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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人はなぜ苦しむのか 第21回

2014年09月23日 | 日記

  人はなぜ苦しむのか 第21回

6、おきてにそむいた結果として来る苦難

コリント教会に送られた二回目の手紙において、パウロは自分の信仰が苦難を通してどのように昇華されたかを述べています。パウロは、苦難の中で神様からいただいた慰めの経験を、他の人にも分け与えたいという熱望で満ちるほどに燃え上がっていきました。それらの経験は、パウロの奉仕において新たな章を開くものでした。彼は自分自身が苦しみを多く受ければ受けるほど、試練や悲しみの中にある人々を、より深く理解し助けることができるようにされることを、悟っていたのでした。イエス様が、苦難を通して他人をどのように助け同情するかを学ばれたように、パウロもまた苦難を通して、他の人々を助けるキリスト者としての資質を整えられたのでした。

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである」(Ⅱコリント1:3~7)。

   絶望から希望へ 第23回

皆さん、そのようなものから目を覚まして、分別する霊を持って下さい。「それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外ないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」(ローマ8:12~14)肉に従って生きる者は、どうなると言っていますか。「必ず死ぬ」と言っています。毎日罪を犯して生きなさいと、どこに書いてありますか。聖書には、罪から開放され勝利して、聖霊に従うことが、当然であると書いてあります。このように勝利して生きる者は何と言われていますか。彼らこそ「神の子である」と言われています。神様のみ言葉ははっきりそう言っています。