自分をここでさらけ出すというのは本当に難しい。 なぜなら人間というのは全てをさらけ出せば良い部分はピラミッドの頂点の部分だけで・・ 大半は人に言えはしない恥ずかしいことだらけだからだと思うから。 だけれども、このブログは私にとって日記のようなものなのです。 どちらにしろ、このブログを読んでくださっている人は、少なくとも私のことを僅かでも好きであってくれる人だと思うから・・ だから打ち明けられるのだと思う。
僕は今までよく生きてこれたと思う。 よく耐えれたと思う。 昨日は自転車で買い物から帰る途中に心の中で自分に対して 「本当によくここまで人生から逃げずに生きてきたね よく頑張ったね たいしたもんだよ」と自分を褒めてやった。 誰も私を褒めてくれる人はいないのだから・・ そして私自身も人の苦労は全くわからない。 だから人のことは言えません。 言えるはずもございません。
人間というものは、全てにおいて自分が中心で地球が回っているように勘違いを起こしてしまうものだと僕は思う。 自分の苦悩も人にはわからず、そして人の苦悩も自分には見えない盲目なのでございます。 それでも自分が苦悩するという経験は、きっと後に自分を助ける光輝く何かに種となり成長を遂げ助けてくれる栄養となるはず・・ なぜなら人間は、自分の体験からしか想像をすることができない生き物だから・・ 自分が耐えて耐えて生きてゆくことがもし出来るのであれば・・
これから先の後に同じように苦悩している仲間の気持ちを少しでも理解してあげられる人間に私は近づけれるのかもしれないから・・ 自分が成長してゆくためには、逃げることはできない。 この私が逃げるという言葉をよく使うのですが・・ それは、この世から逃げないという意味であり、心の病に負けてしまい自殺を試みるまでには行かせないのだという強い意志なのです。
ただ心の病は、野放しにしておきますと深刻になりかねません。 自分で自分の意思を止められなくなる可能性が生まれてしまうこととなり危険なのです。 その辺りをよく考え、どうすれば自分を守れるのかを真剣に考えながら生きてゆく必要があると考えております。 その中で私にとって、美しい自然と軽運動(散歩やサイクリング、山登りや水泳など)、民謡などは、自分を癒やすことのできる最善の方法であると考えております。
この間、音戸のつつじを観に行った時・・ 自然の癒し効果の大きさに驚きました 音戸のつつじが私の心に花を咲かせてくれたようにその自然の美しさに感動したのでした。 心に悩みを抱えているほど、それに比例して、一輪の花の美しさが身に染みるということを強く実感できたのでした。 だから私は日頃から三味線の弦を弾く度、一音、一音に 「素晴らしい」 とか 「ちょっと濁ったな」 とか 「よくないな」とか感じているのです。
楽器というものは本当に不思議で音色に心が現れるので、音を聴けば・・ その人の心の在り方がわかるような気がするのですよ。 大会のステージで三味線を弾けば・・ 自分の心を裸にして音色として観覧席に向け発表するのと同じことだと思うのです。 お酒の好きな人が、お酒を飲み良い気分に浸って会話が弾むのと一緒ですよね。 私はお酒は飲まないのですが、三味線は弾けます。 三味線を聞く耳を持っている人であるならば・・ きっと
会話も盛り上がることでしょう。 我々民謡人は、和楽器で会話ができるのです 上手、下手ではなく、心が美しい人は、初めて三味線を弾いても澄んだ良い音色が出るものなのです
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僕は今までよく生きてこれたと思う。 よく耐えれたと思う。 昨日は自転車で買い物から帰る途中に心の中で自分に対して 「本当によくここまで人生から逃げずに生きてきたね よく頑張ったね たいしたもんだよ」と自分を褒めてやった。 誰も私を褒めてくれる人はいないのだから・・ そして私自身も人の苦労は全くわからない。 だから人のことは言えません。 言えるはずもございません。
人間というものは、全てにおいて自分が中心で地球が回っているように勘違いを起こしてしまうものだと僕は思う。 自分の苦悩も人にはわからず、そして人の苦悩も自分には見えない盲目なのでございます。 それでも自分が苦悩するという経験は、きっと後に自分を助ける光輝く何かに種となり成長を遂げ助けてくれる栄養となるはず・・ なぜなら人間は、自分の体験からしか想像をすることができない生き物だから・・ 自分が耐えて耐えて生きてゆくことがもし出来るのであれば・・
これから先の後に同じように苦悩している仲間の気持ちを少しでも理解してあげられる人間に私は近づけれるのかもしれないから・・ 自分が成長してゆくためには、逃げることはできない。 この私が逃げるという言葉をよく使うのですが・・ それは、この世から逃げないという意味であり、心の病に負けてしまい自殺を試みるまでには行かせないのだという強い意志なのです。
ただ心の病は、野放しにしておきますと深刻になりかねません。 自分で自分の意思を止められなくなる可能性が生まれてしまうこととなり危険なのです。 その辺りをよく考え、どうすれば自分を守れるのかを真剣に考えながら生きてゆく必要があると考えております。 その中で私にとって、美しい自然と軽運動(散歩やサイクリング、山登りや水泳など)、民謡などは、自分を癒やすことのできる最善の方法であると考えております。
この間、音戸のつつじを観に行った時・・ 自然の癒し効果の大きさに驚きました 音戸のつつじが私の心に花を咲かせてくれたようにその自然の美しさに感動したのでした。 心に悩みを抱えているほど、それに比例して、一輪の花の美しさが身に染みるということを強く実感できたのでした。 だから私は日頃から三味線の弦を弾く度、一音、一音に 「素晴らしい」 とか 「ちょっと濁ったな」 とか 「よくないな」とか感じているのです。
楽器というものは本当に不思議で音色に心が現れるので、音を聴けば・・ その人の心の在り方がわかるような気がするのですよ。 大会のステージで三味線を弾けば・・ 自分の心を裸にして音色として観覧席に向け発表するのと同じことだと思うのです。 お酒の好きな人が、お酒を飲み良い気分に浸って会話が弾むのと一緒ですよね。 私はお酒は飲まないのですが、三味線は弾けます。 三味線を聞く耳を持っている人であるならば・・ きっと
会話も盛り上がることでしょう。 我々民謡人は、和楽器で会話ができるのです 上手、下手ではなく、心が美しい人は、初めて三味線を弾いても澄んだ良い音色が出るものなのです
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尺八講座を開けるのは、どのくらい先かな~
もういっそうのこと民謡を始めてみませんで
しょうか~ 人生がより素晴らしく輝きますよ