仲間はあかの他人だという人もいる そう仲間と僕は家族なんかではない 同じ県にも住んでなどはいない だけれども趣味というものは不思議なもので 趣味の世界がわかる者同士にしか伝わらない何かがある もちろんそれは唄が唄えるとか楽器が出来なければという問題ではない 音楽に興味があり → それが民謡というジャンルであっても良い人や 音楽にはそれほど興味がなかっても → 着物を着て舞台に現われることに興味がある人もいるであろう
私は民謡を独学で習い始めてもう5年が過ぎました・・ あらゆる民謡に心地よく狂った人達と会って参りました 私は自分が一番狂っているのだと信じて生きてきた ところがっ 甘かった そこまでやるのかいってくらい全国を周られる方もいらっしゃって 世の中の広さ、自分の泳いでいた狭さ 小ささに正直脱帽しました 民謡ってのは、テレビでもあんまりやらないし・・ あんまり人気がないんだと簡単に考えていたのでしたが
意外や意外 全国の民謡大会の模様を映像とかで見せていただいたら おるわ おるわ 僕と同じような人間が山ほどおったわー 日本の中に100名以上が参加される民謡全国大会がいったい幾つくらいあるのでしょうか 僕にはわかりませんが・・ ざっと100くらいは余裕があるのでは 100×100=10000人が1年間に競い合っている
すごい人なんか、年間に20大会くらい出場される方もいらっしゃるとか なんて素晴らしい そこまで民謡に命を捧げられる人間ってすごいっ 僕も若い頃はスキーに人生を捧げてたつもりでしたが・・ 上には上になんぼでもいます ただ、最近私が考えるのに競技といっても、ただ人より上に行くことだけが栄誉というわけなんかじゃーないって そう考えられるように変わりました
人に変えれないものがある それは己の心です 民謡の舞台というものは、その己にしかない心の中にある素晴らしい思いを発表し表現できる場なのでございます。 つまりどんなに技術ばかりを練習して鍛えたところで魅了がある表現ができるとは限らないところが私は大好きなのでございます。 民謡を知れば知るほどに深さを学びます。 最近、知ったのは欲がなければ練習する気にならず・・ 本番では欲を出すと自分に負けてしまうということを学びました。
私にとって舞台の上で良い成績を収めたいと考えた時点で駄目なのです。 成績を考えるようでは、その意識が表現に入ってしまっては駄目なのです。 それではどういった気持ちで舞台に上がることを目標にするのか それは、今日まで健康に生きて歩んでこれたことに感謝出来れば、自然と心構えは決まるのです 健康でなかったなら・・ 舞台の上に立つことさえもできないからです。 私は今年の音戸の舟唄の舞台に立つことが不可能になるところでした。 崖っぷちに立たされたのでした。 大会に出場するどころの問題ではなかったところまで追い詰められていたからです。 本当に危ないところだった。 ワラにもすがりたい思いでナガセのスッポン粒を1週間飲み続けて信じられない回復を成し遂げられたのでした。
予選の時から私は決勝に残ることを諦めていたんです。 通常では着てはタブーとされる羽織を着ました 母からは「羽織は舞台には似合わないわよ」と注意も受けましたが・・ 私は生きて仲間と共に舞台に立てることを心の底から喜べた時に、競技を行っていることを綺麗に忘れられたのでした その無心で唄えたことが緊張をなくし伸び伸びと堂々と自分の描いた唄が唄えることに繋がったのだと想います。
信じられないことに120名の中のたったの10人に選ばれた時の決勝の舞台では、周りの競技者が皆上手すぎて 私はトップバッターだったし 決勝を意識してしまい 理想の声量よりもオーバーして唄ってしまいました 結果、唄の中で2、3箇所、擦れてしまいましたが結果は2位 アナウンスを聞いた時には信じられませんでした 我流を貫き唄ってきた自分が2位になれるなんて・・ 審査委員さんはおかしくなってしまったんじゃーないのかと少し成績を疑ったりしましたが・・ こんなことも世の中あるのですね。
でも心配しないでください。 来年は予選落ちしますから だから民謡は奥が深いんですよね~ だから好きなんです
いつかは秋田県の大会にも出場してみたいですね 秋田小原節と本荘追分 この2つは絶対に生きていたら出場してみたい。 唄と伴奏とで 最近、民謡仲間が秋田の映像を送ってくださりましてね それを観たら 秋田民謡に 炎が灯りましてね よしっ 僕だってできるようになるんだゾって気持ちになりましたから 今日も頑張って練習してみましたから 一緒に出場してみたいという方がおられましたら・・ どうぞよろしくお願い致します~ それではおやすみなさいませ
人気ブログランキングへ 本日もご拝読、誠にありがとうございます お盆には徳島の阿波踊りを観に行って参りますね
私は民謡を独学で習い始めてもう5年が過ぎました・・ あらゆる民謡に心地よく狂った人達と会って参りました 私は自分が一番狂っているのだと信じて生きてきた ところがっ 甘かった そこまでやるのかいってくらい全国を周られる方もいらっしゃって 世の中の広さ、自分の泳いでいた狭さ 小ささに正直脱帽しました 民謡ってのは、テレビでもあんまりやらないし・・ あんまり人気がないんだと簡単に考えていたのでしたが
意外や意外 全国の民謡大会の模様を映像とかで見せていただいたら おるわ おるわ 僕と同じような人間が山ほどおったわー 日本の中に100名以上が参加される民謡全国大会がいったい幾つくらいあるのでしょうか 僕にはわかりませんが・・ ざっと100くらいは余裕があるのでは 100×100=10000人が1年間に競い合っている
すごい人なんか、年間に20大会くらい出場される方もいらっしゃるとか なんて素晴らしい そこまで民謡に命を捧げられる人間ってすごいっ 僕も若い頃はスキーに人生を捧げてたつもりでしたが・・ 上には上になんぼでもいます ただ、最近私が考えるのに競技といっても、ただ人より上に行くことだけが栄誉というわけなんかじゃーないって そう考えられるように変わりました
人に変えれないものがある それは己の心です 民謡の舞台というものは、その己にしかない心の中にある素晴らしい思いを発表し表現できる場なのでございます。 つまりどんなに技術ばかりを練習して鍛えたところで魅了がある表現ができるとは限らないところが私は大好きなのでございます。 民謡を知れば知るほどに深さを学びます。 最近、知ったのは欲がなければ練習する気にならず・・ 本番では欲を出すと自分に負けてしまうということを学びました。
私にとって舞台の上で良い成績を収めたいと考えた時点で駄目なのです。 成績を考えるようでは、その意識が表現に入ってしまっては駄目なのです。 それではどういった気持ちで舞台に上がることを目標にするのか それは、今日まで健康に生きて歩んでこれたことに感謝出来れば、自然と心構えは決まるのです 健康でなかったなら・・ 舞台の上に立つことさえもできないからです。 私は今年の音戸の舟唄の舞台に立つことが不可能になるところでした。 崖っぷちに立たされたのでした。 大会に出場するどころの問題ではなかったところまで追い詰められていたからです。 本当に危ないところだった。 ワラにもすがりたい思いでナガセのスッポン粒を1週間飲み続けて信じられない回復を成し遂げられたのでした。
予選の時から私は決勝に残ることを諦めていたんです。 通常では着てはタブーとされる羽織を着ました 母からは「羽織は舞台には似合わないわよ」と注意も受けましたが・・ 私は生きて仲間と共に舞台に立てることを心の底から喜べた時に、競技を行っていることを綺麗に忘れられたのでした その無心で唄えたことが緊張をなくし伸び伸びと堂々と自分の描いた唄が唄えることに繋がったのだと想います。
信じられないことに120名の中のたったの10人に選ばれた時の決勝の舞台では、周りの競技者が皆上手すぎて 私はトップバッターだったし 決勝を意識してしまい 理想の声量よりもオーバーして唄ってしまいました 結果、唄の中で2、3箇所、擦れてしまいましたが結果は2位 アナウンスを聞いた時には信じられませんでした 我流を貫き唄ってきた自分が2位になれるなんて・・ 審査委員さんはおかしくなってしまったんじゃーないのかと少し成績を疑ったりしましたが・・ こんなことも世の中あるのですね。
でも心配しないでください。 来年は予選落ちしますから だから民謡は奥が深いんですよね~ だから好きなんです
いつかは秋田県の大会にも出場してみたいですね 秋田小原節と本荘追分 この2つは絶対に生きていたら出場してみたい。 唄と伴奏とで 最近、民謡仲間が秋田の映像を送ってくださりましてね それを観たら 秋田民謡に 炎が灯りましてね よしっ 僕だってできるようになるんだゾって気持ちになりましたから 今日も頑張って練習してみましたから 一緒に出場してみたいという方がおられましたら・・ どうぞよろしくお願い致します~ それではおやすみなさいませ
人気ブログランキングへ 本日もご拝読、誠にありがとうございます お盆には徳島の阿波踊りを観に行って参りますね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます