54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

売れない価値

2005年06月11日 | パラソル
室井さんの「美学の喪失」についての私の見解・感想。私が理解したところでは、芸術が「商品」になってしまい、売れる売れないで価値が決まってしまい、そこに美学はないと。巨大なスーパーマーケットにあるものだけがすべてではなく、そこには売られていない、商品化されていないものの中に「いいモノ」があるかもしれないと。いささか要約しすぎではあるけれど、こんなところで。
これに関連して、クライトンは、ランキングにあるものはたくさん売れ、ないものは売れない。ランキングにないものはもはや存在していないようなものになっている。その傾向は情報化にともない加速している。と書いていた。
現在いたるところで「二極化」が問題になっている。貧富の二極化、学力の二極化、そして売れる売れないの二極化。オレンジレンジの「MUSIQ」がダブルミリオンを達成したし、スマップの「世界にひとつだけの花」もダブルミリオン、いずれも2位以下を大きく引き離してダントツの売り上げだ。売れるものと売れないものの差が激しい。売れるものは馬鹿みたいに売れて、売れないものは全然売れない。レコード会社としては売れないものをいくつも出すより、宇多田ヒカルを一人つくればいいという考えだ。なぜこんなにも二極化が進んでしまったのか。クライトンはインターネットのせいだと言ってるけども。
「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「電車男」とかバカ売れしてるけどそんなにいい作品か?と思ってしまう。売り上げと作品の内容は比例しない。山積みされている本と隅にちょこんとある本との間に大きな差はない。「売れる=価値がある」というのは商業的な見方でしかなく、芸術的な見方ではない。しかも室井さんがいうところでは、本屋にないものの中にいい作品があるかもしれないというのだ。その考え方は否定しないけども、しかし、
本屋にないものをどうやって探せというのだろうか。あるにはあるけども、その多くは駄作に過ぎないだろう。いい作品は世に出るものだ。それでも世に出ない傑作というのもあるかもしれない。しかしみつけるのはひどく困難だ。世に出ているものの中から探すほうが早いし、ランキングから選ぶほうが楽なのだ。そんなわけで私はメジャーなものしか取り入れないだろう。そんな人間が多くなってきているのかもしれない。高度なシステムの中で生まれ、効率ばかりを重視する傾向があるのかもしれない。

世に出ていない傑作を世に出すために、それを探し出す「ケンサカー(検索er)」を作ればいいと思う。それは芸術に関する資格を取ればなれる職業である。より情報化が進めば、ウェブ上に作品を公開するということで、世に出ない作品はなくなるだろう。しかしその膨大な量をいちいち見て回るのは消費者としてはつらい。ほとんどがムダ骨に終わるのだから。そこでケンサカーの登場。ケンサカーは毎日新しい作品を見て審査しよい作品を選び出し宣伝する。これにより消費者は選択の幅を大きく縮められるわけである。
まあ結局のところまたランキングか、という感じではあるが。作品の良し悪しなんて人それぞれで違うわけだから、ケンサカーの判断なんて当てにならない部分もある。そう考えていくと立ち往生するわけで、世の中答えの出ない問題は多いなとつくづく思うのです。

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