何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

常ならぬもの故の輝きをカメラに納めたい

2016-07-10 23:35:07 | ひとりごと
参議院選挙の結果を見て、政というものは「世襲」という言葉だけで片づけることのできないものだと、つくづく思う。
今日の結果に晴れやかな笑顔の総理が、やはり総理であった祖父の路線を引きついていることばかりが有名だが、その横でにっこり笑う幹事長もおそらく祖父の思想的系譜は引いているのだろうし、この祖父と「あなたとは違うんですよ」総理の父も大陸政策では交わるところがあったという。そして、戦前の大陸政策から戦後外交の真ん中を現副総理の祖父のドクトリンが貫いているのだから、もはや「世襲」という言葉だけで語られるものではなく、情念の世界なのかもしれない。

選挙結果を、一代では片付かない「政の情念」という観点から見たのには理由がある。
最近、政敵の奸計に陥った勘定奉行である父とその息子の身を処し方について考えさせられる本を二冊続けて読んだからだ。

「辛夷の花」(葉室麟)の主人公・志桜里の父は、家老三家の悪事をあばく役目を任されるほど殿の信頼が篤い勘定奉行だが、ワロモノ家老たちは反省するどころか逆に勘定奉行を奸計に陥れ一族皆殺しを謀ろうとする。
一族皆殺しを避けるため、自ら切腹することで事を収めようとする勘定奉行に意見するのが、同じく殿の信頼厚い半五郎という隣家の侍だ。  「<奸>言に打ち勝つ女子の義」

『それは短慮と申すものです。なるほど、澤井さまが切腹されれば、三家が屋敷に討ち入ることはなくなるやもしれませんが、勘定奉行として賄を受け取ったという汚名は残ります。されば家はとりつぶされ、新太郎殿(勘定奉行澤井家の嫡男)始めご家族はよくて領外への追放にございましょう。あるいは新太郎殿は切腹か遠島を申し渡されるかもしれませんぞ』

この進言を受け入れ澤井家は、勘定奉行とその嫡男はもとより出戻りの長女から幼い妹まで一族挙げて屋敷に立てこもり家老三家の討ち入り勢と戦うものの、娘っこが投げつける目くらましの粉団子に対して、家老方は御禁制の鉄砲まで持ち出し多勢に無勢で攻撃を仕掛けてくる。だが、見かねた近隣のあちこちの武家屋敷から「助太刀できぬまでも、事の詳細はしかと見極める」との支援ともとれる声があがるようになり、そうこうしているうちに、家老三家が「新たに幼い君主を立てる」と息巻く城から殿が救い出だされ、一気に形勢が逆転するというのが、「辛夷の花」だ。

そして、これと真逆の道を転がり落ちるのが、「風聞き草墓標」「其の一日」(諸田玲子)で描かれる、勘定奉行として実在した荻原重秀とその息子源八郎だ。
同じ勘定奉行とはいえ、一藩と幕府を預かる身では重みが違うのは当然だが、収賄の嫌疑という同じ奸計に陥れられたお家の顛末として、あまりの違いに驚きを禁じ得ない。

日銀券ジャブジャブの現在でなくとも、荻原重秀の評価は改められるべきではあろうが、朱子学が幅をきかせていたせいか、名前が清廉潔白なイメージをもつ新井白石の政敵であったせいか、重秀は収賄の嫌疑に断食で抗議し自害するという武士としても悲惨な最期を迎えただけでなく、最近までその財政手腕の評価も不当に低かった。
この重秀、自らの潔白を申し出て戦おうにも敵屋敷に押しこめられていたので如何ともし難かったのだが、抗議の断食自害の直前に息子・源八郎にあてた書状があったことが20年後に判明し、また時を同じくして当時の差配に疑義を申し立てる書が出回り始めたことから不穏な空気が漂い、関係者が次々殺害されていく。
重秀の自害をもってしても残った禍根と因縁による禍は、父・重秀の死後20年をへて、遂には息子に及び、江戸から遠く離れた佐渡で不審な死を遂げることになるのだ。

家のため家族のためにと黙って自らの命を犠牲にする道と、それでは禍根が残ると戦いに打って出る道と。
自分自身の都合だけで事を決することはできない、そこには必ず家族の行く末を案じる思いがあるゆえ、その思いや信念や因縁は繋がっていく。
まこと、政の因縁は一代に留まらない、そんなことを考えさせられる参議院選の夜であった・・・・・



と書けば何やら小難しいことを考えていたようだが、実際にはそうでもない。
この土日は私的には真剣勝負の日だったが、そうはいうものの、頭は金魚ちゃんで一杯だった。

七日七夕の夕刻、2012年9月16日から睡蓮鉢の住人だった金魚ちゃんの一匹が天に向け飛び跳ね、星になってしまった。
その数日前から時折聞えた飛び跳ねるような音も、姿形も色もきれいな金魚ちゃんのこと、元気な証拠だと安心していたのだが・・・天に向かって飛び跳ね星になってしまった。
朝、雨戸をあけ、身を寄せ合って泳ぐ二匹の真っ赤な金魚ちゃんを睡蓮鉢に見つけることが、今の私にどれほど元気を与えてくれていたか。
あれほど仲が良かった相棒を失った残りの金魚ちゃんのショックを考えると、夜もおちおち眠れず、8日早朝に睡蓮鉢を見に行くと、残りの一匹も飛び出している。
しかし、まだエラがピクピク動いていたので、急いで汲み置きの水に入れてやり、少し塩も加えて様子をみることにしたのが、8~9日。
この間、私は天王山を迎えていたのだが、家族の必死の協力もあり、持ち直してくれているようだ。

4年前の秋、ペットショップで「エサ用」とデカデカと張り紙されて売られていた、金魚すくいの金魚ちゃん。
子供の頃から金魚すくいの金魚をなかなか上手く育てることができなかった私だが、上等の熱帯魚の「エサ」として明日をも知れぬ命なら、私が一生懸命に世話しようと迎え、4年近くを我庭で過した金魚ちゃん。
朝、エサをくれとばかりに水際に浮かびより、口をパクパクさせていた金魚ちゃん。
諸行無常を感じることばかりの、今年だけど、
持ち直してくれた金魚ちゃんを大切に大切に育てるから、安心してワンコと一緒にこっちへ遊びにおいでよ。

諸行無常
生き物も植物も命あるものは、巡り巡ってまた出会えるとしても、姿をかえてしまう。
大切な記憶を記録しておくのに最適なデジカメに挑戦しようかと考えたりもしていた週末でもあった。
ほぼ半世紀前のNIKONが今も現役でいい感じの写真が撮れるせいか御大は最近までフィルム派で、それを元写真部の家人の言葉が補強していた。家人曰く「フィルムには100年を超える歴史があるが、デジカメにはそれがない。カードでもディスクでも温度・湿度・光の管理具合で全てがお釈迦になることがあるのがデジカメ、その点フィルムは安心」と。
だが、可愛いわんこやニャンコや美しい自然で溢れている写真ブログや、丹精込めて育てる野菜の成長を記録しているブログを毎日楽しく拝見していると、そろそろ文明の利器に目を向けても良いのではないかと、デジカメを検索している。

無常を痛切に感じるからこそ、今を大切にしつつ、愛おしいものを記憶し記録しておきたいと考えたりする週末であった。

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