飼い猫ごまこがいたときは、私は夫のことを、「おとうちゃん」と呼んでいました。といっても、名前で呼ぶことのほうが多かったけれど。
動物病院に行くと、猫を産んだことはないのに、おかあさんと言われていました。せめて、お姉さんといってもらいたいけれど、猫は娘から最後はおばあさんになってしまいました。同じように年を取るわけではないんです。
人間は、同じように時を一緒に刻んでいても、寿命が違ってしまいます。まさか、夫が60歳前に亡くなるなんて、結婚当初も2年前の発病前も、思いもよりませんでした。
彼は、不思議君でした。あまりに秘密主義で、「アンタは、工作員かい?!」と思ったほど。でも、同じような趣味があったし、多摩ニュータウンの賃貸団地暮らしのころは、よく二人でコンサートに行ったり、都心においしいもの食べに行ったりしました。結婚してから釣った魚にエサはやらないというタイプではなかった。お酒も好きだから、家でも一緒に飲みました。人間嫌いという割には、団地でもここ八王子でも、人を呼んで宴会しました。
嫌なことも悲しいこともあったけれど、不思議なもので、いいことしか思い出せない。いい人でしたよ。楽しいし、強烈な皮肉に、私もよく同調していましたし。
昨日のバローロも、小さなグラスに入れて「おとうちゃん」にもお供えしました。実際には、もう飲めないんだよね。それが、悲しい。
楽しかったよー。食べられなくなって、痛みがつらくて、よくベッドにひとりで座っていたけれど、何を考えていたの?悔しかったでしょう。私も悔しい。私はもう、残りかすの人生を生きるしかないんだもの。おとうちゃんの分まで生きようなんて、全然思わない。
オリンピック、楽しいよ。一緒に見られなかったのが、残念。スポーツ嫌いでも、おとうちゃんは、サッカーは好きだったもの。
10月に、ようやく、ごまこと一緒に土の中に眠れますよ。おめでとう。うらやましいな。