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松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

休日のなかで

2009年10月21日 04時10分14秒 | Family
休日になると

家内は、動く。

室内の掃除はともかく、

植物、金魚の世話など、そして、先日からの、ベランダカフェ

そのカフェも

最初は、家庭内の来客もあったが、

自然に減。




(撮影・家内)



(撮影・家内)


私といえば、●●●の合間に、写真を撮る。




(撮影・亭主)埋め込み合成


先日、「あんたも好きね」

といわれたので、こう伝えた。

「看板には、某ビールの宣伝であるため、肖像権の問題で

この絵を挿入したと・・・」


そういうわけでの合成写真となる。

実際の大看板のいま、人気急上昇中の

あの女優さんである。


地下鉄大濠公園駅の一番口から出て、見上げれば、

わかるはずですが?






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ベランダ・カフェ

2009年10月05日 07時32分19秒 | Family
家内の企画で、

ベランダ改造?、遊び?、S解消?

いずれにしても、彼女の2回目の挑戦。

こうなった。







撮影も家内で

(PHOTO 10月3日 No1,No2 harumi)







kanaiの

限られた空間での挑戦は、続く。

それを見守る

やさしい男が

ひとりいた。




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おとうさん 撮って

2009年09月18日 22時37分02秒 | Family
先日、阿蘇の白川水源での夫婦の小話。

私が、水源の写真を撮っていると

家内が小さな声で囁くように





「撮って!」「撮って」


振り返るとベンチにすわる家内のバックの紐に



「赤トンボ」である。

撮っているといると、

今度は、こっちから撮ってと指示が飛ぶ。

「うぬ、」


いつからディレクターになったの。?





か細い赤とんぼと逞しい手のコラボレーション的な絵になりました。







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盆を前にしての墓掃除 松浦にて

2009年08月13日 00時13分54秒 | Family


12日、午前中に松浦に入り、

御厨の妹に、準備してもらっているお供え物を

受け取り、父が入院している病院へ。

(顔色がよかったので、ひと安心)

そして、お寺へ、そして、実家へ。

ここで、家内と任務分担とする。

家内は、家の中、私は、お墓掃除。







妹から聞いていたが、墓の右側は、木々の葉と蔓が

墓と戒名塔にまさに、覆いかぶろうとしている。

さあ、足場に注意して、労働開始である。

伐採道具は、錆びた鎌しかなくて、

鎌を鉈に変えて、悪戦苦闘

Tシャツと短パン、姉さんかぶりのタオルで

奮闘し、約1時間一寸。

落ちる汗、肌に絡みつく木々の汚れ

おまけに天気雨。

そして、この結果。




何十年ぶりにやった伐採という作業。

共同水道の水で、手足と顔をあらった。

実に爽快だった。

何十年ぶりの肉体労働

「おふくろ、お帰りなさい。」



合掌




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父の日にAKANEが贈った竹皮張りはきもの

2009年06月15日 21時05分59秒 | Family



AKANE君からの”父の日”   サンキュー:::::オヤジ





この表情がなんともいえないものである。





この履物は、熊本で約800年前に竹の皮を用い草履らしきものを創って履いた

といわれており、古くから愛用されたという。

足の裏を刺激し(壷)血行を良くする

健康履として喜ばれいるという。

血の流れが悪くなる  年寄りには

効果があれば、いいのだが、

そう、効くだろう

AKANEからの草履だから。

また、サンキュー

オヤジより。




聞いてください この歌声を! -松本かつひろの歌-

2009年06月09日 02時09分27秒 | Family
先日、ブックマークに載せた

弟分、かっちゃんの歌声

YouTubeにのっているが、彼のブログでも紹介している

「ミチスジ」セッション「大鶴裕紀」


の歌声を是非・是非聴いてほしい。

いま、音が氾濫している

そのわりには、肝心なところ、場所では、聞こえない。

端的にいえば、昼間、華歌が聞こえないのである。

ひとつの端末からは、よく雑音的に漏れてくる

音はある。

ミュージュックもある。

しかし、肝心なところに華歌すらもなく、

ため息だけが、数多く聞こえてくる。




「うたを忘れたカナリア」

そういう時代に、

そういう時の中に、しっかりとたち

ごく、普通の色々な「愛の姿、想い」

みつめ、語りかける

我が、弟。

そして、今日も 唄う。



人が人として、ハッピーにいきていくために。






(作画 松本かつひろ)





金太死す

2009年05月26日 20時06分36秒 | Family


金太死す

我家の家族であった。

金魚3匹いるなかで、

最後に加わった一番末っ子。

先輩金魚(まだ、名前つけてない)

にいじめを受けていたので、

ひとり生活をさせていたが・・・・

我家にきて

2年を経過していたが、

金魚の「金太」

冥福を祈る




合掌








写真は2009・5・4撮影・生存の「金太」




松本かつひろのホームページとブログ

2009年05月05日 14時45分08秒 | Family


私の弟分のミュージシャン松本かつひろ氏の

ホームページとブログを

ブックマークにいれました

HPの方は、休憩中ですが、

彼のプロフィール等、覗いてください。

また、ブログは、定期的に更新していますので

これは、近日情報習得で覗いてください。

そして 良かったら、 ライブにも言ってください。

弟分で親戚付き合いしている

ミュージシャン 「松本かつひろ」を

いつまでも、よろしくお願いいたします。



イラストはかっチャンの自作です。

写真はかっチャン自身です。

病室からの闘い

2008年11月15日 11時39分00秒 | Family
先日、所用があって、佐世保から松浦に入った

長年、病室の生活を強いられてきた 父との会話のなかで

土地の売買に関する折衝模様を聞いた。

結果は、決裂ということであった。

高齢の父は、最後に後は、頼むと告げた。

私は、「頼む」の言葉の前に告げた

言葉の中に、父としての威厳、家族のために、闘い続ける

ひとりの男の生き様に感動した。

90を越えても、ボケを知らぬ彼の脳、勇ましく発せられる

闘いの言葉群。

職場の仲間、地域の人々のために、自家庭の時間を最小限にとどめ、

闘いつづけた一人の男

今、病室からも家族のために、闘いつづけている姿があった。

偉大な父が、そこにいる。

(写真 孫と父 Photo harumi)

母13回忌終える6・15

2008年06月15日 19時45分52秒 | Family
本日AM7時に福岡を家内、娘の3人で出発。

9時50分頃、松浦着

前泊していた姉と実家で合流

やがて、妹夫婦そして家族

長崎からの後発部隊(義兄、姪、その子)も到着。

和尚さん登壇し、お経、

母の眠る墓へと

そして おとき。

短い時間のなかで、仏の道の教えをこう。

やがて、第2幕は、父の卒寿の宴へと

病院の世界から、しばし離れて、しゃばの世界で

孫、曾孫をみつめる父

そして、想いを詠う詩

代読する姉。

”13回忌を詠む”

子や孫が集まり開いた13忌(とみ)の斎(とき)

黄泉(よみ)のイセ風

ありがとうと吹く

平成20年6月15日    幸助



同じく、遺影からみつめる亡き母の笑顔とやさしき瞳。


今日の佳き日に、皆乾杯

合掌




母の13回忌をまえに

2008年06月01日 02時54分38秒 | Family
今年は母の13回忌となる

6月は家族が集まる

忘れもしない、当時、佐世保の地で生活をしていたころ

日曜日の夜、母がひとり暮らしをしていた松浦、志佐町の実家の近所の

人から電話が入った、母の様子がおかしいので

至急に来てくれと・・・・

電話の内容は、詳細をつげることなく切れた。

そして、私は、覚悟を決め、妻とふたりで

松浦の実家へと車を走らせた、夜、二つの山を越えて

実家に入ると、物々しい様子、警察官が家の中で家のなかを詮索し、

聞き込みをしていた。

同じく駆けつけていた義理の弟に聞くと、隣の町にすむ妹は、

母と市内の病院へと、

私たちも病院へ向かい、涙顔の妹が、「兄ちゃん、お母さんが・・・・」

そして、まだ、暖かさが残る母と対面した

あのやさしい、母と。

溢れくる涙と悲しみの中、妹から詳細を聞いた。

ひとり暮らしで心臓が弱かった母が、風呂のなかで、

倒れ、湯のなかで、ひとり、息をひきとっていたことを。

警察は、ひとり暮らしであったことから、

事件?ではと思い行動していたこと。





あれから、時がながれ、13回忌をまえに想う事、

長期入院の父のため、ひとり暮らしをしていた

病弱の母に、幾度か佐世保においでよと

告げたが、入院中の父の看護、そして

生まれたときから生活をしている松浦・志佐の町から

離れたくないという気持ちもあり、適わなかった。

いま、想う。反省する。

もっと、母孝行を出来なかったかと・・・・

そして、6月を迎える。