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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人ななぜ苦しむのか 第17回

2014年09月18日 | 日記

 

   人はなぜ苦しむのか 第17回

クリスチャンは試みにあった時、その理由を探リ調べてみなければなりません。ところが、何年も過ぎているのに試練に対する満足できる答えが見いだせない場合もあります。そのような時にも、私たちは神様に対する信頼心を見失わないようにしましょう。パウロは彼が生きている間に、肉体のとげが除去されない理由を知ることが出来ましたが、私たちは、イエス様が再臨されるその日まで、私たちが直面している苦痛の理由を、知ることが出来ない場合もあります。ある人は、再臨の日まで、お祈りを通して、自分たちの苦痛や悲しみをすべて理解し、同情して下さるイエス様の慰めを受けることにより耐えなければなりません。イエス様は私たちと同じ肉体をお取りになって、この地上で過ごされる間、私たちと同じような試練や苦痛を経験し、神様だけが与えて下さる慰めと励ましを受けられたので、私たちの祈りに答え、私たちにも同じ慰めと励ましをお与えになることが出来るのです。人として様々な苦難と試みにあわれた方こそ、試みの中にいる者に、真実の慰めと希望を語ることがお出来になります。

皆さんは今まさに、苦痛のトンネルの中を通っておられるかもしれません。それは皆さんをもっと謙遜で柔和なキリスト者として創り変えるために、苦難という訓練学校に入学されたことなのかものかもしれません。もう一度心を低くして、なぜそのような苦痛が取り除かれないのか祈ってみてください。

やがて必ず、このように言う日がやって来ることでしょう。

「わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。・・・苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(詩篇119:67、71)。

   絶望から希望へ 第19回

皆さん、イエス様が十字架につけられて死なれたことによって、私たちが救われるための道は完全に備えられました。しかしそれだけでは、まだみんなが救われたのではありません。イエス様が十字架で示して下さった愛の力によって、私たちは聖書の教えることに従って生きる力が得られるのです。そのように生きる時、私たちは、ローマ8章2節の言葉を体験することが出来ます。「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」。これこそが、新しく生まれた経験です。罪から開放されたことですね。罪というのは死の法則です。聖霊、み霊は命の法則です。み霊の力を受けて生きる時、私たちはこの罪を犯し続ける生活から、私たちの心を苦しめる罪から、落胆させる罪の法則から逃れて、これ以上その法則にとらわれて生きなくてよいのです。なぜでしょうか。なぜなら、み霊が私たちを罪の法則から解放して下さったからです。

口先だけ「私は罪から解放された。ハレルヤ!」と叫ぶのではなく、実際的に罪と死の法則から解放され、罪に勝利して生きるようになることです。誰がそのようにしてくれるのでしょうか。聖霊様です。私たちではありません。私たちがみ言葉に従って生きようとする時、聖霊様がそれを行わせて下さるのです。