2011年3月19日-2
福島原発と東北地方太平洋沖地震45
昨日3月18日の京都大学原子炉研究所の「チェルノブイリ事故から25年」の会合の部屋で知ったが、京都新聞2007年8月31日の私論公論という欄で「原発、活断層近くに林立 中越沖地震は最後の警告」と題して、荻野晃也氏が下記のように書いていたのだった。
「幸いなことに柏崎刈羽原発は大事故にはならなかったが、これを「最後の警告」と考えるべきではなかろうか。「原子力船・むつ」が廃船になったように、原発路線を撤回して廃炉のスケジュールを具体化すべき時なのではないか。国民全体が勇気を持って対処すべき時期に来ているように私には思えてならないのである。」
(荻野晃也氏、京都新聞2007年8月31日)。
福島原発と東北地方太平洋沖地震45
昨日3月18日の京都大学原子炉研究所の「チェルノブイリ事故から25年」の会合の部屋で知ったが、京都新聞2007年8月31日の私論公論という欄で「原発、活断層近くに林立 中越沖地震は最後の警告」と題して、荻野晃也氏が下記のように書いていたのだった。
「幸いなことに柏崎刈羽原発は大事故にはならなかったが、これを「最後の警告」と考えるべきではなかろうか。「原子力船・むつ」が廃船になったように、原発路線を撤回して廃炉のスケジュールを具体化すべき時なのではないか。国民全体が勇気を持って対処すべき時期に来ているように私には思えてならないのである。」
(荻野晃也氏、京都新聞2007年8月31日)。