はさみ屋のブログ

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お布施(喜んで捨てる心)

2007年07月14日 | Weblog

仏事あれこれ編

第 8 話  お布施 

壇 「いんげんさん、ところでお布施はいくら包んだらええの?」
  (来た~、坊さん泣かせの質問だ。結構多いんです。)

住 「いくらでもいいですよ。お気持ちで包んでください。」
                 
壇 「いくらでもいいって言われても・・・相場ちゅうもんがあるでしょ?」

住 「相場って言われても・・・ 島の相場?今治の?それとも都会のを言いましょか?」


ご法事やお葬式で拝んだら、みなさん『お布施』と書いたお包みをくださいます。
でもその中身、「いくら入れたらいいんだろう。恥はかきたくないし、でも出来たら
少ない方が・・・ 」って悩む方が多いようです。

そもそも『お布施』ってなんでしょう。

『お布施』とは仏の道を歩もうとする人の、六つある実践徳目(六波羅蜜)のひとつ
『布施波羅蜜』のこと。心の三毒のうちの『貪(とん)』、つまり貪るという心をを
滅するための、『仏の無条件の慈悲』につながる聖なる行いです。

岩波の仏教辞典には

【出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物その他を施し与えること。
衣食などの物資を与える(財施)、教えを説き与える(法施)、怖れをとり除いて
やる(無畏施)を(三施)という】と載っています。

一般的には、『人に金銭、財物などを施すこと、あげること』です。あげるのですが、
聖なる行為ですから「少しでもケチりたい」という気持ちがあると
お布施にはなりません。

『お布施』を別の言い方ですれば『喜捨』。つまり「喜んで捨てる心」が大事です。

島でお遍路さんにする『お接待』も同様です。

誤解されている方が多いのですが『お布施』は決して『料金』ではありません。
施す側の人の「ありがたや~」という感謝の気持ちを包んでいただくのが『お布施』
であり、お気持ちの現れだから決まった金額なんてあろうはずがないのです。


壇 「でも、福蔵寺のいんげんさんはそう言うけど、○○寺はお布施△万円って
      書いとったで。福蔵寺もそうしてくれたら楽なのに」

・・・ ごめんなさい。仏の教えの受け取り方は、お坊さんによっても様々です。
お布施の考え方も違うようですね。 でも、もし○○円と書いているならそれは
料金になりますから、お包みには『回向料』とか『読経料』と書くのが
筋だと私は思います。

同じ五千円でも、お家の経済事情によってその価値は全く違うはずです。
五千円が精一杯の人、もったいないから五千円にしとけって思っている人、そんな人
の本当のお気持ちを知っているのは仏さまだけです。
積まれる功徳も違ってくるでしょう。

だから金額の多い少ないを他人と比べながら必要以上に気にするのもどうかと思います。
自分が出来ることを無理しない程度に、仏に命に感謝の気持ちを添えてしていただく、
それで十分だと私は思います。

今までに私がいただいた『お布施』には、中身が『ゼロ・・入れ忘れた?』ものから
『びっくりするような額』までありました。 でも『お布施』である以上、そのまま
有り難く頂戴しています。 少ないと文句も言いませんし、多いと思ってもお返しは
いたしません。 (お布施はすべてお坊さんのお小遣いになるのではありません。
宗教法人の会計に入ってお寺の護持に使います。 お坊さんはそこからお給料を
いただいています。)

もしも『読経料』と書いてあって中身が『ゼロ』だったら・・・・・・・
「すみません、お布施って書き直してくださ~い」。

そして何よりもみなさんに「ありがたい」と思っていただけるよう、お坊さん自身の
精進が必要なのは申すまでもありません。

 http://hukuzoji.sakura.ne.jp/arekore8.htm


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