この投稿記事は、
東京新聞TOKYO Web
【社説】2013年5月3日からの全文転載です。
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憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖
憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、九条を変えることでしょう。
国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。
平和憲法を守る方が現実的です。
選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。
多数決で法律をつくる、これも民主的です。
権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら…。
ワイマール憲法当時のドイツで実際に起きたことです。
国民主権を採用し、民主主義的な制度を広範に導入した近代憲法でした。
ヒトラーは国民投票という手段も乱発して、
反対勢力を壊滅させ、独裁者になりました。
憲法は破壊されたのです。
◆熱狂を縛る立憲主義
日本国憲法の役目は、むろん「権力を縛る鎖」です。
立憲主義と呼ばれます。
大日本帝国憲法でも、伊藤博文が「君権を制限し、臣民の権利を保障すること」
と述べたことは有名です。
たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、
鎖で縛ってあるのです。
また、日本国民の過去の経験が、現在の国民をつなぎ留める“鎖”でもあるでしょう。
憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は
「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。
それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。
人間とはある政治勢力の熱狂に浮かれたり、
しらけた状態で世の中に流されたりします。
そんな移ろいやすさゆえに、過去の人々が憲法で、
われわれの内なる愚かさを拘束しているのです。
民主主義は本来、多数者の意思も少数者の意思もくみ取る装置ですが、
多数決を制すれば物事は決まります。
今日の人民は明日の人民を拘束できません。
今日と明日の民意が異なったりするからです。
それに対し、立憲主義の原理は、正反対の働きをします。
◆9条改正の必要はない
「国民主権といえども、服さねばならない何かがある、それが憲法の中核です。
例えば一三条の『個人の尊重』などは人類普遍の原理です。
近代デモクラシーでは、立憲主義を用い、単純多数決では変えられない
約束事をいくつも定めているのです」(樋口さん)
自民党の憲法改正草案は、専門家から「非立憲主義的だ」と
批判が上がっています。
国民の権利に後ろ向きで、国民の義務が大幅に拡大しているからです。
前文では抽象的な表現ながら、国を守ることを国民の義務とし、
九条で国防軍の保持を明記しています。
しかし、元防衛官僚の柳沢協二さんは「九条改正も集団的自衛権を認める必要性も、
現在の日本には存在しません」と語ります。
旧防衛庁の官房長や防衛研究所所長、内閣官房の副長官補として、
安全保障を担当した人です。
「情勢の変化といえば、北朝鮮のミサイルと中国の海洋進出でしょう。
いずれも個別的自衛権の問題で、たとえ尖閣諸島で摩擦が起きても、
外交努力によって解決すべき事柄です。
九条の改正は、中国や韓国はもちろん、アジア諸国も希望していないのは明らかです。
米国も波風立てないでほしいと思っているでしょう」
九条を変えないと国が守れないという現実自体がないのです。
米国の最大の経済相手国は、中国です。
日中間の戦争など望むはずがありません。
「米国は武力が主な手段ではなくなっている時代だと認識しています。
冷戦時代は『脅威と抑止』論でしたが、今は『共存』と『摩擦』がテーマの時代です。
必要なのは勇ましい議論ではなく、むしろブレーキです」
柳沢さんは「防衛官僚のプライドとは、今の憲法の中で国を守ることだ」とも
明言しました。
国防軍が実現したら、どんなことが起きるのでしょうか。
樋口さんは「自衛隊は国外での戦闘行為は許されていませんが、その枠が
はずれてしまう」と語ります。
「反戦的な言論や市民運動が自由に行われるのは、
九条が歯止めになっているからです。
国防軍ができれば、その足を引っ張る言論は封殺されかねません。
軍事的な価値を強調するように、学校教育も変えようとするでしょう」
安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は
「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。
でも、憲法施行から六十六年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。
改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。
◆“悪魔”を阻むハードル
首相は九六条の改憲規定に手を付けます。
発議要件を議員の三分の二から過半数へ緩和する案です。
しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、
高い改憲ハードルを設けているのです。
九六条がまず、いけにえになれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません。
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憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖
憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、九条を変えることでしょう。
国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。
平和憲法を守る方が現実的です。
選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。
多数決で法律をつくる、これも民主的です。
権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら…。
ワイマール憲法当時のドイツで実際に起きたことです。
国民主権を採用し、民主主義的な制度を広範に導入した近代憲法でした。
ヒトラーは国民投票という手段も乱発して、
反対勢力を壊滅させ、独裁者になりました。
憲法は破壊されたのです。
◆熱狂を縛る立憲主義
日本国憲法の役目は、むろん「権力を縛る鎖」です。
立憲主義と呼ばれます。
大日本帝国憲法でも、伊藤博文が「君権を制限し、臣民の権利を保障すること」
と述べたことは有名です。
たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、
鎖で縛ってあるのです。
また、日本国民の過去の経験が、現在の国民をつなぎ留める“鎖”でもあるでしょう。
憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は
「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。
それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。
人間とはある政治勢力の熱狂に浮かれたり、
しらけた状態で世の中に流されたりします。
そんな移ろいやすさゆえに、過去の人々が憲法で、
われわれの内なる愚かさを拘束しているのです。
民主主義は本来、多数者の意思も少数者の意思もくみ取る装置ですが、
多数決を制すれば物事は決まります。
今日の人民は明日の人民を拘束できません。
今日と明日の民意が異なったりするからです。
それに対し、立憲主義の原理は、正反対の働きをします。
◆9条改正の必要はない
「国民主権といえども、服さねばならない何かがある、それが憲法の中核です。
例えば一三条の『個人の尊重』などは人類普遍の原理です。
近代デモクラシーでは、立憲主義を用い、単純多数決では変えられない
約束事をいくつも定めているのです」(樋口さん)
自民党の憲法改正草案は、専門家から「非立憲主義的だ」と
批判が上がっています。
国民の権利に後ろ向きで、国民の義務が大幅に拡大しているからです。
前文では抽象的な表現ながら、国を守ることを国民の義務とし、
九条で国防軍の保持を明記しています。
しかし、元防衛官僚の柳沢協二さんは「九条改正も集団的自衛権を認める必要性も、
現在の日本には存在しません」と語ります。
旧防衛庁の官房長や防衛研究所所長、内閣官房の副長官補として、
安全保障を担当した人です。
「情勢の変化といえば、北朝鮮のミサイルと中国の海洋進出でしょう。
いずれも個別的自衛権の問題で、たとえ尖閣諸島で摩擦が起きても、
外交努力によって解決すべき事柄です。
九条の改正は、中国や韓国はもちろん、アジア諸国も希望していないのは明らかです。
米国も波風立てないでほしいと思っているでしょう」
九条を変えないと国が守れないという現実自体がないのです。
米国の最大の経済相手国は、中国です。
日中間の戦争など望むはずがありません。
「米国は武力が主な手段ではなくなっている時代だと認識しています。
冷戦時代は『脅威と抑止』論でしたが、今は『共存』と『摩擦』がテーマの時代です。
必要なのは勇ましい議論ではなく、むしろブレーキです」
柳沢さんは「防衛官僚のプライドとは、今の憲法の中で国を守ることだ」とも
明言しました。
国防軍が実現したら、どんなことが起きるのでしょうか。
樋口さんは「自衛隊は国外での戦闘行為は許されていませんが、その枠が
はずれてしまう」と語ります。
「反戦的な言論や市民運動が自由に行われるのは、
九条が歯止めになっているからです。
国防軍ができれば、その足を引っ張る言論は封殺されかねません。
軍事的な価値を強調するように、学校教育も変えようとするでしょう」
安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は
「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。
でも、憲法施行から六十六年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。
改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。
◆“悪魔”を阻むハードル
首相は九六条の改憲規定に手を付けます。
発議要件を議員の三分の二から過半数へ緩和する案です。
しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、
高い改憲ハードルを設けているのです。
九六条がまず、いけにえになれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません。
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