なぜBABYMETALのライヴは、あんなにもとんでもなく楽しいのか?
それを、昨年末の横アリ2日目を振り返りながら考察する回の続きである。
新横浜へ向かう新幹線の中で、娘がこんな質問をしてきたのだった。
「ねえ・・・あの、「いいね!」の、あれ、何て言ってるのん?」
えっ、と、ほんの少し考えたが、すぐに「ああ、あのことか」と思い当たった。
(こんな曖昧な言葉の応酬で会話が成立するのは、親子ならでは、だろう)
「オマエノモノハ、オレノモノ」
娘、「あ、そっか。オマエノモノハ、オレノモノ、か。わかった」
娘がこうして質問してきたのは、もちろん、BABYMETALのライヴに主体的に参加するための構え(準備)としてである。
僕自身も、ライヴ映像盤を観ながら、同じような「学習」を重ねて(ほとんどは無意識的にノリ方を覚えてしまった、という感じだが)構え・準備を整えて、BABYMETALのライヴに、それまでに2度参戦してきたので、娘が何のために何を訊こうとしているのか、はよくわかった。
そして、こういう参加のしかたになってしまうこと、こういう参加ができること、「そこが最高なんだ!」なのである。
吾が愚娘も、この日のライヴの「いいね!」での、会場の1万数千人の「オマエノモノハ、オレノモノ」の大合唱に”正しく”参加したはずだ。(ライヴの最中、それをきちんと確認する心の余裕などなかったし、ライヴのこの曲では別のところで鳥肌を立てていたが…後述。)それは、他では味わえない、BABYMETALのライヴに参戦する魅力の核心のひとつなのだ。
前回のベビメタ黒Tシャツに加えて、ここにもBABYMETALのライヴに「参加」する際の、極めてアクティヴな(主体的・能動的・積極的・行動的な)楽しみ方の秘密の鍵があるように思う。
つまり、単に、
a.演奏をナマで観聴きするというレベル ではなく、
b.いくつかのサビや印象的なメロディに合わせて歌うというレベル でもなく、
c.ライブの間にずっと身体を揺らし続け・時にはこぶしをふりあげ咆哮するというレベル でもない。
もちろん、a~cを含んだ「コンサートを存分に楽しむ」ことをしながらも、僕たち観客は、a~cを超えたさらなる高い次元で「ライヴを実現」するのである。
そう、BABYMETALのライヴに参加するとは、(a~cを楽しみながらも、まず第一に)すべての楽曲の「演」奏に正しく「合いの手」を入れ続けることであり、
そして、この際の、
②”合いの手”の適度な難しさ→観客の「演」奏の主体性
によって、
いわば、観客である僕たちも、演者BABYMETALと一体化しながらライヴを形づくる楽しさを味わうのである。
(前回「探究」した黒Tシャツの着用も含めて)BABYMETALのライヴでは、観客席を埋めている僕たちファンひとりひとりにも、いわば「様式美にのっとったふるまい」が求められている、のだ。
(これは、初期から継承されていて、コルセット着用やコープス・メイクなどの「ドレス・コード」に典型的に形象化されている精神だ)
その「責任感」を胸に抱き、自らの身体や大声を使ってその「任務」をきちんと果たすことで、ライヴ会場全体の盛り上がりに寄与するのである。
そのことが、「自分がBABYMETALのライヴ現場に参加している」ことの喜びを、激烈に高めてくれるのだ。
ONE FOR ALL. ALL FOR ONE.
まさに、これ、である。
こういう言い回しは大仰かもしれないが、しかし、これは、内実としては確かな事実だ。こうした観客の参加の仕方をデフォルトとして、BABYMETALのライヴは構成されているのだから。
(SU-METALに合わせてずっと歌い続けるファンも多い海外のオーディエンスに比して)日本の観客は、YUI・MOAに合わせて合いの手を入れてくれるので、曲が完成する、そんな安心感がある。
という旨の発言を、年末の葉加瀬太郎のラジオ番組でも聴くことができたが、
『ヘドバン』誌でのKOBAMETALやMIKIKOMETALのインタビューを読んでも、BABYMETALの楽曲・パフォーマンスが、観客の熱狂的なノリを引き起こすこと、引き起こした熱狂的なノリによっていっそう魅力を増すこと、それを考えて練りに練られたものであることは間違いないからだ。
そう、ある種の「儀式」、「様式美」。それを、観客席の僕たちが、どの曲も主体的・積極的に実現できるように、BABYMETALの楽曲は、YUI・MOAのSCREAM&DANCEは、ライヴのセットリストは、構成されているのだ。
僕たちの「合いの手」によって楽曲に「魂」が注入される、などという言い方は、思いあがりも過ぎるだろう(私見だが、BABYMETALの「本体」はYUI・MOA、「魂」はSU-と神バンド、なのだから)が、しかし、確かに、BABYMETALのライヴがライヴである意味とは、観客の積極的・主体的な参加が果たされることだ、ということは、疑いようがない。
その、主体性・積極性の鍵になっているのが、入れるべき「合いの手」の”適度の難しさ”だといま僕は思っている。隣にいた娘の動きなどから、改めてそれを実感したのだ。
アイドルのライヴには(30年前の、原田知世の「マスカット・リップス・ツアー」以来)行ったことがないので、ひょっとしたら、近年の他のアイドルと比較したらそんなことはないのかもしれないが、僕の素朴な印象では、BABYMETALのライヴで各楽曲に「きちんと合いの手を入れる」のは、適度に難しい、だからこそ、積極的・能動的な姿勢が必要になり、結果的に、達成感がいっそう高まる、つまり超絶的に楽しいと感じるのだ。
どの楽曲も、基本は、ウラ拍に(こぶしを振り上げながら)喚声・歓声をあげることだ。これはどのロックバンドのライヴでも(もちろん、メタルにおいては、そうだ)定式化されたものだろう。
メタル・バンドのライヴであれば、それに、印象的なメロディを「wow、wow」と合唱したり、エアでギター・ソロを奏でる振りをしたり、というノリ方が加わるのだろうが、しかし、さすがに、すべての曲のすべての瞬間に観客がノリ続ける、などということはないはずだ。
ところが、ここが、BABYMETALがオンリー・ワンのジャンルで(も)ある所以だが、ライヴの始まりから終わりまで、すべての(SU-METALのソロ2曲は除いて…後述)楽曲に、僕たちは、複雑な「合いの手」を入れ続けるのだ。
これが、BABYMETALのライヴの唯一無二の楽しさの「正体」(の重要な一側面)である。
例えば、(どの楽曲でもよいのだが、たまたま今このパソコン上で流れている)「CMIYC」だ。
この「CMIYC」で観客の僕たちがどんな動き・合いの手をするのか、書き出そうとしてみると、その複雑さ・多様さに、改めて驚くことになる。
イントロの不気味な鐘の音に続き、神バンドによるイントロが始まる。
① 僕たちは、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげはじめる。
神バンドの、まさに神的な(時には変態的な)プレイに頬をゆるめたり「ウォー!」と雄叫びをあげたりしながら、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげつづけるのだが、
② いよいよ3姫が「・ハイ!・ハイ!・ハイ!」と叫びながら舞台上に登場すると(音を聴くだけでも、『新春キツネ祭り』のライヴ盤のここの3姫と観客席との一体化には鳥肌が立ってしまう)、それは3姫と会場の僕たちの唱和(!)になるし、さらに、
③「1、2、1、2、3、4」というカウントに合わせて叫び(ここはオモテ拍のノリだ)、
④ ウラ拍のノリの後、「ま~だだよ~!」を唱和、
⑤ YUI・MOAの歌を聴きながら、またウラ拍のノリになり、
④⑤を繰り返した後、
⑥ 「オニさんこちら」の前で(ここ重要!)拍手をはじめ、そのまま、SU-METALの「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」に応えて「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を絶叫し
⑦ 「wow、wow、wow、ぐるぐるかくれんぼ」を唱和し、
⑧ 「まわってます」のウラで「ヴォイ!」の合いの手を入れ ×2
⑨ デスヴォイスに合わせて、「ヴォイ!ヴォイ!ヴォイ!ナクコハ、イネガ!ワルコ、イネガ」を叫び、
でまた⑥の拍手→「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を唱和した後、
⑩ 「ミーツケター」を大唱和 …。
と、まあ、まだまだ続くのだが、この前半まででも、何ともはや凄まじい複雑さである。
(俺のノリ方は違うぞ、という方は当然いらっしゃるでしょうね。これは、あくまで僕は、こうノルように学習した、という一例です。以下の記述も、そうです。
まあ、標準的なノリ方をしているつもりなのですが…。
…いずれにせよ、一曲を通して「合いの手」を入れ続けることが、実は結構複雑なのだということ、そこには異論を持たれる方はあまりいらっしゃらないはずだと思っているのですが…)
娘が事前に確認してきた「いいね!」では、
① イントロの6連打(神バンドバージョンは、まるで、ガンマ・レイの「TRIBUTE TO THE PAST」を髣髴させるカッコよさだ、)がはじまったとたん「いいね!、キター!」と喚声をあげながら、続く「合いの手」へのココロと身体の準備をする
② つづく、「淋しい熱帯魚」のところでは、ウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」をこぶしを振り上げながら叫び、
③ 「チクタクしちゃうー」~「気持ち、アイスクリーモ~!」までは、SU-METALの歌声やYUI・MOAの時計の針の動きに合わせて、オモテ拍でノリ、
④ 「それ、わたしのおやつ~」「ちょちょちょ、フラゲしないでよ~」では(MOA・YUIに合わせる方もいるかもしれないが)デスボイスに合わせて唱和、ノリ、そして、あの「オマエノモノハ、オレノモノ!」の大唱和の瞬間が訪れる。
(ここでのノリ方を、行きの新幹線で娘は確認したのだ)
⑤ と思う間もなく「ひとりきりで空見上げた」~の歌に合わせてノリ、「現実逃避行~!」ではステージ上の3姫を(スクリーンで)確認し、
⑥ 「いいね!いいね!」では、完全なオモテ拍ノリになりながら唱和し、
⑦ 「とりま、モッシュッシュー!」でも大声をはりあげ唱和し、
⑧ 「イェーイ、イェイ」~「おんにゃのこは~」では(3姫の「イェーイ、イェイ」に合わせたオモテ拍ノリではなく)ウラ拍ノリになり、
⑨ 「(夢も、きっと)超カオスだよ~!」の「超」を大唱和して、
ひと息つく、ということになる。
その後、
⑩ 「YO、YO」のレゲエのリズム、3姫の煽りに合わせて「YO!YO!」を叫び
⑪ SU-METALの「SAY HO!」に応え、「横アリ!」に応え、
⑫ SU-METALの「PUT YOUR KITSUNE UP」という御命令に従いキツネサインを掲げながら、
⑬ YUI・MOAの「キツネだお!」に唱和する
と、次の瞬間から、
⑭ 「メロイックサイン・ジャ・ナイ、キツネダ~」でのタテノリのヘドバンをしながら掲げたメロイックサインを大群衆の一員となって振る
と、この⑭を横アリのスタンド席からピットを見下ろすかたちで「目撃」したのだが、ここで(先に記したように)鳥肌が立った。
ピット席全員の突き出した両腕が、一糸乱れず前に後ろに揺られているこの光景は、壮観としかいいようがなかった。
スタンド席の隣でステージの3姫を見つめながら腕を振っている娘を、僕はつついて、「ほら」というようにピット席を観るように促した。娘は、「ワオ!」というように僕と目を合わせ、僕は頷き、またそれぞれの儀式に集中したのだった。
この後、
⑮ 「黄金虫は金持ちだ~」のインストのところでは、3姫が両腕を広げる3拍目に合わせて、「エイ!」等と叫び
⑯ 3姫の前屈姿勢に合わせて息をつめ、
⑰ ふたたびの「淋しい熱帯魚」のウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」に声を張り上げ、
…途中は省略して…
最後は、
⑱ YUI・MOAに合わせて「いいね!いいね!いいね!いいね!」の絶叫の連呼で終わる。
と、文字に起こしてみると、何ともまあ、複雑な「合いの手」である(これでも、後半を省略した粗い概要でしかないが)。
これが、すべての楽曲に、それぞれのかたちで存在するのだ。
どの曲にも、拍のウラにノルのか、オモテにノルのか、それだけでもずいぶん多様な組み合わせ(ノリ方の変化)が畳み込まれているのだ。
だから、これを「実現」するのは、それなりの「学習」「準備」が必要で、だからこそ、みんなと一体化しながらうまく「実現」している高揚感に身を滾らせることができる。
そして、もちろん、そのために(も)僕たちはライヴに馳せ参じるのだ。
ただ単に”視聴する”ためではなく、正しい合いの手を、会場全体が一体となって入れることで、大好きなBABYMETALの楽曲をともに「演」奏する、そのために手間と時間とお金をかけてでも参加するのだ。
(それを、休める数少ない時間が、SU-METALのソロ、ナマの歌声に聞き惚れているときだ、という、このとてつもない贅沢よ!)
BABYMETALの「合いの手」で、僕が、まず最初に「学習」したのは、
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、1回目の「バイバイ」と2回目の「バイバ~イ」の差異で、吾が愚娘も、もちろん、横アリではしっかりこの「合いの手」を、入れ分けていた。
「ギミチョコ!!」のMVに「なんじゃこりゃ!」と驚いた視聴者も、その段階では、まさか(数カ月後の?1年後の?数年後の?)ライヴ会場で自分が大声で「ずっきゅん」「どっきゅん」を声も嗄れんと叫ぶことになろうとは思いもしないはずだ。
言葉を超え、国境を超え、年齢を・性別を超えて、数千人数万人が声を揃えて「ずっきゅん」「どっきゅん」と「合いの手」を絶叫する楽しさよ!
ちなみに、この観客との一体化がいちばんうまくいっている、そうした意味でのNo.1の神曲は、何と言っても「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」だ、と僕は思う。
ライヴ盤でも、この曲の、はじまった瞬間から観客と演者が一体化しているアゲアゲの狂乱は、とんでもない。
2ndがリリースされても、この曲のライヴにはぜひ「参加」し続けたいものだ、と切に願っている。日に日に、「当選」の確率がさがりつづけているのだろうけれど…。
そう、だから、一瞬たりとも気を抜けない、のだ。BABYMETALのライヴは。
爆音・高速の楽曲にノリながら、全神経・全体力を捧げて、BABYMETALの楽曲を正しく「合いの手」を入れる、というかたちで実現し続ける90分間。
これは、
なんとも激しくひたすら楽しい、充実の極みの時間、なのだ。
ライヴ後すぐにおとずれる、あの空虚感は、こうした夢中・熱狂の反動なのだろう。
あ、モッシュッシュやWODに参加するのは、さらに、いっそう、なのであろう。
だが、僕はこれらには体験したことがないし、今後もおそらくしない。
「精鋭」ファンから見れば、歯牙にもかからない”ヘタレ”なのかもしれないが、そんな”ヘタレ”な僕や、中学生の娘であっても、これだけ、主体的・能動的・積極的にライヴに「参加」できる。
これが、何にも代えがたい、BABYMETALのライヴの魅力なのだ。
こんなことを前回から書いているのだが、書きながら、行きたくて行きたくてたまらなくなってしまっている!
いや、ほんと、他にはないですもんね、あんな楽しい時間・体験は。
そうそう、
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の「ちょ、待って~、ちょ、待って~」で、3姫に合わせて楽しそうに手を突き出すポーズをとっている吾が愚娘の姿は忘れられません。
ほんとうに嬉しそうでした。
これは、さすがに僕はできませんでした(声だけで合いの手は入れましたが)。
ぼっち参戦の前2回の、ここの記憶はありませんが、隣に中学生の娘を連れてきている父親としては、ブレーキ(自制心?)がかかったのです。
自分の隣りで自分の親父が、「ちょ、待って、ちょ、待って~!」と腕を突き出している姿は、さすがに「キモ!」と感じてしまいますよね…。
そういった杞憂もまったくなしに、100%思う存分「合いの手」を入れるには、ぼっち参戦こそ最上なのかもしれませんね。
まあ、でも、今後もできるだけ娘も連れて行きたいと思っています。本当に楽しかったので。「ちょ、待って~!」は、我慢します。
(つづく)
それを、昨年末の横アリ2日目を振り返りながら考察する回の続きである。
新横浜へ向かう新幹線の中で、娘がこんな質問をしてきたのだった。
「ねえ・・・あの、「いいね!」の、あれ、何て言ってるのん?」
えっ、と、ほんの少し考えたが、すぐに「ああ、あのことか」と思い当たった。
(こんな曖昧な言葉の応酬で会話が成立するのは、親子ならでは、だろう)
「オマエノモノハ、オレノモノ」
娘、「あ、そっか。オマエノモノハ、オレノモノ、か。わかった」
娘がこうして質問してきたのは、もちろん、BABYMETALのライヴに主体的に参加するための構え(準備)としてである。
僕自身も、ライヴ映像盤を観ながら、同じような「学習」を重ねて(ほとんどは無意識的にノリ方を覚えてしまった、という感じだが)構え・準備を整えて、BABYMETALのライヴに、それまでに2度参戦してきたので、娘が何のために何を訊こうとしているのか、はよくわかった。
そして、こういう参加のしかたになってしまうこと、こういう参加ができること、「そこが最高なんだ!」なのである。
吾が愚娘も、この日のライヴの「いいね!」での、会場の1万数千人の「オマエノモノハ、オレノモノ」の大合唱に”正しく”参加したはずだ。(ライヴの最中、それをきちんと確認する心の余裕などなかったし、ライヴのこの曲では別のところで鳥肌を立てていたが…後述。)それは、他では味わえない、BABYMETALのライヴに参戦する魅力の核心のひとつなのだ。
前回のベビメタ黒Tシャツに加えて、ここにもBABYMETALのライヴに「参加」する際の、極めてアクティヴな(主体的・能動的・積極的・行動的な)楽しみ方の秘密の鍵があるように思う。
つまり、単に、
a.演奏をナマで観聴きするというレベル ではなく、
b.いくつかのサビや印象的なメロディに合わせて歌うというレベル でもなく、
c.ライブの間にずっと身体を揺らし続け・時にはこぶしをふりあげ咆哮するというレベル でもない。
もちろん、a~cを含んだ「コンサートを存分に楽しむ」ことをしながらも、僕たち観客は、a~cを超えたさらなる高い次元で「ライヴを実現」するのである。
そう、BABYMETALのライヴに参加するとは、(a~cを楽しみながらも、まず第一に)すべての楽曲の「演」奏に正しく「合いの手」を入れ続けることであり、
そして、この際の、
②”合いの手”の適度な難しさ→観客の「演」奏の主体性
によって、
いわば、観客である僕たちも、演者BABYMETALと一体化しながらライヴを形づくる楽しさを味わうのである。
(前回「探究」した黒Tシャツの着用も含めて)BABYMETALのライヴでは、観客席を埋めている僕たちファンひとりひとりにも、いわば「様式美にのっとったふるまい」が求められている、のだ。
(これは、初期から継承されていて、コルセット着用やコープス・メイクなどの「ドレス・コード」に典型的に形象化されている精神だ)
その「責任感」を胸に抱き、自らの身体や大声を使ってその「任務」をきちんと果たすことで、ライヴ会場全体の盛り上がりに寄与するのである。
そのことが、「自分がBABYMETALのライヴ現場に参加している」ことの喜びを、激烈に高めてくれるのだ。
ONE FOR ALL. ALL FOR ONE.
まさに、これ、である。
こういう言い回しは大仰かもしれないが、しかし、これは、内実としては確かな事実だ。こうした観客の参加の仕方をデフォルトとして、BABYMETALのライヴは構成されているのだから。
(SU-METALに合わせてずっと歌い続けるファンも多い海外のオーディエンスに比して)日本の観客は、YUI・MOAに合わせて合いの手を入れてくれるので、曲が完成する、そんな安心感がある。
という旨の発言を、年末の葉加瀬太郎のラジオ番組でも聴くことができたが、
『ヘドバン』誌でのKOBAMETALやMIKIKOMETALのインタビューを読んでも、BABYMETALの楽曲・パフォーマンスが、観客の熱狂的なノリを引き起こすこと、引き起こした熱狂的なノリによっていっそう魅力を増すこと、それを考えて練りに練られたものであることは間違いないからだ。
そう、ある種の「儀式」、「様式美」。それを、観客席の僕たちが、どの曲も主体的・積極的に実現できるように、BABYMETALの楽曲は、YUI・MOAのSCREAM&DANCEは、ライヴのセットリストは、構成されているのだ。
僕たちの「合いの手」によって楽曲に「魂」が注入される、などという言い方は、思いあがりも過ぎるだろう(私見だが、BABYMETALの「本体」はYUI・MOA、「魂」はSU-と神バンド、なのだから)が、しかし、確かに、BABYMETALのライヴがライヴである意味とは、観客の積極的・主体的な参加が果たされることだ、ということは、疑いようがない。
その、主体性・積極性の鍵になっているのが、入れるべき「合いの手」の”適度の難しさ”だといま僕は思っている。隣にいた娘の動きなどから、改めてそれを実感したのだ。
アイドルのライヴには(30年前の、原田知世の「マスカット・リップス・ツアー」以来)行ったことがないので、ひょっとしたら、近年の他のアイドルと比較したらそんなことはないのかもしれないが、僕の素朴な印象では、BABYMETALのライヴで各楽曲に「きちんと合いの手を入れる」のは、適度に難しい、だからこそ、積極的・能動的な姿勢が必要になり、結果的に、達成感がいっそう高まる、つまり超絶的に楽しいと感じるのだ。
どの楽曲も、基本は、ウラ拍に(こぶしを振り上げながら)喚声・歓声をあげることだ。これはどのロックバンドのライヴでも(もちろん、メタルにおいては、そうだ)定式化されたものだろう。
メタル・バンドのライヴであれば、それに、印象的なメロディを「wow、wow」と合唱したり、エアでギター・ソロを奏でる振りをしたり、というノリ方が加わるのだろうが、しかし、さすがに、すべての曲のすべての瞬間に観客がノリ続ける、などということはないはずだ。
ところが、ここが、BABYMETALがオンリー・ワンのジャンルで(も)ある所以だが、ライヴの始まりから終わりまで、すべての(SU-METALのソロ2曲は除いて…後述)楽曲に、僕たちは、複雑な「合いの手」を入れ続けるのだ。
これが、BABYMETALのライヴの唯一無二の楽しさの「正体」(の重要な一側面)である。
例えば、(どの楽曲でもよいのだが、たまたま今このパソコン上で流れている)「CMIYC」だ。
この「CMIYC」で観客の僕たちがどんな動き・合いの手をするのか、書き出そうとしてみると、その複雑さ・多様さに、改めて驚くことになる。
イントロの不気味な鐘の音に続き、神バンドによるイントロが始まる。
① 僕たちは、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげはじめる。
神バンドの、まさに神的な(時には変態的な)プレイに頬をゆるめたり「ウォー!」と雄叫びをあげたりしながら、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげつづけるのだが、
② いよいよ3姫が「・ハイ!・ハイ!・ハイ!」と叫びながら舞台上に登場すると(音を聴くだけでも、『新春キツネ祭り』のライヴ盤のここの3姫と観客席との一体化には鳥肌が立ってしまう)、それは3姫と会場の僕たちの唱和(!)になるし、さらに、
③「1、2、1、2、3、4」というカウントに合わせて叫び(ここはオモテ拍のノリだ)、
④ ウラ拍のノリの後、「ま~だだよ~!」を唱和、
⑤ YUI・MOAの歌を聴きながら、またウラ拍のノリになり、
④⑤を繰り返した後、
⑥ 「オニさんこちら」の前で(ここ重要!)拍手をはじめ、そのまま、SU-METALの「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」に応えて「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を絶叫し
⑦ 「wow、wow、wow、ぐるぐるかくれんぼ」を唱和し、
⑧ 「まわってます」のウラで「ヴォイ!」の合いの手を入れ ×2
⑨ デスヴォイスに合わせて、「ヴォイ!ヴォイ!ヴォイ!ナクコハ、イネガ!ワルコ、イネガ」を叫び、
でまた⑥の拍手→「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を唱和した後、
⑩ 「ミーツケター」を大唱和 …。
と、まあ、まだまだ続くのだが、この前半まででも、何ともはや凄まじい複雑さである。
(俺のノリ方は違うぞ、という方は当然いらっしゃるでしょうね。これは、あくまで僕は、こうノルように学習した、という一例です。以下の記述も、そうです。
まあ、標準的なノリ方をしているつもりなのですが…。
…いずれにせよ、一曲を通して「合いの手」を入れ続けることが、実は結構複雑なのだということ、そこには異論を持たれる方はあまりいらっしゃらないはずだと思っているのですが…)
娘が事前に確認してきた「いいね!」では、
① イントロの6連打(神バンドバージョンは、まるで、ガンマ・レイの「TRIBUTE TO THE PAST」を髣髴させるカッコよさだ、)がはじまったとたん「いいね!、キター!」と喚声をあげながら、続く「合いの手」へのココロと身体の準備をする
② つづく、「淋しい熱帯魚」のところでは、ウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」をこぶしを振り上げながら叫び、
③ 「チクタクしちゃうー」~「気持ち、アイスクリーモ~!」までは、SU-METALの歌声やYUI・MOAの時計の針の動きに合わせて、オモテ拍でノリ、
④ 「それ、わたしのおやつ~」「ちょちょちょ、フラゲしないでよ~」では(MOA・YUIに合わせる方もいるかもしれないが)デスボイスに合わせて唱和、ノリ、そして、あの「オマエノモノハ、オレノモノ!」の大唱和の瞬間が訪れる。
(ここでのノリ方を、行きの新幹線で娘は確認したのだ)
⑤ と思う間もなく「ひとりきりで空見上げた」~の歌に合わせてノリ、「現実逃避行~!」ではステージ上の3姫を(スクリーンで)確認し、
⑥ 「いいね!いいね!」では、完全なオモテ拍ノリになりながら唱和し、
⑦ 「とりま、モッシュッシュー!」でも大声をはりあげ唱和し、
⑧ 「イェーイ、イェイ」~「おんにゃのこは~」では(3姫の「イェーイ、イェイ」に合わせたオモテ拍ノリではなく)ウラ拍ノリになり、
⑨ 「(夢も、きっと)超カオスだよ~!」の「超」を大唱和して、
ひと息つく、ということになる。
その後、
⑩ 「YO、YO」のレゲエのリズム、3姫の煽りに合わせて「YO!YO!」を叫び
⑪ SU-METALの「SAY HO!」に応え、「横アリ!」に応え、
⑫ SU-METALの「PUT YOUR KITSUNE UP」という御命令に従いキツネサインを掲げながら、
⑬ YUI・MOAの「キツネだお!」に唱和する
と、次の瞬間から、
⑭ 「メロイックサイン・ジャ・ナイ、キツネダ~」でのタテノリのヘドバンをしながら掲げたメロイックサインを大群衆の一員となって振る
と、この⑭を横アリのスタンド席からピットを見下ろすかたちで「目撃」したのだが、ここで(先に記したように)鳥肌が立った。
ピット席全員の突き出した両腕が、一糸乱れず前に後ろに揺られているこの光景は、壮観としかいいようがなかった。
スタンド席の隣でステージの3姫を見つめながら腕を振っている娘を、僕はつついて、「ほら」というようにピット席を観るように促した。娘は、「ワオ!」というように僕と目を合わせ、僕は頷き、またそれぞれの儀式に集中したのだった。
この後、
⑮ 「黄金虫は金持ちだ~」のインストのところでは、3姫が両腕を広げる3拍目に合わせて、「エイ!」等と叫び
⑯ 3姫の前屈姿勢に合わせて息をつめ、
⑰ ふたたびの「淋しい熱帯魚」のウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」に声を張り上げ、
…途中は省略して…
最後は、
⑱ YUI・MOAに合わせて「いいね!いいね!いいね!いいね!」の絶叫の連呼で終わる。
と、文字に起こしてみると、何ともまあ、複雑な「合いの手」である(これでも、後半を省略した粗い概要でしかないが)。
これが、すべての楽曲に、それぞれのかたちで存在するのだ。
どの曲にも、拍のウラにノルのか、オモテにノルのか、それだけでもずいぶん多様な組み合わせ(ノリ方の変化)が畳み込まれているのだ。
だから、これを「実現」するのは、それなりの「学習」「準備」が必要で、だからこそ、みんなと一体化しながらうまく「実現」している高揚感に身を滾らせることができる。
そして、もちろん、そのために(も)僕たちはライヴに馳せ参じるのだ。
ただ単に”視聴する”ためではなく、正しい合いの手を、会場全体が一体となって入れることで、大好きなBABYMETALの楽曲をともに「演」奏する、そのために手間と時間とお金をかけてでも参加するのだ。
(それを、休める数少ない時間が、SU-METALのソロ、ナマの歌声に聞き惚れているときだ、という、このとてつもない贅沢よ!)
BABYMETALの「合いの手」で、僕が、まず最初に「学習」したのは、
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、1回目の「バイバイ」と2回目の「バイバ~イ」の差異で、吾が愚娘も、もちろん、横アリではしっかりこの「合いの手」を、入れ分けていた。
「ギミチョコ!!」のMVに「なんじゃこりゃ!」と驚いた視聴者も、その段階では、まさか(数カ月後の?1年後の?数年後の?)ライヴ会場で自分が大声で「ずっきゅん」「どっきゅん」を声も嗄れんと叫ぶことになろうとは思いもしないはずだ。
言葉を超え、国境を超え、年齢を・性別を超えて、数千人数万人が声を揃えて「ずっきゅん」「どっきゅん」と「合いの手」を絶叫する楽しさよ!
ちなみに、この観客との一体化がいちばんうまくいっている、そうした意味でのNo.1の神曲は、何と言っても「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」だ、と僕は思う。
ライヴ盤でも、この曲の、はじまった瞬間から観客と演者が一体化しているアゲアゲの狂乱は、とんでもない。
2ndがリリースされても、この曲のライヴにはぜひ「参加」し続けたいものだ、と切に願っている。日に日に、「当選」の確率がさがりつづけているのだろうけれど…。
そう、だから、一瞬たりとも気を抜けない、のだ。BABYMETALのライヴは。
爆音・高速の楽曲にノリながら、全神経・全体力を捧げて、BABYMETALの楽曲を正しく「合いの手」を入れる、というかたちで実現し続ける90分間。
これは、
なんとも激しくひたすら楽しい、充実の極みの時間、なのだ。
ライヴ後すぐにおとずれる、あの空虚感は、こうした夢中・熱狂の反動なのだろう。
あ、モッシュッシュやWODに参加するのは、さらに、いっそう、なのであろう。
だが、僕はこれらには体験したことがないし、今後もおそらくしない。
「精鋭」ファンから見れば、歯牙にもかからない”ヘタレ”なのかもしれないが、そんな”ヘタレ”な僕や、中学生の娘であっても、これだけ、主体的・能動的・積極的にライヴに「参加」できる。
これが、何にも代えがたい、BABYMETALのライヴの魅力なのだ。
こんなことを前回から書いているのだが、書きながら、行きたくて行きたくてたまらなくなってしまっている!
いや、ほんと、他にはないですもんね、あんな楽しい時間・体験は。
そうそう、
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の「ちょ、待って~、ちょ、待って~」で、3姫に合わせて楽しそうに手を突き出すポーズをとっている吾が愚娘の姿は忘れられません。
ほんとうに嬉しそうでした。
これは、さすがに僕はできませんでした(声だけで合いの手は入れましたが)。
ぼっち参戦の前2回の、ここの記憶はありませんが、隣に中学生の娘を連れてきている父親としては、ブレーキ(自制心?)がかかったのです。
自分の隣りで自分の親父が、「ちょ、待って、ちょ、待って~!」と腕を突き出している姿は、さすがに「キモ!」と感じてしまいますよね…。
そういった杞憂もまったくなしに、100%思う存分「合いの手」を入れるには、ぼっち参戦こそ最上なのかもしれませんね。
まあ、でも、今後もできるだけ娘も連れて行きたいと思っています。本当に楽しかったので。「ちょ、待って~!」は、我慢します。
(つづく)
ウキウキミッナイはみんなとあって
楽しいです。
興味深く拝見しました。有難うございますU+2757