我が柳川そして優勝おめでとう琴奨菊関

2016-01-24 22:38:24 | 独り言
大寒波の今日熱い熱いニュースだ。日本人が待ちに待った日だろう。大関琴奨菊関優勝おめでとうございます。僕な好きな町柳川の皆さんの喜びが伝わってくる。柳川を知ったのは35年前、原チャリ(スズキ・ランディ50CC)で九州一周を目指した時だ。京都を10月末に出発して日本海沿い(9号線)を走った。当時はうるさくなかったから駅に寝たり、野宿をしたりで自炊しながらの貧乏走行だった。秋芳洞から山陽に出た。関門トンネルをバイクを押して渡ったなあ。その頃読んでいた那珂太郎さんの詩「はかた」が頭にあったから海の中道を走った。たまたまである。夕方柳川に入った。11月2日、北原白秋の「叱られて」の曲がどこからか流れていた。
川の方から聞こえた。初めての土地柳川が水郷の町だと知らなかった。川を次から次へと下ってくる「どんこ船」その中で演奏しているブラスバンドの音色だった。辺りにはうなぎを焼いた美味しそうな匂いが漂って空きっ腹を刺激した。水郷の水路の低い橋の下をくぐる船の人たちに上から花火やお菓子などを差し出す人たちがいたり、素朴な白秋祭に魅せられて一泊することにした。運良く見つけた民宿の隣に居酒屋があった。この店がまた楽しく、若い女将がチャーミングですっかり気に入ってしまったのである。客も酒も楽しい、飲んでいるうちにこの町にしばらく居ようと決めてウイスキーのボトルをキープしたのだ。この店今はなくなっているが僕の中では今でも「てるこさんの店」として残っている。結局柳川には4日逗留した。そしてその4日間ですっかり柳川が好きになった。京都に戻ってしばらくして、友人の奥さんが柳川の出身だと知って、会って話をするたびに柳川を懐かしんだ。数年前柳川に行った時に町のあちこちで「琴奨菊」の幟がはためいていた。今僕が居る当麻は相撲発祥の地だという。あれやこれや縁の深さ、不思議というものを感じている。琴奨菊関には横綱になって欲しいな。これからも応援しますよ!!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽春じゃないか

2016-01-03 20:30:28 | 独り言
穏やかなお正月でも何という温かさだろう。元旦はスーパー銭湯「ぽかぽか温泉」で初風呂、昨日は初筋トレ、ジョグで2016年をスタートした。一汗流した後はいつもの散策。二上山を踏切台にしてこの広い空に浮いていたいなあ。       当麻寺

「あしひきの山のしづくに妹待つと               葛城ゆうあいステーションから
我が立ち濡れぬ山のしづくに」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有馬は遠かった!

2015-12-29 08:54:42 | 独り言
今年も、ありゃまあ!!で有馬は終わった。我が予想は20%当たっていた。しかし勝ち馬ゴールドアクターの母父キョウワアリシバは懐かしいねえ。昔何回か馬券を買った記憶がある。「ゴールド」違いでシップではなくアクターかも?なんてことが、チラっと頭をかすめたが軽くやりすごしてしまった。よくあることだ。種牡馬スクリーンヒーローは目立たないがそこそこ勝ち馬を出している。来年は注目しなければいかんな。まあ、脳みそはもう金杯にスイッチが入っている。京都競馬場で祝杯を上げよう。でっかいお年玉をもらっちゃおう。
                  スケッチ冬木々

私が使っている絵の具「ホルベイン」の会社が、今住んでいる葛城市にあることを最近知った。これも縁あっての事だろう。この土地に導いてくれた神の手に祈らずにはいられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あてにならない土地勘

2015-12-17 09:43:54 | 独り言
引っ越して3ヶ月半経った。そこそこの土地勘にたよって領土開拓に出かけた。いつものように当麻寺でのお参りを済ませたあと、見知らぬ町並みの辻々を気が向くままに歩いた。たまに二上山を仰いでおおよその位置を確かめる。山の姿形で方角がわかるはずであったが、途中からそれが怪しくなってきた。向かっているはずの地点から次第に遠ざかっているようなのだ。すると線路が見えた。地図で見ていたからだいたい分かるはずだ。ところが近鉄の線路だと思っていたのがJR線だった。こうなると私はとんでもないところ来ていたのだ。それからは土地勘は捨てて地図の記憶を頼りに線路の架線を見失わないように歩いて、やっとこさ見慣れた場所に戻ってこれた。3時間半の長旅になった。歩数は2万歩を超えていた。あてにならない土地勘にしてやられた。餃子定食で12個の餃子とご飯のお代わり、空腹を満たして、ラスト30分慣れた坂道を歩いて住処にたどり着いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自称馬券師を名乗るPOET

2015-12-03 14:52:40 | 独り言
   自称馬券師を名乗るPOET
             

 ギャラリーの主から仏像の話を一緒に聞いていたことからこの男と話すことになった。
 窓越しに寺の黒門の階段を上っていく人が見える。男が自分の知人の「がれき後背仏」が当地の当麻寺に寄って福島向ったということを、さっき主に話していたのを聞いて「えっ」と思った。偶然にも「がれき後背仏」を製作した山本流門仏師とは私も少なからず縁があった。竜門仏と円空仏の違いなどを話しているうちに、男は詩を書いていると言った。  
 竜門仏師も仏像彫刻の修行中の頃詩を書いていた。ご自身の「集仏庵」を「詩有仏庵」と称されるぐらいだ。男はさらに「馬券師を名乗るPOET」だと言った。私は面白いと思った。当然話は詩から競馬に流れた。聞いていると馬券師のこだわりは「馬は血で走る」の一点だった。競走馬の生産は牡馬の戦績もあるが、要は牝馬にあるという。体格や馬力は牡馬によるところがあるが、性格は牝馬に依るところが多いらしい。私は「血で走る」という言葉にまさに血が騒いだ。人間にも当てはまりはしないかと。というのも常々私自身は母方の血が濃いと思っているからだ。事業家、教師、画家、釘師と私の牝系は賑やかだ。馬券で大穴を出す牝系には何世代か先にアウトブリード(非主流というらしい)の血を持っている馬だという。その説からいくとアウトブリードの血を持っているであろう私は大穴系なのかもしれんな・・?
 馬の牝系を一頭一頭たどりながら、狙い打ちするのが馬券師さまの遣り方らしい。
ところで、ということで話は詩のことに戻った。POETは「詩は書かない方がいい」と言った。詩を書こうとすると詩から離れていくという意か。木秋尾氏から送られた二行詩誌「双」で氏は「行間とは語らずにして語りつくせない言葉が詰まっているところ」と書いていた。書かないことも書くに値するのかもしれない。POETは「皆さん詩という型を高次元で捉えているね。低次元の産物でいいのよ詩は」とも言っていた。さらに「借り物言葉をいじくって、何とか自分のもののように見せようとしているにすぎない」だから「言葉をいじらないでじっと待っていれば自然と言葉は自分になじんでくる。僕自身が詩の形だもの」と言う。この意をのみ込めぬ私のレシートを持って馬券師は席を立った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする