ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「大志」考)

2016-01-02 19:05:45 | babymetal
いよいよ2016年の幕開けである。
年末に帰省への出発とすれ違いになってしまい受け取れなかったフードタオルも、たった今、ようやく受け取った。あとは、13日の「The One」への登録の日を待つだけである。これ、袋もカッコいい!何か、よい再利用の仕方はないかなあ。

それにしても、楽しみだらけの新年幕開けである。

もちろん、ニューアルバム(タイトルは、やっぱり『The One』?それとも(それこそ英国のQUEEN等に倣って)『BABYMETAL Ⅱ』?)の降臨がまず何といってもワクワクドキドキ待ちきれないのだが、収録される”新曲”群の「解禁」に伴って、WOWOWで1回放送したきりの、昨年6月21日開催の『巨大天下一メタル武道会』の、正式な映像盤や音盤のリリースが期待できるのも、実に実に楽しみである。
「チガウ(仮)」や、ラストの「THE ONE」(6月の幕張での一部のみ初披露の段階では、<神秘的な、SU-METALによる謎のスキャット>でしかなかったが)を含んだ完全版が、ようやく正式リリースされるのでは、と待ち遠しい。

年末年始に実家の大画面テレビでBABYMETALのライヴ映像をいくつか観たが、自宅の小さな画面やパソコンのディスプレイで観るのとはやっぱり全然違った。
で、『新春キツネ祭り』も『巨大天下一メタル武道会』も、大画面で見ると、その迫力というか大画面のすみずみまで行き届いた楽しさの完成度は、もう、言葉を失うしかない。
WOWOW等で録画しておいた他のアーティストのライヴ映像をいくつか観た後だったので、BABYMETALのライヴの楽しさの”凝縮”度を、つくづく痛感した。
もう他のアーティストのどのライヴ映像を観ても”ダラダラしている””ゆるんでいる”と感じてしまう、そんな身体になってしまった自分がいた。

いやほんと、BABYMETALのライヴ映像は、どの瞬間どの瞬間にも、画面の端から端にまで、溌溂とした魅力がみなぎっている。
高濃度の「魅力の飽和状態の緊張感」を保ったまま、激しく楽しく美しい楽曲の演奏にのって、激しく楽しく美しい3姫の歌と舞踊が、最初から最後まで疾走し続けるのだ。
そして、会場まるごと波しぶきをあげながらうねり続けるような<観客との一体感>よ!
”これ”を観てしまうと、もう他では物足りない。
とりわけMCで、気が抜けてしまうというか醒めてしまうというか。
<MCナシ>というBABYMETAL独自のスタイルは、観客の沸点に達した熱狂に水を差さない・醒まさない、というたいへんな効果があることを(他と比較することであらためて)痛感したのだった。

そうそう、横アリのライヴ、WOWOWでの放送も「今春」ということは決定している。「今春」では、ニューアルバムリリースとの前後関係もはっきりしないのだが、WOWOW放映では、新曲を映すということは今度もないのだろうか?
いやいや、それでは放送自体が不可能である。
収録日は12日・13日の両日になっているが、どのような構成の放映であるにせよ「The One」を省いてはこの両日のライヴの放映として意味をなさないだろうから。
「カラテ(仮)」が放映されるかどうかは予測もつかないが、2Daysのライヴをどのような構成で放映するのか、いずれにせよ、たいへんたいへん楽しみである。
12日のライヴももちろん観て見たい。会場のほとんど全員が恐らく言葉を失ったであろうオープニング(「泣いた」という感想、よくわかります。この曲からはじまるなんて誰も予想もしていなかったし、そこにあのSU-METALの神々しい歌声が響きわたるのだから、泣いて当然です。泣かない方がおかしいと思います。)、13日には演じなかった「紅月」「4の歌」そして神バンドの新インスト、どれも観たい・聴きたい。

さらにさらに、よく考えてみれば、「新春キツネ祭り」の映像盤もまだ一般販売されていないのだ。ということは、これも含めて、 『BABYMETAL 2015 Trilogy完全版』として、4枚組の映像盤の正式発売、もあるのではないか?などと勝手な妄想に胸をふくらませてもいる。

で、今年はじめのこの「探究」では、新年にふさわしく、BABYMETALの「大志」をめぐってあらためて考えてみたい。

BABYMETALが、単なる魅力的な1バンドであることを超えて、僕たちにとって「空前絶後」「唯一無二」の絶対的な存在になってしまったのは、BABYMETALが僕たちの想定を超えたはるかはるか高みを見ている、その「大志」から滲み出てくるもので(も)ある。

「世界征服」
と高らかに(書初めの筆文字で)掲げたのは、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のリリースすなわちメジャーデビュー直前の、2013年の番組「ハッピーMUSIC」でのことだったが、それは、単に、国内を飛びだして世界中をマーケットにする、という意味での「世界制覇」のことではない。
むしろ、そうしたビジネス戦略、販路拡大等とは別の次元における「大志」こそ、僕たちがBABYMETALに感じる「聖」性の「核」(のひとつ)なのだ。
番組内でも、「私たちは、オンリーワンのユニットを目指しているんですけど、世界中の人たちに、何じゃこりゃ!と思ってもらえるようなユニットになるために、ぐんぐん成長中です」と語っていた。

皆さんもよくよくご存知のはずのこの文言だが、こうして書き写してみると、改めて鳥肌が立つ思いがする(このころからBABYMETALを見続けてきたファンの方の素の感想をぜひお聞きしたいものだ)。今実際にBABYMETALが成し遂げていることが、まだ幼かった3人の可愛らしい笑顔・挙措を通じてこっそりと、そして、堂々と「予言」「宣言」されていた、というこのストーリーは、やはりとんでもなくドラマチック、というか、恐ろしい、というしかない。

ぐんぐん成長中!

そうその通り。しかし、その「ぐんぐん」ってどれだけ「ぐんぐん」だったのか、誰も予想もできないオバケな「ぐんぐん」だった、ということだ。

また、SU-METALがその口から発し続けてきた「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンルを確立したい」という文言も、まさにその「大志」の極めてソリッドな表現だろう。

去年末、NHKの『BABYMETAL現象』のラストでSU-METALがこの文言を口にするのを耳にしたときには、しかし、僕自身この言葉を、「言い訳、自己正当化」というか「ユニークな自己紹介」というか、そんなふうにしか受けとめていなかったように思う。
このブログの初めにも、そうした僕の浅薄な理解がぷんぷんしていたはずだ。一年前の僕は、あくまでも「BABYMETALはヘヴィメタルなのだ」ということにこだわり、それを強弁したくて仕方がなかったのだ。
もちろんそれは、今でも、決して間違っていたわけではない。
が、それはBABYMETALのいわば「土台」の指摘でしかない。

僕がそんな風にBABYMETALを浅くしか理解していなかったいちばんの「原因」は、何といってもやはり、BABYMETALのライヴを体験していなかったことだ。

そう、「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンル」ってその実質は何?と訊かれたならば、現場でライヴを体験せよ、と言えば足るのだ。
逆に言えば、BABYMETALのライヴとはまさに「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンル」の一回一回の具現化、でもあるのだ。

今までに経験した他のどのバンドのライヴとも異なる、まったく異次元の楽しさの体験、それがBABYMETALのライヴだ。
そこには間違いなく、ヘヴィ・メタル・バンドのライヴの熱狂がある。
また、そこには(これは僕は体験したことがないので憶測でしかないが)おそらくアイドルのコンサートの楽しさ・一体感があるだろう。
しかし、BABYMETALのライヴは、それらを含みながら高い次元へと「止揚」した、全く独自の唯一無二の<音楽&演劇>時空間なのだ。

その(現段階での)最高峰、が、言うまでもなく、横アリでのライヴであった。
3体のキツネ・スフィンクス(?)というセットは、皆さんご指摘のように、例えば『パワー・スレイヴ』のジャケットを髣髴させる(僕は、『背徳の掟』のジャケットのメタリオンのキツネ・ヴァージョンという印象をも持った、いずれにせよ)完全にメタル由来のものである。3姫の服装も、”戦う(美少女)”のそれなのだ。
が、しかし、YUI・MOAの”尻尾”をはじめ、3姫のたたずまいは、他のメタルバンドの女性メンバーとは全く異なるテイストのどうみても”アイドル”由来というべきものだし、何といっても3姫の存在そのものが、(これまでの)ヘヴィ・メタルとはいちばん遠いもののはずなのだ。

もちろん、BABYMETALは、ヘヴィ・メタルという出自へのリスペクトは今後もずっと(その名にMETALを負う者の使命として)持ちつづけるだろう。
そうしながら、BABYMETALという”新たなジャンル”の具現化を、「大志」として実行し続けるのだ。

BABYMETALという”新たなジャンル”、それをひときわ顕わにしているのが、新曲群、だ。

これぞパワー・メタルという曲調の「Road of Resistance」以後、ライヴで披露された4曲の新曲は、ある意味「これって、メタルじゃなくね?」と言われても仕方がない楽曲、と言えるかもしれない。
しかし、それが、SU-METALの歌声と、YUIMETAL・MOAMETALの煽りあるいはコーラス、そして3人の舞踊によって「演」奏されることによって、まさに「BABYMETALという新たなジャンル」のうちの魅力的な一曲として僕たちの前に呈示される。

その先陣を切ったのが、4曲中唯一公式に名が明かされている「あわだまフィーバー」だ。
正直に言って、僕は(も?)最初にネット上の音源を耳にした時には、「微妙」と感じた。「ギミ・チョコ!!!」の二番煎じ…?、でも、衝撃力は劣るなあ、という印象だったのだ。
ところが、(皆さん異口同音におっしゃるように)BABYMETALの楽曲はどれもこれもスルメ曲なのだった。この「あわだまフィーバー」も、いつのまにか、ライヴでのキラー・チューン、会場全体をカワイさで揺さぶる「鋼の楽曲」になっている。
こんな曲のこんな「演」奏は、世界中のあらゆるバンドの中で、ただBABYMETALのみが実現できるものだ。

「カラテ(仮)」もそうだ。
この曲、もうすでに聴くたびに涙ぐまずにはいられない神曲になりつつあるが、少女たちの澄み切った「セイヤ、セッセッセセ、セイヤ!」「押忍!」ではじまる、こんな奇妙な要素が取り合わせられた楽曲を、ギャグではなく、聴き手に涙を浮かばせるような真摯なロックの楽曲として成立させる、なんてことは、SU-METALの歌声、YUIMETAL・MOAMETALのスクリーム、3人のカワイく凛々しい「演」奏によって初めて成立する「奇跡」のバランスによってのみ、である。
とりわけこの曲の、ミドルテンポに、凄みを感じる。
これこそ、新しいBABYMETALの姿(のひとつ)だ。
デビューの時からオンリー・ワンであったBABYMETALだが、「高速」であることによって”メタル”成分をいわば「確保」していた初期からの、いわば「脱皮」を顕わにした1曲、だ。

そして、さらに、BABYMETALの「大志」とは、今までも紙芝居で語られていた、以前からいわば「啓示」されていたものでもある。

曰く、「メタルで世界を一つにする」ためにメタルの神、キツネ様から「選ばれた3人」、それがBABYMETALなのだ、と。

この、マンガのような設定を、もはやネタとして笑って楽しんでだけいるファンはいないはずだ。だって実際にBABYMETALの3人は、一歩一歩、それを実行・実現しつつあるのだから。

例えば、先日の、ANAのラジオでの葉加瀬太郎との対談を聞いてもよくわかる。
こうした崇高な予言・啓示を(国境を超え、言葉の壁を超え)身をもって実行する3人の美少女たち(もう少女と呼ぶのが憚られるようになってきたが)。
これは、彼女たちは21世紀の神話の実現者でもある、ということだ。


”Tシャツ商法”などと揶揄する(これは、アンチからではなくむしろファンからの「自嘲」「自虐」であるのだろうが)コメントもときどき目にすることがある。
僕自身、昨年1年間で購入したTシャツは、11枚になった。
ライヴ映像盤、ライヴ音盤、そしてTシャツやグッズ等、たくさん「買わされ」ている。

しかし、僕が例えばTシャツを買うのは、僕自身、それを着るのをいわば「誇り」にしているからだ。

街を歩く人の99%はおそらく未だその存在を知らないであろうBABYMETALのTシャツを身にまとい街のあちこちに出没すること、それは、「メタル・レジスタンス」のささやかな実行であり、単にBABYMETALのファンだから、好きだから、というだけではなく、「啓蒙」という意識がどこかにあるような気がする。

そうしたことを(意図的にではないが)僕(たち)は、自らがベビメタTシャツを身にまとい、各地に出没することで、世に広げようとしているのかもしれない。そうしたファンひとりひとりの日常生活の行動まで広がって、「The One」の「大志」は実現されるのだ、と思う。

ただし、この種のファンの思いあがり・独善には気をつけなければならない。
偉い・凄いのはBABYMETALであって、ファンではないのだ。
虎の威を借るキツネ、に僕たちがならないように、気をつけねばならない。


改めて、そういう謙虚な思いに身を引き締めながら、この「奇跡」のBABYMETALを巡って、今年も、極私的な「探究」をしていきます。
どんな1年になるのか、想いを馳せただけでクラクラします。

お暇なときに、立ち寄ってください。


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