ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(週刊誌はBABYMETALをどう扱えるのか?→BURRN!問題②)

2016-06-27 19:15:01 | babymetal
もはや”神々しい”としか言いようのない、ダウンロードUKの「KARATE」プロショット
何度観返しても、毎回涙が滲んでしまう。

いやあ、これはもう、泣くでしょ。普通。

これを観ると(すでに潜在的には”わかっていたはず”のことだが)、BABYMETALはこの数ヶ月でまたまたとんでもない進化を遂げているのだ、ということ、それが痛いほどわかる。

こうして、結果としてのパフォーマンスや観客の反応を映像で観て、「とんでもない進化」なんて言うだけならば何の苦労もいらない簡単なことだが、ニューアルバム発売(それに伴う数多くの取材・インタビュー)、歴史的なウェンブリー・アリーナ公演、全米ツアー(初めてのTV番組出演)、欧州ツアー、という怒濤のスケジュールをこなしながら、セットリストや各曲目の「演」奏を、どんどん高みへと引き上げているBABYMETALの、「目標設定値・自己評価の基準の高さ」には、改めて驚嘆するしかない。

慢心、油断、安心感など、ひとかけらも感じられないし、実際にチームBABYMETALにはそんなものはこれっぽっちもないはずだ。

これまで、同じフェスに出演した世界規模のバンド、例えばメタリカのライヴを実際に袖から(「演者」としての立場から)観て、その凄まじい観客との盛り上がり方を目撃し、それとの比較対照から自らのパフォーマンスを鑑みると、反省・改善すべきことはいくらでもあるのだ(だからこそ、挑戦すべきことはいくらでもあって、楽しい!)。

実際にチームBABYMETALが考えているのは、そうしたことであるはずだ。

それにしても、例えば「ビルボードチャートTOP40入り」を、ファンの僕たちも(おそらくチームBABYMETALも)”後世に語り継ぐべき記念すべき到達点”などではなく、”単なる通過点”としか考えていない、というこの事実は、改めて考えてみると、とんでもなく恐ろしいことではないか・・・。

しかし、それが(熱狂的なファンの盲信ではなく)BABYMETALをめぐる現実、なのである。

ダウンロードUKの「KARATE」動画の、
冒頭の大観衆の絵だけでもすでに鳥肌ものだが、
楽曲の演奏がはじまった途端の「セイヤ、セッセッセセイヤ、・・・」の観客の大合唱、
青山神のドラムの(音としても、絵姿としても)凄まじさ、
大会場に響き渡り、その説得力で大群衆を統べるSU-METALの力強い美声、
どの瞬間を切り取ってもひたすらチャーミングなSU-・YUI・MOAの美貌、
神バンドの演奏とシンクロした3人のキレキレの舞踊、
「押忍!」「ウォオー・オオー・オオー」の観客席とのシンガロング、
どれもこれも、言葉にならない感動を与えてくれる。

そして、中間部からの感動の畳みかけは、さらに凄まじい
(半年前に横アリでこの曲に初遭遇したときとは、もはや全く別次元のパフォーマンスだ)。

雨で水浸しのステージにYUI・MOAが倒れ込み、懸命に立ち上がろうとする姿
(ここは、観ていてブワッと涙腺がゆるむのは必至)、
SU-METALの煽り「How are you feeling?」に応える大観衆、
「Put your hands in the air !」で一斉にあがる腕の大群、
SU-METALの美声のフェイク(これなどもまさに「進化」の賜物だ)、
会場中の「ウォオー・オオー・オオー」の大合唱、
激しくなってカメラにはっきりと映る雨、
「Every・body Jump!」に煽られて波打つ会場、
ステージ上でユニゾン・ジャンプする、SU-、YUI、MOA、BOHの一体化した躍動、
余韻をたっぷり残しながらステージ上でたたずむ3姫4神の威厳ある立ち姿。

なんとまあ過剰な楽しさ・美しさ・カッコよさよ!
(激しい雨になるところなど、まさに『BECK』である。漫画を劇的に演出するための仕掛けが、リアルに起こってしまう、これもまたBABYMETALの”凄み”だ。)

・・・こうなると、もはや、国内の一般誌(あるいはTVニュース等)では報道のしようがなくなってしまった
そんな風に思えてならない。

BABYMETALを報道する”、とは、(少なくとも現時点では)”BABYMETALの凄さを報道する”ことだ。
しかし、BABYMETALの「今」の”凄さ”は、報道で伝えることのできるものではなくなってしまったのだ、と。

一般誌の報道とは、”情報”(あるいは”風聞”)を一般大衆に伝えることであり、それが商業活動である以上、その”情報”(あるいは”風聞”)が一般大衆にとってそれなりの商品価値を持っている必要がある。

しかし、今のBABYMETALの”凄さ”は、一般大衆にとっての商品価値がある”凄さ”ではない、と思う。そんなものをはるかに超えた”高み”に達してしまった、と。

例えば、このダウンロードUKの映像をTVニュースで流したとして、お茶の間では消化できないだろう。
「何、これ?・・・」と。
そして、消化・理解できないものは、すぐに意識から排除されてしまうだろう。

もちろん、結果としての数字や現象を報道することはできるが、それとて、その数字や現象がBABYMETALの何によって引き起こされているのか、その”凄さ”までも伝えないと、お茶の間(一般大衆)には意味ある情報として伝わらない。

だから、もう、仕方ないのではないか、と思う。
もはや、一般誌の報道やお茶の間向けのニュースでは、伝えきれないレベルにBABYMETALの”凄さ”は達しているのだから(ちょうど、ノーベル物理学賞を受賞した「理論」の凄さを、新聞・一般誌・テレビニュースでは伝えられないのと同質の事態だ、とも言えようか)。

仮に、BABYMETALの”凄さ”を伝えるとして、その伝えやすさの順序は、次のようなものだろうか。

① 神バンドの演奏の凄さ。
② SU-METALの歌の凄さ
③ 3人の可愛さの凄さ。
④ 楽曲のこだわり・仕上がりの凄さ。
⑤ YUI・MOAの舞踊、表情、さらにはその存在のありようの凄さ。

・・・こう並べてみると、絶望的である。

せいぜい、①くらいだろうか、一般誌やTVニュースを通じて一般大衆に「伝える」ことができそうなのは。しかし、だからと言って、わかりやすい語りやすい①を(のみ)強く語ることは、例えば『週刊文春』の近田春夫のコラムを典型とする的外れなものになってしまう。

②ですら、一般大衆に伝えるのは難しい。
例えばSuperflyのような(わかりやすい)凄さ、ではないから、報道を目にして興味をひかれた人が、YOUTUBEの動画(MVとか)をちょっと観て「歌が凄いってニュースで言ってたけど、単なるアイドル歌唱だろ、これ。・・・あのニュースって、アミューズのステマか?・・・」なんて思ってしまう危険性も、大である。

③は、まさにそうで、ダウンロードUKの冒頭のインタビューの3人の可愛さなど、「(ステージ上でのパフォーマンスとは逆の意味で)女子高生(SU-は卒業したはずだが)とは思えない」、年齢を超越した天使・妖精ぶり、なのだが、可愛いなどというのは主観でしかないから、報道では強調しづらいし、③のみを強調することはBABYMETALへのありがちな「誤解」への一本道である。
「ああ、可愛いアイドルをメタルに持ち込んだのか。・・・なるほどね。・・・あざといことするなあ・・・」等々。

④の、新しくかつ王道であり、遊び心あふれた過激さがあり、かつ、BABYMETALという存在・その活動そのもののメタな表現になっていること。こんな楽曲構造や歌詞の中身をめぐる凄さは、一般大衆向けの報道の立ち入るところではない。

⑤の、(③とも深く関わる)ヘヴィ・メタルの表現としてのYUI・MOAというまさに「魔術」は、それがあまりにも革新的であるがゆえに、常識的な知ではとうてい理解しようがない(何しろやがてファンになった多くの人でさえ意識に受け入れることがなかなかできなかったのだから)。一般大衆に向けて報道のしようもないし、報道する側にYUI・MOAの”凄み”の認識があるなんてことは、(現状)まれであるだろう(TBSの川西記者と、あと何人いる?)。
これは、もう、ライヴを観てね、としか言いようがない(ライヴを観れば、必ずわかるはず、なのだが・・・)。

BABYMETALの”凄さ”は、①~⑤までの全てが「超絶的」と言うべきハイ・スペックで積み重なっているところにあるのだが、それは「常識的な知的枠組み」をはるかに超えたところにある。
そのことから、例えば先日の「サンデー毎日」のような、頓珍漢な文言が生まれてくる、のだろう。

結論:(ダウンロードUKの「KARATE」動画に満ちあふれているような)BABYMETALの凄さは、一般誌やTVニュースでは伝えることができない。

とすれば、今僕たちが望むべき一般誌やTVニュースの報道とは、
せめてBABYMETALを「誤解」させない報道を!
ということになるのだが、これがBABYMETALの場合はとりわけ大変なのだ。
逆に言えば、既存の語り方では誤解を招くような紹介しかできない、それだけBABYMETALが斬新で過激でハイスペックな存在だ、ということなのだ。
つまり、一般誌、TVニュース、ネットの記事、での的外れな記事の氾濫は、
いわばBABYMETAL自身の「罪」(=とんでもなく凄すぎる、まさに「筆舌に尽くしがたい存在」であること)に拠るものでもある、のだ。

ダウンロードUKの「KARATE」動画を観ながら、そんな思いを深くしている。

そして、ここで考えざるをえないのが、『BURRN!』誌について、である。
『BURRN!』誌という”日本の専門誌”ならば、①~⑤をきちんと捉え、報道することができるはず、だからだ。

(つづく)




コメントを投稿