130名もの和楽のファンの皆様、昨日は閲覧して戴きまして誠に嬉しく思いました どうもありがとうございました
今日のお話は、赤田鶴子先生の本当にあった怖いお話であります このお話を、まさかこのブログで皆さんに打ち明けることができるとは思ってもいなかったのでございますが 先生自ら 「生きてるんだから 別にブログに書いても構わないわよ との許可を頂けましたので 実話を基に書かせていただきます。
あれは5月のことでありました・・ 私は隠岐の島のしげさ節全国大会の会場で赤田先生と久しぶりに再会致しました といいましても、私はここで告白致しますが・・ 私的に先生と少し距離を置いておりました といいますのも・・ 私は赤田先生が大好きでございますが・・ 先生の弟子ではございません
そして 先生には当然、大切なお弟子さんがたくさんおられます 私は、先生に可愛がって戴いておりますが 最近、少し大人になったのか成長したのか・・ お弟子さん達のことを想うように変わっていったのでございます。
私は、もし自分が弟子であったらなと想像したのです 自分の先生が弟子でもない民謡人を可愛がるとすれば・・ 私だったら心の中で少し焼けると思ったのです。 もしかしたらそれは間違いかもしれません。 でも、私は先生のことが大好きな気持ちは表にあまり出さない方が良いのだと結論を持ちました。
だから・・ 隠岐では、赤田先生にあまり話かけたりしませんでした
正直、心の中では葛藤がありました 先生と仲良くしたい正直な気持ちと・・
いや弟子にもなってはいないただの一匹ワンちゃんは、人目の少ない隅にでも引っ込んでおいた方が良いのだと
ですので先生とはもちろん別行動でしたし、それでも滅多に会えない先生に・・ なんか寂しいし 申し訳ない気もしていたんです ここまでは、隠岐の島でのお話です 私が先生から驚愕の事実を聞いたのは 私が春のコンサートについてのお願いのお手紙を先生に出し、先生が私にお電話を下さった日でした
赤田先生が信じられない言葉を言ったのです 「島本さん あのねー
私 死んでたのよ もう少しで
私は を疑った 先生 いったい何があったのですか 5月のしげさ節大会が終わって・・ まだ間もない頃に、広島の北部で を運転していたら なんと (@_@;)
12トン トラック と正面衝突 したわよー
えーーーーーーーーーーーー マジですかーーーーーーーーーー 私は凍りついた 先生は5月に亡くなっていたかもしれないという事実に唖然とした
赤田先生の話によりますと・・ 12トントラックと正面衝突した時に先生は車内で気を失っていたらしい 先生が座っていた運転座席の隣の助手席は、12トントラックに激しく突っ込んだ形となり グシャグシャに潰れ形もなかったらしいです
相手のトラックの運転手も・・ 現場に辿り着いた警察も・・ 揃って死亡を疑わなかったという 警察が赤田先生を発見した際に 先生は目を覚まされたそうです もう数十センチ激突する位置がずれていたとしたら・・ 赤田先生とはもうこの世で会うことはできなかったのだと思うと
私は、このブログを書いている今、涙が出ております 赤田先生、生きていてくださって本当に良かった 私は、密かに・・ 自分の心の片隅で・・ もしかしたら 先生を救ってくださったのは 春のコンサートの女神様が救ってくださったのかもしれないと感じているのでございます
赤田鶴子先生、また再会できて大変嬉しくて どうもありがとうございました 春のコンサートを先生を始め、仲間のみなさんとの協力で必ず大成功させましょうね どうぞ、宜しくお願い致します
人気ブログランキングへ 本日、音響さんに電話をしまして 朝一番から準備に入っていただけるよう交渉致しました 明日は時間外が通用していただけるのか うずしお館に問合わせてみます
ポチットいつも勇気をありがとう 力になっておりますー
今日のお話は、赤田鶴子先生の本当にあった怖いお話であります このお話を、まさかこのブログで皆さんに打ち明けることができるとは思ってもいなかったのでございますが 先生自ら 「生きてるんだから 別にブログに書いても構わないわよ との許可を頂けましたので 実話を基に書かせていただきます。
あれは5月のことでありました・・ 私は隠岐の島のしげさ節全国大会の会場で赤田先生と久しぶりに再会致しました といいましても、私はここで告白致しますが・・ 私的に先生と少し距離を置いておりました といいますのも・・ 私は赤田先生が大好きでございますが・・ 先生の弟子ではございません
そして 先生には当然、大切なお弟子さんがたくさんおられます 私は、先生に可愛がって戴いておりますが 最近、少し大人になったのか成長したのか・・ お弟子さん達のことを想うように変わっていったのでございます。
私は、もし自分が弟子であったらなと想像したのです 自分の先生が弟子でもない民謡人を可愛がるとすれば・・ 私だったら心の中で少し焼けると思ったのです。 もしかしたらそれは間違いかもしれません。 でも、私は先生のことが大好きな気持ちは表にあまり出さない方が良いのだと結論を持ちました。
だから・・ 隠岐では、赤田先生にあまり話かけたりしませんでした
正直、心の中では葛藤がありました 先生と仲良くしたい正直な気持ちと・・
いや弟子にもなってはいないただの一匹ワンちゃんは、人目の少ない隅にでも引っ込んでおいた方が良いのだと
ですので先生とはもちろん別行動でしたし、それでも滅多に会えない先生に・・ なんか寂しいし 申し訳ない気もしていたんです ここまでは、隠岐の島でのお話です 私が先生から驚愕の事実を聞いたのは 私が春のコンサートについてのお願いのお手紙を先生に出し、先生が私にお電話を下さった日でした
赤田先生が信じられない言葉を言ったのです 「島本さん あのねー
私 死んでたのよ もう少しで
私は を疑った 先生 いったい何があったのですか 5月のしげさ節大会が終わって・・ まだ間もない頃に、広島の北部で を運転していたら なんと (@_@;)
12トン トラック と正面衝突 したわよー
えーーーーーーーーーーーー マジですかーーーーーーーーーー 私は凍りついた 先生は5月に亡くなっていたかもしれないという事実に唖然とした
赤田先生の話によりますと・・ 12トントラックと正面衝突した時に先生は車内で気を失っていたらしい 先生が座っていた運転座席の隣の助手席は、12トントラックに激しく突っ込んだ形となり グシャグシャに潰れ形もなかったらしいです
相手のトラックの運転手も・・ 現場に辿り着いた警察も・・ 揃って死亡を疑わなかったという 警察が赤田先生を発見した際に 先生は目を覚まされたそうです もう数十センチ激突する位置がずれていたとしたら・・ 赤田先生とはもうこの世で会うことはできなかったのだと思うと
私は、このブログを書いている今、涙が出ております 赤田先生、生きていてくださって本当に良かった 私は、密かに・・ 自分の心の片隅で・・ もしかしたら 先生を救ってくださったのは 春のコンサートの女神様が救ってくださったのかもしれないと感じているのでございます
赤田鶴子先生、また再会できて大変嬉しくて どうもありがとうございました 春のコンサートを先生を始め、仲間のみなさんとの協力で必ず大成功させましょうね どうぞ、宜しくお願い致します
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