今日、月曜日は和楽の会民謡にとって大きな出会いと収穫があった 私達は生まれて初めてプロの尺八奏者である中村さんから1時間だけレッスンを受けてみた 今まで尺八はほぼ誰にも教わらず我流で遊んでいたのだったが・・ この間、比治山スカイウォークにて中村さんが私の尺八演奏を聴いてくださった時に『島本さんの尺八は音は綺麗だけども、今の吹き方では、この先が伸びません』と放った一言がキッカケであった。
私は松江の治郎さんに一度、教えをお願いしてみようと少し話てはみたのだったのだが、『3年間は曲は吹かせないですよ』の一言で諦めていたのだった 今、思うと、それだけ尺八は奧が深くて、基礎を身につけるのって難しいのであろうと想像している。 そんな私が、なぜ中村さんに教わりたいと思ったのか それは、私の吹いて出てくる音色を聴いて、私の口の中の舌の角度や形まで、どのようにして吹いているのかを教えてくれたことや、同じ目線の高さで会話してくれる優しさ器にあったのだと思います。
今のままでは、これ以上の上達がなく年を重ねてゆくだけと考えた私は、思い切ってステップすることに決めたのだった。 私は和楽の会民謡の尺八奏者に育ってもらいたい会員さんと共に2人にて習いに広島に出掛けた 尺八は非常に難しいイメージが頭の中にあり、顎の当て方、口の形、角度、姿勢、目線、様々な決まりごとを一つ一つ確実に身につけないと本物の音は出ないと信じていた(妄想を膨らませていた)自分を先ずは 破壊 することからレッスンは始まった
今までの尺八に対する思い込みを先ずは捨ててください そこから私達のレッスンはスタートした 簡単に述べるとこうだ 如何に思い込みを捨てるか 尺八は難しく考える必要は一切なし 考えれば考えるほど変になる ← これは、初日に私が感じた印象を簡単に述べた言葉です。 私は尺八をもう6年から7年近く遊びで吹いてきた。 もし、この期間、中村さんにレッスンをしていただいていたら なんて想像すると・・ もしかしたら、とんでもなく上達していたのかもしれません ←想像の図
広島県にお住まいで、尺八を習ってみたいと少しでも考えたことのある和楽民謡ファンの皆さん、習うなら、是非、中村さんに一度、習ってみてくださいませ あなたの尺八人生 🌹バラ色に変わりますよ 場所は広島の中心地です
レッスンは終わり、私達はいつもの比治山公園に向かった そして、そこで私達の運命に光を射す人物が現れるだなんて誰も知る由はなかったのである → 続く
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ここから中村さんの実話を少しお話させていただきます。 こんな話は聞いたことがないのですが、中村さんは四国八十八か所巡りをなんと無賃にて47日間かけて達成されたツワモノでございます。 しかも 1か所づつ、尺八を吹いて祈願されたとか・・ 持参されたものは、尺八と寝袋のみ つまりサイフもありません お遍路に着る衣装さえもなかったのでしたが・・ 歩いているうちになぜだか揃っていったのだとか え 本当に
私は話を聞いていて信じられなかった いや、それだけ過酷で厳しい世界の話だから・・ 目の前にいる優しそうな中村さんが、そんな苦行を成し遂げていただなんて 広島からなんとヒッチハイクを利用して徳島まで善意ある人の車に乗せてもらいながら、やっと辿り着いたのだそうです。 しかも、徳島まで乗せてくださった運転手の方が、なんと晩飯代にとお恵みまでくださったのだとか なんとラッキーな
ていうか、きっと、そこは中村さんのお人柄が良かったからのことだと私は想像した 運転手さんも、きっと中村さんとのひと時が楽しかったということだったのでしょうね~ しかし、広島からヒッチハイクで四国に入るなど・・ ゆうさんでさえ、想像も出来ませんけどねー 中村さんって器をずば抜けておられますよね 普通じゃないです 神に近いのかも その47日間もの期間に88箇所を徒歩にて巡ってゆくわけなんですが・・
お金、持ってなかったんですよ どうやって生きてゆくんですか 話によりますと 最初の10日間は良かったのだとか・・ 88箇所巡りのバスツアー客などで人の出入りが多くて、尺八吹いてたりすると、お恵みを置いてくださる方がおられたのだとか ところが・・ 10日間過ぎてからは・・ ツアー客も目っきり減ってしまい 収入は激減 挙句の果てには、晩御飯を買うためのお金がたった 100円ポッキリ のことも
そんな時には、豆腐を買って食べ、なんとか凌いだそうです 夜は寝袋ですよ 皆さんも出来ますか ←ゆうさんの図 私には出来ません 三味線弾きながら歩いてみようか なんて考えたことすらありません そういえば、一度、広島本通り商店街にて、1円入れてくださったお方がいましたけども それが有難いんですよね~ 入れてくれる方なんて滅多にいませんから 中村さんの行ったことがどれだけ凄く尊いことであるのかを考えた時、本当に頭が上がりませんでした
47日間のうち、嵐などの悪天候時に仕方なく宿に4度、宿泊されたそうです そのお金も、全て尺八で少しづつ稼いだのでしょう なんと凄い そもそも、無賃で88箇所なんて聞いた記憶がない しかも、一つ一つ、尺八を心を込めて吹かれては感謝を伝えてるんですよ。 それでも1か所だけ音を出してはいけないお寺があったそうでしてね 私は、そんな光景を想い浮かべますと涙が出るんですよ
せっかく中村さんが尺八の音色をプレゼントしてたのにって残念でね。 私も昔、広島平和公園で三味線弾いてたら注意され辞めさせられたことあって、気持ち分かるんですよね。 ルールなんだから仕方ないんですけども・・ そんな中村さんから尺八の指導を受けれたってことが、凄く私は嬉しかった 中村さんの行った修行が、確実に今の中村さんの身になっているのです 人に出来ない修行を成し遂げるということは、人に出せない音色を生む力と技を身につける器を持つということです。
その大きな試練と経験が今の中村さんを育て上げ、音色と化している その素晴らしい音色が、新たな出会いの音楽人との懸け橋になり広島から世界に向けて発信されてゆくのでございます。 本日もご拝読、誠にありがとうございました
私は松江の治郎さんに一度、教えをお願いしてみようと少し話てはみたのだったのだが、『3年間は曲は吹かせないですよ』の一言で諦めていたのだった 今、思うと、それだけ尺八は奧が深くて、基礎を身につけるのって難しいのであろうと想像している。 そんな私が、なぜ中村さんに教わりたいと思ったのか それは、私の吹いて出てくる音色を聴いて、私の口の中の舌の角度や形まで、どのようにして吹いているのかを教えてくれたことや、同じ目線の高さで会話してくれる優しさ器にあったのだと思います。
今のままでは、これ以上の上達がなく年を重ねてゆくだけと考えた私は、思い切ってステップすることに決めたのだった。 私は和楽の会民謡の尺八奏者に育ってもらいたい会員さんと共に2人にて習いに広島に出掛けた 尺八は非常に難しいイメージが頭の中にあり、顎の当て方、口の形、角度、姿勢、目線、様々な決まりごとを一つ一つ確実に身につけないと本物の音は出ないと信じていた(妄想を膨らませていた)自分を先ずは 破壊 することからレッスンは始まった
今までの尺八に対する思い込みを先ずは捨ててください そこから私達のレッスンはスタートした 簡単に述べるとこうだ 如何に思い込みを捨てるか 尺八は難しく考える必要は一切なし 考えれば考えるほど変になる ← これは、初日に私が感じた印象を簡単に述べた言葉です。 私は尺八をもう6年から7年近く遊びで吹いてきた。 もし、この期間、中村さんにレッスンをしていただいていたら なんて想像すると・・ もしかしたら、とんでもなく上達していたのかもしれません ←想像の図
広島県にお住まいで、尺八を習ってみたいと少しでも考えたことのある和楽民謡ファンの皆さん、習うなら、是非、中村さんに一度、習ってみてくださいませ あなたの尺八人生 🌹バラ色に変わりますよ 場所は広島の中心地です
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ていうか、きっと、そこは中村さんのお人柄が良かったからのことだと私は想像した 運転手さんも、きっと中村さんとのひと時が楽しかったということだったのでしょうね~ しかし、広島からヒッチハイクで四国に入るなど・・ ゆうさんでさえ、想像も出来ませんけどねー 中村さんって器をずば抜けておられますよね 普通じゃないです 神に近いのかも その47日間もの期間に88箇所を徒歩にて巡ってゆくわけなんですが・・
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そんな時には、豆腐を買って食べ、なんとか凌いだそうです 夜は寝袋ですよ 皆さんも出来ますか ←ゆうさんの図 私には出来ません 三味線弾きながら歩いてみようか なんて考えたことすらありません そういえば、一度、広島本通り商店街にて、1円入れてくださったお方がいましたけども それが有難いんですよね~ 入れてくれる方なんて滅多にいませんから 中村さんの行ったことがどれだけ凄く尊いことであるのかを考えた時、本当に頭が上がりませんでした
47日間のうち、嵐などの悪天候時に仕方なく宿に4度、宿泊されたそうです そのお金も、全て尺八で少しづつ稼いだのでしょう なんと凄い そもそも、無賃で88箇所なんて聞いた記憶がない しかも、一つ一つ、尺八を心を込めて吹かれては感謝を伝えてるんですよ。 それでも1か所だけ音を出してはいけないお寺があったそうでしてね 私は、そんな光景を想い浮かべますと涙が出るんですよ
せっかく中村さんが尺八の音色をプレゼントしてたのにって残念でね。 私も昔、広島平和公園で三味線弾いてたら注意され辞めさせられたことあって、気持ち分かるんですよね。 ルールなんだから仕方ないんですけども・・ そんな中村さんから尺八の指導を受けれたってことが、凄く私は嬉しかった 中村さんの行った修行が、確実に今の中村さんの身になっているのです 人に出来ない修行を成し遂げるということは、人に出せない音色を生む力と技を身につける器を持つということです。
その大きな試練と経験が今の中村さんを育て上げ、音色と化している その素晴らしい音色が、新たな出会いの音楽人との懸け橋になり広島から世界に向けて発信されてゆくのでございます。 本日もご拝読、誠にありがとうございました
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