或る詩的体験と我がユートピア

2017-07-22 12:54:53 | 日記・エッセイ・コラム
猛烈な暑さもさることながら日本に限らず地球のあちこちで水害が起きています。前にもちょっと書いたけどこれはノアの洪水です。犠牲になられた方々、被災者にはお気の毒ですが、なぜこんな天災に合うのか考えてみるのもいい。
ほぼ1ヶ月、たくさんの詩と向き合ってきた。その都度散文で考えた中から、自分の言葉を導き、「詩に向き合う詩」が生まれないだろうか、試していた。出来上がったものをそれぞれの詩誌で活躍している詩人たちに送った。嬉しいことに送ってすぐ四国の詩人から電話を戴いた。大変好意的に受け止めていただいたのでホッとしている。
詩評というものを否定するわけではない。しかしいかに散文で修辞しようとも短詩という型は超えられないという考えを根底に持っている。西脇順三郎の詩評は詩であるとぼくは思っている。「詩には詩を」とまではいかなくても、「詩には詩に近いもの」で応えられないだろうか、或いは応えたらどうなるだろうかということをずっと考えていた。そのことを今回実践してみた。結果、限りない可能性を得た。自分の中で色々な詩的体験を共有することができるということも可能性のひとつだ。自分の意識の空間を広げていくと眠っていた無意識のひとつひとつが目を覚ますかのようだ。



昨日あたりで一区切りがついた。この暑い最中ぼくを救ってくれているのは、ぼくが別荘と称している葛城市の総合福祉センター「ゆうあいステーション」なのだ。涼しい中で読み書きができる。ここでは学校が終わると子供と親が一緒に楽しく時間を過ごす。僕が不思議に思ったのは、側をチビ達が走り回っても一向にうるさいと感じないことだ。隣で卓球をしていてもぼくの読み書きの邪魔にならない、ここの騒がしさって何なんだろう?って考えるけど、とても不思議な明るさだ。不思議な空間だ。またここでは障害者も健常者も一緒に過ごしている。子供も中年も老人も一緒に過ごしている。
眠くなれば横になればいい、気分転換には個人で見れるテレビもある、広い庭をブラブラするのもいい、新聞を広げてお茶で一息入れるのもいい。腹が減ったら食事もできるし酒もある。
頭が疲れたら二階のきれいで眺めのいい「たいま温泉」につかってほっこり休む。
我が別荘はまさにユートピアなのであります。
コメント (4)
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