ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(男は黙ってBABYMETAL。)

2016-09-08 00:39:12 | babymetal
さあ、いよいよ「歓喜の日」まであと2週間を切った。
台風は気にならないこともないが、気にしてもどうにもならないから、意識から追い出して、わくわく・どきどき盛り上がる気持ちに身を委ねる、そんな心境の毎日である。

9ヶ月前の、横アリでのあの「歓喜の告知」以来、ずいぶん長かったのだろうが、えらくあっという間だったような気もしている。

なにせ、4月1日のFOX DAY(厳密には、3月29日のフラゲ解禁日)以降は、怒濤の進撃だったものな。
あれよあれよ、と、さまざまな情報・映像に、翻弄されながら、気がつけば、「RED NIGHIT 2016」目前になっていた、それが正直な実感だ(9月20日は僕は仕事、娘は学校があるから、京都からでは参戦のしようがない。でも、19日、父娘でふたたび参戦できるなんて、何よりの幸せ!である。棺桶にまで持って行ける思い出になるに違いない)。

で、またまたたいへん久しぶりのブログ更新なのだが、最近、ブログにこうして駄文を綴ることに以前ほどに意義を見いだせなくなっている、燃えなくなっている自分がいる。
何か、もう、語れば語るほどBABYMETALの凄さを陳腐化することになる、そんな気がしてならないのだ(実際、その通りなのだろう)。

FOX DAY までは、「BABYMETALの何が凄いのか?」、それを自分なりに分析し、理屈づけて、「腑に落ちる」こと、これが快感であり、何より自分にとって極めて意味のある行為だったのだが、もう、BABYMETALとは、そうした意味づけなど不必要な、むしろその凄さについて<言わずもがな>の存在になりつつある、ということなのだろう。

ややおおげさな言い方をすれば(しかし、全く掛値なしの実感なのだが)、BABYMETALとは我が人生で遭遇しうる「楽しさ」のなかでも<至高のもの>であり、ただひたすらそれを無心で享受すれば至上の幸せでいられる、そんな存在なのだ、という確信・信頼・帰依
今、そんな心もちなのだ。

男(おっさん)は黙ってBABYMETAL。

秋山晶の名コピーを拝借するならば、まさにこの心境なのである。

決して、BABYMETALに飽きた、のではない。
休日には必ずBABYMETAL黒Tシャツを着て、京都や大阪をうろうろしている(東京ドームグッズも一挙に届き、ますます、着こなしのルーティンが楽に・楽しくなってきた)。
この前の日曜日も、エクストリームブルータルロゴ・リュックを背負い、ぬりかべのような一反木綿のような一つ目小僧のような「R×C」TEEを着て、(シン・ゴジラのキャップをかぶり)、左腕にはBABYMETALカラーの迷彩柄のGーSHOCKを、右腕にはWEMBLY-LVラバーバンドと東京ドームエクストリームブルータルロゴラバーバンドをし、靴は紐を赤に換えたDr.Martinesのブーツで、なんばまで行ってうろうろしてきた(もちろん、用事があって、であり、さすがにただ単にBABYMETALの装いでうろうろしてきたのではない。念のため)。
・・・2年前にBABYMETALに出逢うまでは、自分がそんな「若い」装いで街を闊歩するなんて(ブーツを履くなんて!リストバンドをするなんて!)まったく「ありえない」事態だった。明らかに、僕はBABYMETALに出逢ってから「人が変わった」のであり、それはますます激しさを増しているのだ・・・。
家(室内)ではブルータルロゴサンダルを鳴らしながら歩き、魔方陣ラグに腰をおろし、BABYMETAL関連のサイトを閲覧したり、動画を観たりしながら、焼酎のロックをちびちびやるのが、就寝前のくつろぎになっている。

客観的に見れば、(飽きたどころか)ますますその「狂信者」ぶりがはなはだしくなっている、のだろう。

逆に、BABYMETALに対する、BABYMETALの凄さに対する、BABYMETALの凄さに自分が魅せられていることに対する、疑い、照れ、当惑、等々が、すっかりなくなった、ということだ。

あと、世間の人が必ずしもBABYMETALのことを凄い・よいとは思わないのだな、という、これも極めて当然のことが、(さまざまないきさつから)納得できるようになってきた。

だから、熱をこめて、BABYMETALのどこがどう凄いのか、それを語る(自分にとっての)必要性がなくなってきた、のである。

例えば、「TRILOGY - METAL RESISTANCE EPISODE III - APOCALYPSE」 BDも到着後さっそく堪能しつづけているのだが、それに関してここで何かを力説する必要はない、いや、力説したくない、そんな心境なのだ。

男は黙ってBABYMETAL。

鳥肌を立てながら、にやにやしながら、涙を滲ませながら、
ただただ、最高!!!と堪能したいのだ。


ラストの、「ららら・ら~」のスキャットにのって、ピラミッドのようなものへと3人が上っていくあのラスト・シーンが入っていないのはたいへん残念だが、ライヴの内容は、全約90分間、非のうちどころがない。

2015年6月21日のライヴの現場では(あまりにもステージが遠くて)体験できなかった、様々な「機微」がここには体現されている。
(毎度のことながら、これだけの「質」の高い動き・表情を、あの狂熱のライヴの一瞬一瞬において、キメつづけていたのだ。驚愕・震撼するしかない)

しかし、とんでもないライヴだ。
改めて、それを痛感させられる。

もちろん、これまでにWOWOWの映像版を(すりきれるほど)観てはいたが、抜粋版・編集版のあれとは異なる、フルの・ノンストップの、このライヴ映像作品は、”あの日”のあの”熱さ”を改めて体験させてくれる

FOX DAY以降のメディア・ラッシュのなかで、「武道館ライヴの初日をもう一度やり直したい」という趣旨のSU-METALの発言を目にしたが、この「巨大天下一メタル武道会」は、すでに「赤い夜」のリベンジたり得ていた、はずだ。

と、こんなことを語ろうと思えば、いくらでも語れるのだが、それは、もはや彼女たちの<凄さ>を陳腐な言語表現に堕していることにしかならない、そんな気分なのだ。

男は黙ってBABYMETAL。

BABYMETALを知ってから、ちょうど2年経つから、BABYMETAL熱が、狂躁的なものから、落ち着いた基礎体温の高さに変わり、定着した、ということだろう。
おそらく、BABYMETALファンの先輩諸氏も、似たようなプロセスを経てきたのではないか。
憑かれたようにBABYMETALの凄さを熱く語ろうとする、そうせざるをない、そんな時期から、やがて、万感をこめて口を結んだまま、ただ「うん、最高!」という意味の頷きをする、それだけでよい、そんな時期へと移行するのだ。

・・・別にこのブログを止めるつもりはないが、1年半ほど書き続けてきて、現在、そんな心境だということを、正直に吐露しておきたい。
また、熱く語りたくなる時期が来るのだろうか?
それはわからないが、BABYMETALとともに生きる幸せを、まだ当分は感じ続けることができることは、間違いないはずだ。

ああ、東京ドーム、楽しみだ!!
皆さん、一緒にはじけましょう!
5万5千人も集合するのだから、さすがに、当日の京都駅でも、BABYMETAL黒Tシャツの方々に遭遇するだろうなあ。
楽しみだ!
モッシュやウォール・オブ・デスのない、5万5千人のライヴ。
これは(これも)BABYMETALにとってはまったく初めての挑戦になるのだから。
まったく新たな試みもなされるかもしれない。

ライヴ前に、その予想(妄想)は、ここに記しておくつもりである。






2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (EYMIE-METAL)
2016-09-16 19:28:07
そんな事言わないで更新してくださいよ~!
ちょっと読みにくいトコあるけど深いし熱いし楽しみにしてますよ?
お嬢さんとの絡みとかも羨ましく思っております。
当然東京ドームいらっしゃりますよね?私は二日ともに参戦するので紅月も止まない雨も聴けるはず。ワクテカが止まりません!!
行くんであれば是非感想をヾ(≧∇≦)
返信する
コメントありがとうございます。 (ケルベロスの基地)
2016-09-17 01:03:57
あたたかいお言葉ありがとうございます。
ほんとうに励まされます。
これからも、時々お読みいただけると嬉しいです。

駄文ですが、今後も、書き続けていきます。
miniArrow発売で、俄然元気が出てきました。

東京ドームの感想、その他いくつか書きたいテーマはあります。「シン、ゴジラ」との共通性もまだきちんと書けてませんし。

とりあえず、19日です。大泣きするのでしょうね・・・。

返信する

コメントを投稿