ここ2週間ばかり、以前借りた芭蕉ハンドブックの後ろに載っていた季語別全句一覧を読みながら、ワードに打ち込みました。とても面白かったです。
江戸時代の俳人や趣味人は、それこそ、漢籍から万葉集、和歌もすごく勉強しています。そういう教養があるのが当然でした。その中の和歌やいろんなエピソードをパロディにしている句も多かったし、句の仲間と会った時などの挨拶の句や、さらに絵につける「画賛」としての句も多かったのです。
今、万葉集がブームになってきたというのは、それだけ今の人たちが無教養だってことに違いないですね。万葉集が頭に入っているのは当たり前ですよ。本当に、日本人は無教養になった。せめて、この新元号をきっかけに、教養を身に着けてもらいたいと思います。
父の書斎には岩波古典文学大系があって、子供のころ、よくわからないけれど、万葉集もパラパラめくって読んでいました。
今の世は、ただで配られた号外をネットオークションに出して稼いだり、御朱印をたくさん書いてもらい、それを売ったりと、そういう人って、卑しいというものです。もちろん、昔にもそういう人はいましたが、心が卑しく貧しい(心が!)人って、簡単に人をだましたり、平気で人を殺したりするのでしょう。私は八王子からこちらに引っ越すときにジモティーを使いましたが、唯で手に入れたものを売ったりする人はいましたねえ。まあ、こちらはそんな暇ないし、そういう人がいるのは、ちょっと残念。
人は誠実で謙虚でなくてはいけないと思う。
さて、千句以上の芭蕉の句を読んだところで、そうそう俳句がうまくなるわけじゃあないです。でも、俳句の神様的存在の芭蕉も、けっこうくだらない句を詠んでいたことがわかって、楽しかった。