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BABYMETAL探究(「KARATE」MV偶感)

2016-03-22 01:01:43 | babymetal
ニューアルバム降臨まで、いよいよあと1週間!
ついにここまで来た。(ですよね?皆さん!)

その前に、「KARATE」のMVをめぐる喧噪、これって、物凄いことが起こっているのだろうか?そうなのだろう、おそらく。
再生回数の上昇ぶりとかについては疎いのでその凄さ(凄いのか?)はよくわからないのだが、YOUTUBEのコメント欄を眺めると、「横のふたり要らない…」とか「何このダサい歌詞www」とか「笑っちゃう、何でこんなのが世界で人気なの?」とか「こんなのはメタルじゃない!」等のディスるコメントが散見される。BABYMETALをディスるのに典型的な、なんとも初々しいコメントだ。
ということは、このMVによってここ数日のうちにBABYMETALに初遭遇した方々が数多くいるということだ。
このMVの「威力」は強烈にあった、ということになる。

僕たちファンの感覚からすれば、とんでもなく遅すぎるMV公開だが、この大喧噪の最中に、
WOWOW4時間半連続放映→ニューアルバムリリース→WEMBLEYアリーナ公演→NHKライヴと、(この列挙の仕方は、玉石混淆に過ぎるだろうか?)大爆発が続くのだから、何ともまあ絶妙のタイミングでのMV公開、なのだろう。
さすが、である。

にしても、今回のMVには、BABYMETALの「素材」としての無敵ぶりを改めて痛感させられた。

ディスるコメントにも見られるように、確かに、ダサいといえばダサい、のである。
これは、ベビメタ黒Tシャツにも通じる、BABYMETALのヘヴィメタル属性の現われのひとつ、だろう。
この、ある意味でダサいかっこよさこそが、ヘヴィメタルのかっこよさなのだ。

ところが、そうしたダサいかっこよさの上に乗って、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの表情や動きのキレや歌声は、気品を保った美しさ・可憐さを損なうことなく放射し続ける(もちろん楽曲の質の高さ、演奏・サウンドの透明感を帯びた重厚さが、そうした気品を高めていることは間違いない)。

例えば、闘いの前の静かに力を溜め、心を研ぎ澄ませる姿勢の美しさ。

「セイヤ、セッセッセセイヤ」での、MOA・YUIの天真爛漫な笑顔(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAの役割を彷彿させる)。

音楽と有機的に一体化しているため、あまり意識の前景には出てこないのだが、3人の一つ一つの身のこなし。個人的にはとりわけ、くるっとYUI・MOAが回転するところの素早さには、さんざんBABYMETALの映像を見慣れたこの目であっても、「えっ、いま、どんな動きしたの?」と唖然とさせられる。

倒された3人が立ち上がり、SU-METALがYUIMETALの肩に手を置き、MOAMETALがそれに寄り添う、その姿絵の神々しさ!(そういう動きをするとわかってても、この、3人の集合図には、どうしても目頭を熱くしてしまう)。

そして、3人のキャラクターを生かした、ファンならにやりとしてしまう「神技」の披露。
ここでは”愛の天使””微笑の天使”MOAMETALが、まさにその面目躍如、いちばん美味しいところをかっさらっていった感があるが、”舞踊の天使”YUIMETALの、バットを前にして「ハーッ」と精神統一をする時の表情や、バットを粉々にしてからの身体の回転、その後の「押忍!」と気合いを入れる表情も、ただただ見惚れてしまう。
SU-METALの技の後の特殊効果(地が割れ、宙空に波動がひろがる)も、納得してしまうリアリティがある。
実際、ライヴでのSU-METALは、このような「化け物」なのだし。

そして、仮面が割れて出てきた白い3人の、それぞれの「目」。これだけで、完璧な美しさ、だもの。これは、他の誰も敵わない・・・。

最後の最後、キツネサインを胸に畳み、下手に顔を向け目を伏せた、3人の揃った立ち姿も、ただただ美しい。

で、こうした「素材」としての3人の美しさそのものが、この「KARATE」という楽曲の世界観(心研ぎ澄まして)・音楽的な実質(重厚な透明感)を表現する、いわば「演」奏の素材となっているのだ。
こうしたBABYMETALならではのパフォーマンス構造こそが、メンバー自身が語る、「オンリーワンのジャンル」「この3人だからBABYMETAL」の内実なのだ。

そうそう、『ミュージック・マガジン』はもう皆さんお読みになっただろう。
たいへん、よい記事だったと思う。
さすが音楽雑誌、BABYMETALを純粋に「音楽」として批評するならば例えばこうなるのか、と納得できる記事が多かった。

そのなかでも、3人への質問とその答えに、上記の「素材」の素晴らしさを痛感させられた。
購入後、電車の中で読み始めたのだが、そこで(例によって)涙が滲んできて困った。
(これでこれだったら、来たる『ヘドバン』では、もう涙腺大決壊になってしまうだろうなあ…)

具体的に、ジンときた3人の答えを1つだけずつ挙げると、

① SU-METAL
(海外ツアーを経験したことで、大きく変わったことは?)
海外に行くようになり、慣れない場所で英語を話さないといけなかったり、予想もしないアクシデントを経験して、それに動じない心、対応力を学び、積極的になったと思います。

② YUIMETAL
(BABYMETALを始めたころに比べて、いちばん自分が成長したな、と思うところは?)
逆にどこが成長していると思いますか?私はこれからも、もっと努力をし、初心の気持ちを忘れずにYUIMETALを進化させていけるように頑張りたいと思います。

③ MOAMETAL
(BABYMETALのなにが世界中の多くの人々に受け入れられていると思いますか。)
何か受け入れられているといいなと思います。受け入れてもらえない人もいると思いますが、私達は私達の音楽を届け続けたいと思います。そして、一人でも多くの方と、道なき道を進んで行きたいDEATH!


こう書き写しているだけで、また涙が滲んでくるのだが、この涙は何に対するものなのだろう?

僕の場合は、実の娘2人に挟まれる年齢にSU-・YUI・MOAがいることになるので、完全に「親」世代であり、まるで、成長した娘のしっかりとした発言を目に耳にしたときの感激、のようなものかもしれないが、それ以上に、「正直」「素直」「本音」がここにある、その貴重さ・愛おしさ、による涙なのだと思う。

いま、こうして、「世界的成功」などと賞賛されるようになってきたが、どう考えても、BABYMETALとは(その「レシピ」においては)「キワモノ」「ゲテモノ」のはずなのである。
中学生・小学生の時に、いわば「お仕事のひとつ」として「やらされて」始めたBABYMETAL
その「キワモノ」「ゲテモノ」であったはずのユニットを、彼女たちは、その類いまれな才能と想像を絶する努力とで、世界に通じる「本物」へと化しつつある
僕(たち)は、その結果(成果・精華)のみを享受し、例えばこんなところにこんな好き勝手なことを書いたりして楽しんでいるだけでよいのだが、こんな空前絶後・唯一無二のものを生み出す道程において、彼女たちに、苦労・努力、悩み・迷い、試行錯誤、不安、不審がなかったはずはない
例えば、学校とか仕事の場などで、いわば「キワモノ」「ゲテモノ」を揶揄するような罵詈雑言の類をかけられなかったはずはない。さすがに直接的にそんな言葉は投げかけられたりはしなかったかもしれないが、例えばインタビュアーの大人たちの表情やリアクションに、「あ、ネタね」「すごい設定だね」「ははは。ま、がんばって!」といった気配はいくらでも垣間見えただろう。
今でも、とりわけ彼女たちの同世代からは、そうした否定的な反応を多く受けることもあるだろう。(「すてきな歌うたってるんだね!」なんてとても言われにくい活動、であるはずだ)。
あるいは、例えば、ドラ・チョコの現場で物が投げ込まれたり、というような反応・気配を、これだけ聡明な彼女たちが感じていないはずはないのだ。

MOAMETALの③の答えは、まさにそうした現実(今後も、ずっと付きまとうだろう。オンリーワンのBABYMETALだからこそ味わわなければならないオンリーワンの毀・貶だ。)をしっかり受け止めたうえで、自分は自分にできることを、精一杯やるしかない、という覚悟だろう。…ジーン…。

YUIMETALの②の答えは、彼女らしい実にストイックな発言だが、単に優等生的な「(結構、人気も出てきたけど)まだまだです…(って私、良い子ですよね。ニヤニヤ)」というような形式的な謙遜では、まったくない。彼女のナマの本音として、「もっともっと成長しなければ!成長したい!」という切望があるのだろう。そして、そうした思いの基準となっているのが、例えばメタリカであり、スレイヤー(ケリー・キング)であり、ということなのだ。何という16歳なのだ…ジーン…。

SU-METALの①の答えは、反作用として「もしもSU-METALがBABYMETALに出会っていなかったら…」という思いに誘われる。文献等からの憶測でしかないが、”読書好きの、ひとりの時間が好きな、マイペースな女の子”であったのではないか。そんな女の子が、BABYMETALを通じて、例えば、ライヴ会場で、何万人もの熱狂する聴衆に向かって「かかってこいやー!」と熱くアジる、世界的なロック・クイーンになりつつあるのだ…ジーン…。

なんてことを、3人の答えから僕は感じ取り、ジンときたのだろう。たぶん。
(以前に、「素材」考でも触れたことだが、BABYMETALというこんな奇矯なユニットにおいて、3人が自分のナマな気持ちを凜と保ち続け、それを心を籠めたパフォーマンスの原動力としている、この「強さ」を3人ともが兼ね備えているということこそ、「奇跡の3人」のいちばんの核なのだろう)。

『ミュージック・マガジン』の「KARATE」評にも同様の指摘があったが、

心折られても、立ち向かってゆこうぜ!」
「ひたすら闘うんだ。立ち上がれなくなっても、走れ!」
という歌詞は、
心折られそうになって、立ち向かってゆくんだ!」
「ひたすら闘うんだ。立ち上がれなくなりそうになっても、走れ!」
とは、その意味合いが全く異なる。

この歌は、とんでもなく凄絶な覚悟・生き方、を歌っているのだ。

でも、実際に(ツアーの日程を見るだけでも)BABYMETALはそうした凄絶な覚悟と地道な努力の積み重ねによって、こんなにも楽しく・美しく・カッコイイパフォーマンスを僕たちに届け続けているのだ。

この楽曲を、ニューアルバムに先駆けての、いわば”勝負”のMVにしたのは(『イジメ、ダメ、ゼッタイ』や『Road of Resistance』同様)この楽曲がまさにBABYMETALの覚悟・努力・ありようそのものを表わしている、「正攻法」の体現だから、でもあるのだろう。

「楽器も演奏しない…、こんなのクソだぜ!」
   ↑
そう、私たちは楽器を持たないの(「空・手」)です。
でも、私たちには「素手」があります。
決してくじけない(「心折られても」「立ち上がれなくなっても」ひたすら闘う、立ち向かってゆく、走る)心と身体があります。
そして、何より、仲間(「この3人だからBABYMETAL」)があるのです。
私たちは、こうして闘い続けるのです。
心研ぎ澄まして。

そんな”宣戦布告の楽曲”、それが「KARATE」なのだ。

初期の楽曲のような、ワチャワチャした楽しさ、ではなく、まさにここまで活動を積み重ねてきた彼女たちだからこそできる(彼女たちにしかできない)シンプルで壮絶なメッセージソング、なのだ。

MVを繰り返し視聴しながら、そんなことを思っています。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-03-23 19:18:26
カラテの最後ですが、
・キツネサインを挙げる
->白い3姫が消えてゆく
-->黒い3姫が胸に手を置くのと同時に白い3姫が消える。

目をのぞき込んで自分が写り込んでいるのですから、3姫の心なのではありませんか?
純粋な心としての白。
上記インタビューとも重なるMVだと思います。

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