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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演29

2013年01月26日 | 日記



   ひまわりさんより(1月26日)
 
エレン・ホワイトの『各時代の大争闘』下巻396pには、このように書かれています。「『かつてなかったほどの悩みの時』が、まもなくわれわれの前に展開する。それだからわれわれには、一つの経験―――今われわれが持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験―――が必要なのである。」これは、「準備するのは今」というタイトルの中で言われている言葉です。この経験とは、どのような経験なのか、よくわかりませんでした。わからないのですからから、自分も準備をしてはいなかったのです。
今日、デビット・カン先生のメッセージを聞いていたら、先生は、これは、仲保者なしに立つ信仰経験だと言われていました。というのは、この文章のすぐ後に、エゼキエル書の聖句があって、「主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである」(14章20節)。私たちは、イエス様の義が品性となり、罪の勝利者、律法の擁護者として、仲保者なしで試練の時を乗り越えなければならないのです。このことが、「一つの経験」ではないかと思いました。


    ストラディバリウス 1(デビット・カン講演29)

1940年代、50年代のことです。アメリカに有名なバイオリニストがいました。そのバイオリニストは、一流のバイオリンであると言われていたストラディバリウスというバイオリンが欲しかったのですね。ロンドンの郊外にいる老人がバイオリンを所有しているという情報を得ました。そのバイオリニストが、バイオリンを所有しているという老人に手紙を書きました。「私はバイオリン奏者であります。コンサートなどをいたします。ストラディバリウスというバイオリンを、ずっと探してきました。あなたの所有しているストラディバリウスを、私が買うことはできないでしょうか。その金額を教えて下さったら買いたいと思います」 1か月後に返事が返ってきまして、一言だけでした。「ノー、私のバイオリンは売り物ではない」と・・・。それだけでした。
しばらくして、バイオリニストが、リサイタルのために、ロンドンに行く機会がありました。リサイタルが終わり、時間が残っていたので、その老人の住所を尋ねてみることにしました。彼の家に着くと、太り気味の老人が出てきて、「何だ!」と言われました。「私は、こうこういうものです。あなたのバイオリンを買い求めたいという手紙を書いたことがあります」「私のバイオリンは売り物ではないと言ったではないか」「わかります、わかります。でも今回ロンドンに来る機会がありまして、そのついでに、足を伸ばして、あなたのバイオリンを見せていただきたいと思ったのですけれども、それはできますでしょうか」と尋ねました。





生ける神の印 デビット・カン講演28

2013年01月25日 | 日記



    ひまわりさんより(1月25日)

近くのスーパーに、地元の野菜を売っているコーナーがあり、私は、野菜はほとんどそこで買うようにしています。昨日そこへ寄ったら、ストックの花が1束280円だったので、買ってきて、花瓶に挿しました。今日、家に帰ってきた時、ストックの花の香りがして、「いい香りだなー」と思いました。そして、花に香りをつけられた神様は素敵な方だなーと思いました。今まで、花の香りのことなど余り考えたことがなかったのですが、花に香りがあるということはすばらしいことだと、あらためて思いました。バラにはバラの香り、フリージアにはフリージアの香り、水仙には水仙の香りがあって、それぞれ、人の心をいやすものです。色や形、香りと、こんなに美しい花を、私たちのために創造してくださった神様が、私たちの心を再創造してくださらないはずがないと思いました。

   救いの条件(デビット・カン講演28)

シナイ山で、モーセが、神様に(イエス様だったのですけれど)お会いした時、神の栄光を彼の顔が反映するようになりました。民は、「あなたの顔をまともに見ていられないので、ちょっと何かかぶり物をしてください」と言いましたね。週ごとに安息日を守る経験というのは、イエス様がおいでになった後に、永遠に神様のうちに休むということを予表しています。
『大争闘』下巻418ページをお読みします。「彼らは第4条の安息日が生ける神の印であることを知るが、しかしもう遅い」。ノアの時代にも、神様を信じている人は大勢いました。しかし、神様を信じていても、箱舟に入らなかったら、 神様によって刑罰を受けたのです。
救いには、条件があります。何でしょう。完全に屈服するということです、完全に屈服するとはどういうことでしょう。神の戒めを守るという事です。どんな困難、不都合があっても、どんなことがあっても、神様の戒めに従うという事です。






生ける神の印 デビット・カン講演27

2013年01月24日 | 日記



   ひまわりさんより(1月24日)

今日の日課の聖句は、「平和をつくり出す人たちはさいわいである」(マタイ5:9)でした。キリストの霊の宿っている人の心には平和があるのだと思います。ところが、イエス様がいつも心にいて下さるためには、そうとうな訓練が必要なのだということを体験させられています。今日は、朝から賛美の心で家を出て行きましたが、次々に起きてくる突発的な出来事の中で、昼食を食べる時間もなく動き回っていると、疲れてきて、次第に心が荒れていくのが分かりました。今日はいつもより早めに帰ることにして、車の中で「我が主よ 心に入らせたまえ主よ 」という讃美歌を歌い続けて、やっと家の近くまで来た頃、心が平安になってきました。ホワイト夫人は、世の終わりにのぞむ私たちに対して、「疲労と遅延と飢えに耐えることのできる信仰、すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求する」(『各時代の大争闘』下巻395p)と言われています。今、いろいろなことを通して、どんなときにも心を平和に過ごせるように訓練されているように思います。

    イエス様を反映する(デビット・カン講演27)

この世界は、ものすごい、恐るべき悩みに突き落とされることでしょう。特に、食べ物を買ったり売ったりすることが大変困難になってくるのです。
これは私たちの脳ですね。ここに額があります。ここに品性をつかさどる部分があるわけです。『初代文集』93ページですけども、最後の部分だけお読みします。「悩みの時の開始にあたって我々が出ていって、徹底的に安息日を述べ伝えた時、我々は聖霊に満たされた」。 後の雨を受けたあと、私たちは出て行って、安息日をもっと徹底的に述べ伝えるわけです。
次に、『初代文集』149ページですけれど、「生ける神の印を受け、悩みの時に保護される人々は、イエスの形を完全に反映していなければならない」。安息日を、きよく完全に守るということは、イエス様の形、品性を完全に反映することなんです。同じことを言っています。
神様のうちに安んじるということは、神様の創造の力にみずからをゆだねて、安じるということです。そして、世から休むということは、罪から休むということ、自我から休むということ、人間に頼るということから休む、ということです。その時、完全に神のうちに安んじることができるということです。その時、私たちの品性は、イエス様の品性に似たものとなります。






生ける神の印 デビット・カン講演27

2013年01月23日 | 日記



    ひまわりさんより(1月24日)

昨日の帰り際になって、80代でショートステイに行っていた人が、インフルエンザにかかってしまい、急に家に帰されてきました、その人の奥さんは、韓国へ行っていて、2月末まで帰って来ないそうです。一人では何もできないので、契約はあとですることにして、急きょ訪問介護で引き受けることにしました。家に尋ねてみると、暖房は壊れていて、こたつから離れた場所で身動き取れない状態で倒れていました。かなり高熱だったので、服を着たままこたつまで引っ張っていき、下着だけ取り替えました。それから、食材を買いに行きました。その時、不思議と、こういうものがいいんじゃないかと思って買っていったら、「こういうものが食べたかった」と言って、出した料理をほとんど食べ、ポカリスエットも「こんなおいしいものがあるのか」と言って350CC飲んでくれました。今日の朝、訪問したら、夜寝たままの恰好をしていましたが、「一晩ぐっすり眠れた」といって顔の表情が穏やかになっていました。でもまだ熱はあり、起きることも、座ることもできない状態でした。でも朝食は起きて食べたいというので、倒れないように背中にクッションを置いたり、それを膝で抑えながら、全介助で、卵のお粥とグレープフルーツの実が入ったゼリーを、「うまい うまい」といいながらよく食べてくれました。それから、夕方また訪問したら、すっかり元気になって立ちあがって歩いていました。全く何も食べられないと本人は言っていたのに、その人が食べたいと思うものを、神様が導いて下さって、全部食べるようにしてくださって、想像以上の回復で驚かされ、神様に感謝しました。


    イエス様を反映する(デビット・カン講演27)

この世界は、ものすごい、恐るべき悩みに突き落とされることでしょう。特に、食べ物を買ったり売ったりすることが大変困難になってくるのです。
これは私たちの脳ですね。ここに額があります。ここに品性をつかさどる部分があるわけです。『初代文集』93ページですけども、最後の部分だけお読みします。「悩みの時の開始にあたって我々が出ていって、徹底的に安息日を述べ伝えた時、我々は聖霊に満たされた」。 後の雨を受けたあと、私たちは出て行って、安息日をもっと徹底的に述べ伝えるわけです。
次に、『初代文集』149ページですけれど、「生ける神の印を受け、悩みの時に保護される人々は、イエスの形を完全に反映していなければならない」。安息日を、きよく完全に守るということは、イエス様の形、品性を完全に反映することなんです。同じことを言っています。
神様のうちに安んじるということは、神様の創造の力にみずからをゆだねて、安じるということです。そして、世から休むということは、罪から休むということ、自我から休むということ、人間に頼るということから休む、ということです。その時、完全に神のうちに安んじることができるということです。その時、私たちの品性は、イエス様の品性に似たものとなります。




後の雨に備える(デビット・カン講演26)

2013年01月22日 | 日記



    ひまわりさんより(1月22日)

Wさんは糖尿病性の網膜症で失明された方です。この方はベッド生活ですが、部屋の間取り上ベッドを壁際に置けないため、かけ布団がしょっちゅう落ちて、体が冷たくなっていることがあります。たまたま我が家の息子も、よくベッドから布団を落とすので、ベッドサイド・ガードを買ってつけたら、すごく気にいってくれました。Wさんにもこれがいいかもしれないと思って、本人に相談したら、買ってきてほしいということでした。それで、この前の日曜日、夫に頼んで、ホームセンターで買ってきてもらいました。前に買ったホームセンターでは売り切れていたので、他のホームセンターまで行って見つけてくれたのだそうです。それを、月曜日に届けたのですが、うまくいったかどうか気になっていました。今日は、デイの利用日だったので、具合はどうだったか夫が聞いたところ、「布団が落ちなくて、とても暖かかった」といって喜んでおられたそうです。以前は、「こんな自分は生きていてもしょうがないよ」と言っていたWさんでしたが、最近どんどん表情が明るくなって、反応が良くなってきています。

    悩みのときの備え(デビット・カン講演26)

セブンスデー・アドベンチスト教会は、長年にわたって「田舎に住みなさい」というホワイト夫人の勧告を軽視してきました。無視してきました。そういう人たちは、獣の刻印を受けることでしょう。恐ろしい悩みに突き落とされ、ひどい問題を抱えることになるでしょう。そしてその時には、歯噛みをして、悔やしがるでしょう。でもその時では手遅れなのです。
一つの問題があります。セブンスデー・アドベンチストの人たちが田舎に住んでいたとしても、自分で作物を育てることができないんですね。気候が合わないとか、土地が足りないとか、そういう事情もあるかもしれません。そういう事情のある人にはどうしたらいいのか、私は教えています。今は話せませんので、興味がある人は、休み時間にでも私のもとにきてください。そういう、悩みの時がきたときに、どのようにしたらよいかという知恵を、教えたいと思います。食物を、どのように備えたらよいのか、という事に関してお話しします。