菅笠節も一度でもいいから体感していただきたい。 どちらも味わいは丸で違うけれども感動が大きいことでは同じである。
今日もしげさ祭り(パレード)を観ながら仲間のことを想った。 どんなにか来て見たかったであろうか… 全国にはこのような素晴らしい民謡イベントや大会が数えられないくらいに存在する。
私はその中のたった二つ、三つを取り上げてはブログにて宣伝しているのだが、民謡というものは、きっとこの先、とてつもなく流行してゆくことであろう。
私には見えている。 民謡の輝かしい未来が… そして私は明日、運命の舞台へと立つ。 今日、運良く地元の民謡会の方々と一緒に練習させていただいた。
やはり私の唄は、棒読みで変化がなく地元の唄からすると全く歯が立たないらしい。 だけども、1つだけ為になることを教えていただけました。
しげさ節の歌詞を歌う際に一節の終わりになればなるほど音量を上げてゆくのが地元流だそうです。
私は一人だけでただ真似て歌っていたのですが、このことを知らなかったら、きっと100年歌っても駄目だったと思いました。
自分の今の唄では一年生にも満たないのだと確実に判明した今、私は明日の唄だけは緊張から随分と開放され楽になれました。
あと三味線についてですが、私は二人のすごい先生を目の前に弾いたのですが、緊張してしまい→その結果、速度が速くなってしまったのです。
先生によりますと、速度は早いくらいが楽で、実はゆっくり、ゆったりとペースと間をしっかりとキープしながら最後まで演奏することが一番難しいのだと教えてくださいました。
私は、先生に言われた通り、勇気を出して、速度を落としてゆっくりと間もしっかりと取り弾いた… 先生は「よしいいじゃないか、それでいきなさい」と言った。
果して、そんなゆったりと明日の上級のトップで私が弾けるのであろうか!? それは天のみぞ知るところである。
とにかく私は今日も生きていて隠岐にいる。 明日も目覚めれば朝食を取り、シャワーを浴びて、隠岐文化ホールを目指すだけ。
そこにはたくさんの同じ志を持たれた素晴らしき、しげさ仲間がわんさかと集まっていることだろう。
あなたもたった一度の人生ならば、本場の隠岐民謡をどうか聴きにおいでくださいませ。 明日はわたしの大切な民謡人が隠岐に渡って参ります。
このことが、きっと更なる民謡の素晴らしさを輝きを体感できるものだと信じて止みません。
尊敬する方々の前にて晴れの舞台で三味線を弾ける!! こんな誉れがありましょうや ファンの皆様、おやすみなさいませ。
いつもありがとうございます。 だんだん。
でもいいんだけれども・・ それじゃー
時間もかかるからね~